今週の闇金ウシジマくん/第445話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第445話/ウシジマくん31

 

 

 

 

 

 

見張りの男を説得して縄を解かせ、柄崎たちとともに獅子谷道場を脱出した丑嶋。しかしタイミングよくもどってきた獅子谷が、丑嶋たちの車にじぶんの車をぶつけてきたのである。

 

 

どういう位置関係かよくわからないが、獅子谷の車は丑嶋たちのものより右前のほうに横向きでとまっている。ぶつけてからバックして、少し離れたところにとめた感じなのだろうか。そして、車は一台しかないのに、四方八方からわらわらと獅子谷の手下たちがあらわれ、これを包囲しつつある。野良猫を見つけて、なにか餌になるものはないかと、ぶらさげていたビニール袋をごそごそやると、さっきまで気配すら感じられなかったたくさんの猫がわらわら集まってくることがあるが、そんな感じだ。獅子谷の車は獅子谷じしんが運転していたから、やはりあほかのものが乗っていたとは考えにくいし、だいたい7人も一台に乗せてというのはなんとなく貧乏臭い。となると、ほかのものたちは連絡を受けて待機していたのかもしれない。あるいは、別のところに車をとめて隠れていたか。見張りの男をぶっ飛ばして逃げた丑嶋だが、これから焼肉を食べにいくとかいいだす大人物である、焦って大急ぎで逃げ出したりはしていないのかもしれない。そうなると、のんびり車に乗って出発しようとしているあいだ、たとえば道場にいた別のものが見張りが倒れているのを見て、こちらに向かいつつあった獅子谷に電話したとか。

 

 

丑嶋は無表情で、「ちょうどいい。轢き殺せ柄崎」という。獅子谷が車からおりて、じぶんたちの車の前にいるのだから、どっちにしろ殺す気でいる丑嶋からしたら「ちょうどいい」のだろう。いや、でもそれ柄崎にやらせるの?相手が獅子谷じゃなくても、そんな覚悟はふつうない・・・。

しかし丑嶋はやれという。まるで、10年後、じぶんたちがどういう男たちになっているか見えているかのようだ。ここが柄崎の正念場だと丑嶋はいうのである。これができるかどうかで、柄崎の人生は分岐すると、こういっているのだ。

丑嶋はおりて獅子谷の相手をするつもりだ。で、囲まれたらじぶんごと轢けと。そして隙を見て飛び乗るから、加納にはサイドドアを開けておけと命じる。

 

 

獅子谷は落ち着いた調子でどこにいくのかと問う。風呂入って焼肉食べたいといっていた丑嶋は、そのように応える。風呂に沈んで焼肉になりたいってことか、などとやはり落ち着いていう獅子谷・・・。柄崎も、もちろん加納も、恐怖と緊張でふるえている。まだせいぜい二十歳とかの彼らであるし、こういう反応はごくふつうのものだ。丑嶋が異様なのである。

耳以外焼いたことないという獅子谷に、それでじゅうぶんあり得ないだろと応える丑嶋。丑嶋のタメ口にキレた獅子谷がスタンガンを野球のバットを振るみたいに何度もスイングする。丑嶋はけっこうこれを頭にくらっちゃってるみたいだが、意識はしっかりしている。

この様子をみて柄崎が覚悟を決め、絶叫しながら車を発進させる。殴られながらもタイミングをみていた丑嶋は、獅子谷に体重を預けて車の前に押し出す。車は獅子谷を轢いたあとも続けて何人か轢き、加納が丑嶋を回収、駐車場から逃げ出す。

いちばん車に近いところにいた獅子谷は、まだ発進した直後で加速もしていないぶん、重傷にはなっていないっぽい。だが、そのあとに轢かれたものがやばい。畑崎という男は痙攣して鼻から豆腐みたいなものが出てる。脳挫傷ということだろうか。しかし獅子谷はかまわない。車を出して追えと部下に命じる。畑崎の様子を伝えた男はドン引きである。

 

 

そこから2ページ、ウシジマくんには珍しい、動的なカーチェイスの場面である。はじめてみる絵柄だな・・・。左上の、獅子谷側の車がガードレールに激突してる絵なんて、なんか『ジャガーン』みたい。

 

 

ともあれ、丑嶋たちは逃げ切ったらしい。海の見えるところにおりて、カーチェイスで酔った誰かが吐いている。それともこれはあれかな、丑嶋にも汗っぽい描写があるし、三人で仲良く吐いてるのかな。

 

 

 

重傷ではないといってもあんな大きな車に轢かれたのだ。骨折くらいはしているだろう。右手をおさえ、呼吸をあらげる獅子谷は、どこか路地に逃げ込んでいる。いままでよりずっと疲れを感じさせるひどい顔だ。そして、部下たちに、丑嶋たちの身内や女の情報を集めろと命じる。やつらの大切な人間を襲いにいくと。

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

カウカウのお家芸である車でボーンの元ネタというか原体験がこんなところにあったとは、というか、元ネタがあったとは、実におもしろい。

丑嶋はここが正念場だと柄崎にいってきかせるが、なんの正念場なのだろう。これからいっしょにやっていこうという意志の確認という意味では、ふたりにはすでに通じているものがある。だが、あの時点ではまだ獅子谷をやっつけようというようなはなしにはなっていなかった。表情からしても、丑嶋にはすでにその考えがあったにちがいないが、柄崎にはたぶん伝わっていない。超人丑嶋には、なにもかも見えている。それは、ただ、債務者の行く末が手に取るように見えるとか、半グレやヤクザがどういう行動をとるか細部にわたって予測できるとか、そういうことに限らない。つまり、これから獅子谷を倒して、あるいは殺して、闇金のテッペンを目指すというのがどういうことなのか、丑嶋にはぜんぶわかっているのである。これから10年、なんならヤクザに命を狙われ、これを殺し、海外に逃亡するような事態に陥ることも、彼からすれば想定内、じゅうぶんありえることだったのだ。それがわかるから、この状況で車のアクセルを踏めるような胆力を柄崎に要求する。丑嶋のいう正念場とはそういう意味である。半グレでもヤクザでも、そのタイミングなのであれば車で轢き殺すことに躊躇しない、非人間的感性がこの先必ず必要になると、丑嶋にはわかっている。だから、信用しているぶん、柄崎にもそれを要求するのである。

 

 

柄崎の立場からすると、車を出ていく丑嶋の行動は、彼に選択をさせるものだ。もし柄崎がアクセルを踏まなければ、丑嶋は殺される。つまり、このときに丑嶋は柄崎と、それから部分的に加納にも、命を預けていることになる。しかしそのことを丑嶋は、丑嶋じしんの問題としては語らなかった。そうではなく、柄崎の正念場として語るのである。つまり、車をおりて獅子谷と対峙する丑嶋の身振りは、「お前がアクセルを踏まなければおれは死ぬんだぞ」という、責任を感じさせる強迫的な方法ではなく、「お前はどうするつもりなのか」という問いのかたちで、「柄崎の問題」として彼の前に顕現しているのである。ややこしいが、たとえば、丑嶋が「俺ごと轢け」というのは、献身ではないわけだ。柄崎も、これを献身的な態度とはとらえていない。これが成立するのがチームである。このとき、彼らの前にはただ「獅子谷」という問題があらわれているだけだ。この問題に対して、三人でとるべき行動というのは限られている。丑嶋がおりたのは、おそらくこの距離で急発進しただけでは、獅子谷がよけてしまう可能性があったからだろう。とにかく彼は、獅子谷をひとつのところにとどまらせ、車から目をはなさせたかった。そうしたわけで、とりあえず丑嶋がおりる。そのうえで、最悪丑嶋も轢いてしまうことになっても、加納が彼を回収しさえすれば、この状況を突破し、なおかつ、獅子谷にダメージを、よければ殺すこともできると、そういう判断が、チームの視点からは可能なのである。ただ、それが成立するためには、柄崎にひとを轢き殺す胆力が必要になってくる。チームとしての動作はすでに動き出している。あとは柄崎と加納に、そこに与するだけのちからがあるかどうか、ということになる。もしないのであれば、たぶん獅子谷に勝つことはできない。もちろん丑嶋にも勝算というか、柄崎ならやれるという判断もあって行動しているとはおもうが、いずれにしても、丑嶋はここで見返りのようなものを柄崎たちには要求しない。じぶんが命を懸けた行動をとることによる見返りとして、柄崎に責任感を加え、強迫的に轢かせる、という行動ではないのである。ここで機能するチームはそのままひとりの人間のようなものだ。これは全体でひとつの自己なのであり、この行動に限っていえば、「丑嶋と柄崎」という関係性すらそこにはない。もし両者の関係性が浮き彫りになってしまえば、丑嶋の行動は「献身」となり、見返りを要求するものとなってしまう可能性があり、そこにはなんらかの「交換」が発生してしまうかもしれない。たとえば、丑嶋があの恐怖の暴君の前に立ち、傷を負う、そのかわりに、柄崎は車で獅子谷を轢く、といった具合にである。人間関係というものをそういう交渉の結果の、一種の取引であると見る向きもあるだろう。しかしカウカウではそうはとらえない。中年会社員くんで語られたように、彼らは、マサルであってさえも、交換不可能な無二の存在なのだ。だから、その関係性は取引の文脈で語られてはならない。なぜなら、手に入るものと分け与えるものの価値を比較することで成立する取引は、解消してしまうこともあるからである。

丑嶋がこの時点でカウカウ成立に必要なものをすべて思い描けていたかというと、それはわからないが、いずれにせよ、彼にはシシックの現場での経験ということが大きく作用しているだろう。それはたとえば、強盗の容疑にあって拷問されているものが、じぶんが獅子谷を殺すから、と囁いただけで解放してしまうような従業員で構成された組織である。信用もなにもない、ただ獅子谷への恐怖だけが彼らを結びつける唯一の絆で、場合によっては、海老名と鯖野のように、それが獅子谷じしんに向けられることさえある。こうしたありかたが「よいもの」だとは、現場で経験している丑嶋にはとてもおもわれなかっただろう。シシックをのちのカウカウと対比させて鮮やかに浮かび上がってくるものは、やはり成員が「交換可能」であるということなのだ。獅子谷は、それまでの実績がどうであれ、いまこの瞬間の売り上げがひどいものなのであれば、かんたんにこれを痛めつける。ランキングシステムにおいては、成績のよかったものへの報奨が獅子谷のご機嫌で、悪かったものへのペナルティが獅子谷の不機嫌である、という点では一貫しており、このシステムが本質的に孕む問題の生む「足の引っ張り合い」ということを除いたとしても、システムとしてはまあ機能していないともいえないかもしれない。しかし、重要なのはこのシステムが表現することになる従業員のあつかいである。今回畑崎という男があっさり見捨てられたが、このように、獅子谷にとってシシックスタッフは特定の誰かである必要のないものたちである。極端にいえば、対ヤクザという点でひたすらに量であり、彼らはただの数字である。つねに上位を走り続ける敏腕の店長なら、そういうことには無自覚で済むかもしれないが、たいていのものは、ランキングシステムを通して、じぶんという存在が他愛のない、誰かと交換のできる量にすぎないということをつきつけられているのだ。

それに対して、カウカウは、柄崎たちスタッフに「じぶんでなければこの役目は務まらない」と感じさせるものだ。これは、そういう社風にしなければいけないと、シシックを通して丑嶋が学んだというより、裏稼業で、少人数で、ヤクザも相手しなければならないということが自然に呼び込んだ結果だろう。丑嶋はたいへん合理的な人間でもある。崩壊が目に見えるシシックの方法はいかにも非合理だし、居心地のいいやりかたをつきつめていったらそうなった、というようなたんじゅんなことである可能性もある。ともかく、カウカウはそのように、スタッフたちにじぶんの存在の「交換不可能」を感じさせる。彼らの存在、彼らのありようは、ほかのなにかに換算して数えることができない。だから当然、その行動に値段をつけて、取引の結果として表現することもない。だから、丑嶋の行動への負債感から柄崎が車を発進させる、なんていうこともないわけである。ただ、彼らの目の前に発生した問題について、じぶんがなすべきこと、いまじぶんがしなければほかの誰もできないことがあらわれ、それを実行するだけなのだ。こうしたカウカウの心性が、今回芽生えたわけである。車でボーンは今回で3回目だが、どの場合も丑嶋が外にいて、柄崎が運転している。肉蝮や獅子谷が丑嶋に注目しているあいだに轢くという点まで同じだ。おもえばこれは信用で結びついたカウカウのありかたの、とてもわかりやすいあらわれなのだ。

 

 

 

獅子谷と熊倉の交渉がどうなったかは、いまだに不明だ。鼻からナニかが出てしまっている部下がいても、獅子谷はそれを気にもとめない。これは、獅子谷がそんなことを気にしないひどい人物であることを示すと同時に、彼には必然であるともいえる。たとえば、いまのはなしからすると、彼はスタッフを交換可能なものとしか見ていない。これが、海老名のような反乱分子を生むことになる。しかし、だからといって、それをやめることはできない。たしかに、シシックは彼の所有物で、彼の気持ちひとつに左右されているという点で、そういう気まぐれの優しさがあってもよいともおもわれる。げんに海老名は当初、どこでキレるかわからない、というような表現で獅子谷について説明していた。この不安定さがまた恐怖を呼び込むともいえる。しかし、この場合彼らが恐怖するのは、キレたときになにが行われるか、ということである。たとえば、怒るとひどくどもりだすひとが仮に「どこでキレるかわからない」としても、我々はふつう恐怖しない。キレたあと起こる物事について、わたしたちは恐怖する。そのあとにやってくるなにかこわい出来事にかんしては一貫していなければ、この恐怖は成り立たないのである。

キレたときの獅子谷は一貫している必要がある。もし、キレても耳を切られないことがある、そればかりか笑顔になって許してくれることがある、というのでは、この恐怖支配は成り立たない。ここに獅子谷の悲劇的なゆがみがある。彼は、部下をモノとしてあつかい、耳を切り落とし、気分ひとつであつかいを変えることで、その支配を徹底してきた。だから、これからもっと危機的な状況になったとしても、彼はそれをやめることができない。交換可能であることを暗に告げられ続けたシシックの成員は、じぶんは特別であるということをつねにアピールし続けていることになるかもしれない。通常、それは売り上げを上げるということに反映されていくはずだが、ひょっとすると、成員のそうしたアピールに応じた結果が、獅子谷による耳の切り落としなのかもしれない。遊び半分で従業員をいたぶるのだとしても、もっとやりかたはある。それを、獅子谷は身体の欠損というしかたで表現する。そうすることで、彼らは特殊になる。奴隷の烙印みたいなものだろうか。特別であろうとする従業員たちを、だからといって獅子谷は特別あつかいはせず、モノとしてあつかうわけだが、同時に、そのときに行われる耳落としは、彼らを特別な存在にしもする。それこそ、シシックでしか生きられないような、ある意味ではほかのものとは交換のできない、唯一の存在としてである。これが、獅子谷の、彼の方針を変えないまま従業員のアピールに応じた結果なのではないだろうか。ふつう、その人物を「交換可能」であると告げるときには、「その居場所はお前でなくてもいいのだ」というふうにされる。しかしシシックでは、これが歪んで翻訳される。つまり、「この場所は耳のないお前でなくてはだめなんだ、ふつうのひとは耳があるから()」というふうにである。

交換不可能でありたい、じぶんは特別なのだと訴える従業員というのは、具体的にいうと獅子谷の意に背いたものたちである。なぜなら、ランキングシステムで動くシシック内部では、特別であることを表現する方法は売り上げ以外には原則的にないのであり、売り上げの不振や反乱などによって特別であることを表現してしまったものは、すべて獅子谷の意に背いたものたちだからだ。これを、獅子谷は笑いながら交換不可能なものに作り変える。そうしてとらえると、獅子谷にとって従業員たちは、恐怖を介して接するもの以外は「特別なもの」ということになる。これは、考えれば考えるほど疲れる生き方だ。どんなスタッフも、獅子谷にはいったん恐怖を経由してから話しかけなければならないのであり、獅子谷じしんそう仕向けてきているのである。そのような者が部下のひとりが死にかけているからといって丑嶋の追撃をためらうはずがない。というか、獅子谷じしんがそうあるべきだと考えているので、シシックの原理的にそのようにふるまうことができないのである。徹底してひとを遠ざけ、むしろ信用させず、くじけそうになっても氷のような無感情の男を徹底しなければならないのだ。ハブサンのお世話になるのもしかたないのかもしれない。