今週の闇金ウシジマくん/第429話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第429話/ウシジマくん⑮

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

丑嶋が獅子谷に包囲されている現在から10年ほど前。少年院を出て、柄崎の闇金業への誘いを断り、カタギの作業員として生きる丑嶋。いとしのうーたんも竹本優希から返してもらい、うさこまでボーナスでついて、幸せなはずだが、退屈は退屈である。懐かしい二つ折りの携帯電話をパカパカさせながら丑嶋はヒマをもてあます。

 

 

その丑嶋の家の前に柄崎の車で獅子谷兄弟が到着する。獅子谷兄は三蔵を倒して地元では伝説的な人物となった丑嶋を自社のシシックに勧誘したい。柄崎としても、稼ぎはよいし、丑嶋は誇りだし、獅子谷は怖いし、という感じで、紹介しろという獅子谷の命令を拒む動機がない。そうして獅子谷たちを丑嶋の家まで案内してしまうのだ。海老名も車の外に出るよういわれているが、耳を切られたばかりで痛くてそれどころではない。で加納はというと、ちゃんと車のいちばん後ろに乗っているのだった。前回まったく描かれなかったので、別の車でついてきているのかとおもっていたよ。獅子谷たちも加納がいたことを忘れていたみたい。むかしっからこういう加納にしかかもし出せない独特のものがあったんだな。

 

 

獅子谷兄弟が車から降りる。初登場のときより、獅子谷兄はずいぶんからだが大きくなっている。あのムキムキの甲児の兄というわりには痩せ型だなという印象だったのが、いまでは兄もけっこうムキムキだ。でも弟同様、耳がつぶれたりはしていない。このひとたちの練習している格闘技ってなんなんだろう・・・。ふつうに考えると総合だとおもうんだけど、いつか見たように、獅子谷兄の殴り方は大きめのグローブをつけている状態のものだ。弟はともかく、兄はボクシングとかキックボクシングとかの打撃系なのかも。

 

 

柄崎がドアをノックしようとすると、エンジン音などを聞いて窓から様子を見ていたのか、丑嶋がドカッとドアを開けるので、柄崎がふっとんでしまう。このコマじわじわくるな・・・。

丑嶋と獅子谷兄の初対面である。丑嶋は「なんの用だ?」といっているが、これは獅子谷のほうを向きつつも、じゃっかん柄崎に向けていった感じのことばかもしれない。獅子谷は名乗りもせず丑嶋が本人かどうかを訊ね、部屋をのぞいて狭いといい、うーたんとうさこの名前を訊いている。丑嶋は応えない。うーたんは丑嶋にとっては聖域である。見んじゃねえよっていう感じかもしれない。でも、丑嶋みたいな男がうさぎを飼っているというだけでちょっとおもしろいのに、それがどんな名前をつけているのかというのは、たしかに気になるかも。そんなようなことを獅子谷が大声でいってくる。だから丑嶋は、近所迷惑なので帰ってくださいと丁寧にいう。と、ここで急にテンションが変わる。シシックで働けと。獅子谷はじぶんよりでかい丑嶋に壁ドンするような態勢になって威圧する。丑嶋が黙っているので、考えるな、お前に選択肢はないという。丑嶋は別に獅子谷をにらんだり、すごんだりはしていない。むしろ、じっさいちょっと戸惑っているのかもしれない。そして、この男がどのレベルの悪党であるのか、値踏みしているのだろう。

 

 

再び柄崎の車。おとなしく丑嶋も乗り込んでいるので、やはりちょっとやそっとでは追い払えないという判断を丑嶋はしたのだろう。海老名はどこにいったのだろう。加納といっしょにいちばんうしろの荷物が置いてあるところに横になっているのだろうか。切られた耳はアクセサリーみたいにバックミラーのところにぶらさがっている。

助手席に座った丑嶋に獅子谷は語りかける。もし誘いを断るようなら、丑嶋の顔写真をまわして懸賞金をかけると。そうされれば、まともには生活できなくなる。でもシシックに入れば、柄崎みたいなボンクラでもローンを組まずに新車が買えるのだと。獅子谷は別に丑嶋をボコりにきたわけではない。ただ、自社に引き込みたいだけなのだ。

獅子谷は続けて、大金を手にすることの意味と、そのヴィジョンを語る。金があれば、値段を気にする必要はないから、コンビニで買い物するときも、カロリー表示だけを気にするようになる。そもそも行く店も、かかわる人間もかわってくるだろう。見える世界がまったくかわってしまう。獅子谷は、金を稼ぐということの結果がもたらすであろうものごとを、いまよりさらに求めている。そのためにシシックは組織強化のために優秀な人材を探している。「お金をもっと稼ぐ」ためばかりではない。シシックは裏社会に成立している会社だ。ヤクザとのかかわりは回避できない。しかしもうヤクザにデカイ顔はさせない。いずれ街を裏から支配するのはじぶんたちだ、という感覚が、獅子谷には強くあるようである。

丑嶋はシシックに入るとも入らないともいわない。というか、獅子谷的には丑嶋の意志はどうでもよい。だから獅子谷は、まだ海老名の血がついているカッターを渡し、入社テストとして柄崎の耳を切れという。丑嶋がシシックに入るのであれば柄崎の耳は無事になるはずだったが、いつの間にか丑嶋が切ることになっている。丑嶋が耳を切れば入社テスト的にも、服従という意味でも合格で、丑嶋がこれを拒否したら、宣言通り柄崎の耳は切られる。つまり、どちらにしても柄崎の耳は切られる。柄崎・・・。

丑嶋は一応なぜかと聞くが、理由なんてどうでもいい。獅子谷がやれといったことをやるかどうか、それだけであると。

丑嶋はそこでしばらく考えてから、柄崎に耳を出せという。意外な反応だが、なにか考えがありそうでもある。柄崎はビビりまくっているし、丑嶋がそんな反応をするとはおもってもいなかったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「人ん家の住所をペラペラ喋って、

お前は俺を売ったんだ。

 

 

選択次第で俺は刑務所か病院送りになる。

 

 

お前は目の前のちょっとした面倒を避けて、

 

 

自分で考えずにいいなりになった。

 

 

耳切られるぐらいの覚悟は持って行動しろよ、柄崎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

現在の柄崎の耳は無事である。したがって、ここで柄崎の耳は切られない。中学時代もそうだったが、このときから丑嶋の柄崎への教育というか啓蒙ははじまっているようだ。

 

 

丑嶋はそういうが、では柄崎にはほかにどんな行動がとり得ただろう。柄崎は獅子谷に脅迫されて丑嶋をシシックに誘っているのではない。だいたい、獅子谷がこれほどヤバイ人間だということはちょっと前まで知らなかったはずだ。伝説の不良として認識はしていただろうけど、まさか売り上げが悪いからって店長の耳を落とすような人間だとはおもっていなかっただろう。仮におもっていたとしても、柄崎的には丑嶋を誘うことはそれほど不自然な行動ではない。丑嶋は三蔵を葬った男である。不良的にいって同じ代として誇らしいだろうし、じぶんはあの丑嶋の友人であるということが自慢だったはずだ。少年院から出てきた丑嶋がまさかじぶんの誘いを断るとは想像もせず、いっしょにアウトローの道を歩んでいけると思い込んでいたはずなのである。ところが、丑嶋にはその気がない。いつかも書いたが、丑嶋は厳密な意味では不良でもアウトローでもない。彼はただ、法(常識や価値観や法律)から逸脱した行動をとりうるということを周囲に示さなければ、食われる側のままである、という理念から、三蔵のあたまを砕いたのであり、ヤンキー的な暴力の力学にしたがって、またそれがもたらしている力関係に則って、それを覆そうとして行動したわけではない。また、現在の丑嶋は闇金を営んで相当稼いでいるようではあるが、おもえば、特に豪遊しているという様子はない。というか、むしろケチである。獅子谷が語るような、金を稼ぐことで見えてくるものなどまったく興味がない。そうしたわけで、丑嶋としてはシシックに入る理由がなにもない。柄崎が勝手に想像していた「あの丑嶋」という伝説の不良のイメージにしたがう気もなければ、金そのものにかんしてはともかく、それがもたらすものにも興味がない。それが柄崎には誤算といえばそうだった。同じ不良として、また少年院から出てきたばかりの片身の狭い人間として、こんなに稼げる仕事を断るなんてことはあるはずがないと、そうおもえていたのである。しかし断られた。それでいて、獅子谷からの催促はひどくなっていく。柄崎はまだ、丑嶋がなぜ金融を断ったのかよくわかっていなかったはずだ。というのは、依然として柄崎のなかで丑嶋は不良のままだからである。獅子谷が怖い。そのことは丑嶋にも伝わるはず。そのいっぽうで、しっかり実績を出せば稼げないわけではない。やるはずだ、というかやろうよと、そういうところなわけである。ところがそれは、丑嶋からすれば勝手にこちらの都合を計算されて勝手に行く先を決められた、という感じなのだ。

丑嶋は選択次第で刑務所か病院だという。ちょっと微妙な言い方だが、これは、選択じたいがふたつあって、その結果がそれぞれそうであるということではなく、ある選択をしたあとに訪れる結果がそのふたつのどちらかだということとおもわれる。つまり、おとなしくシシックに入ればなにもないが、もしこれを拒否するなら、ここで獅子谷兄弟とたたかわなければならない。相手は相当の悪党で、手加減はできないし、相手もしないだろう。どちらかが重傷を負うことになる。おそらくそういう意味だろう。しかし、こういうことを獅子谷の目の前でいってしまえるというのもものすごい胆力である。つまり、もしこれから獅子谷の誘いを断ったとすれば、じぶんはただではすまない、と同時に、じぶんが相手を病院送りにして、なんなら殺して、刑務所に行くことになるかもしれない、そういうことをいっているのである。どうなるかは丑嶋にもわからない。しかしどうなりえるかを、彼は一瞬にして見通している。獅子谷に脅されていることの恐怖とか、その結果生じる迷いとかは、ここにはまったくない。ただ、事物の因果関係の表みたいなものが目の前に広がっているだけで、必要ならどの方向に進むことも丑嶋は厭わないのである。

そういう彼であるから、柄崎の行動はいかにもあさはかに見えているだろう。柄崎は、丑嶋がいうほどバカではないし、臆病でもない。ただちょっと想像力に欠けているだけだ。だから、いまいち丑嶋のありようというものがつかめていなかった。「自分で考えずにいいなりになった」というのは、獅子谷にかんしてだけのことではない。柄崎には不良の価値観しかない。だから、丑嶋が三蔵のあたまを砕いたのも、不良どうしの喧嘩の文脈でしか解釈できない。それは既存の文脈で、中学生が流行の音楽だけ聴いてそうでないものをバカにするような感覚の、無責任なものである。彼があるアイドル歌謡を好んで聴くのは、たんに流行っているからである。そのアイドルを選んだことにかんして、彼はまったく責任を負うことはないし、それを聴くじぶんというものにも特にプライドをもつことはない。ひとは誰でもそうやって、呼吸するようにして、ある程度は無責任でいることのできる価値観のなかに生きている。そんな柄崎を丑嶋は啓蒙する。不良どうし暴力の量を奪い合う世界で生きることはべつにふつうではないのだし、そうではない世界で生きている人間もいっぱいいる。獅子谷に恐怖し、また同時にあこがれることがあったとしても、ぜんぜんそうでないものもいる。そういうところに想像力を働かせることを柄崎は怠った。彼はただ、不良の価値観のなかに、無責任に流されて生きているだけだ。だから覚悟なんてないし、じぶんの与する暴力の摂理に任せた結果、いま耳を切られようとしているのに、それにおびえている。それはおかしいではないかと、かなりの深読みになるが、丑嶋はそういっていると考えられるのである。

 

 

この思考法は、過程は異なっているものの、じつは獅子谷兄のものとちょっと似ている。獅子谷兄は、金主が客だという前提からはじまり、客として部下を使い、また部下にもその部下や債務者を客としてあつかわせる。選ぶのはつねに獅子谷の側であり、部下たちには他責的な言葉遣いを許さない。鯖野も海老名も、責任を回避し、誰かのせいにしようとしたところで暴力を受けている。もしそれがじぶんの意志で選択したものであり、その暴力の世界も、自分自身わかっていてそこに属しているものであるなら、他責的な言葉遣いは出てこないはずである、獅子谷はおそらくそう考えている。だから、獅子谷が丑嶋の「責任を引き受ける」という生き方を評価する可能性はけっこう高い。これは、ほんとに丑嶋が柄崎の耳を切ろうとするのを獅子谷兄が笑って止めるような展開になるのではないかとおもわれる。獅子谷にはもう、今回のひとことでほぼ入社テストは完了だろうし、そうひどいことをしたわけではない柄崎の耳を落とすのも、シシック的なルールに反している。ここでバトルになるというのもちょっとまだ早い気もするし、そんなふうに僕にはおもわれる。

 

 

丑嶋が獅子谷のいうがままに動いているのはちょっと意外に見えるかもしれないが、実は矛盾はない。まず耳を落とすという行為にかんしてだが、これを丑嶋はじぶんの意志として行おうとしている。だからこそ引用したようなセリフが入る。獅子谷にいわれてやっているのではなく、なんの考えもなく獅子谷を連れてきた柄崎を啓蒙するために、本気かどうかはともかく、耳を切ろうとしているのだ。とはいえ、それは結果としては獅子谷の命令にしたがっていることになる。だがそれも、丑嶋からすれば必要な行動をとっているだけともいえる。丑嶋は暴力の経済に与していない。三蔵を倒すことで、鰐戸兄弟が蓄積してきた貨幣としての暴力はまるまる丑嶋に移ることになったが、丑嶋にはそんなことはどうでもいい。柄崎や獅子谷はそのように受けとめているからこそ、今回の勧誘に至っているわけだが、もしこの力学にしたがったために丑嶋が三蔵を砕いたのなら、獅子谷をあんなふうに軽くあつかったりはしないだろう。何度か書いたように、丑嶋が三蔵にかんして果たしたことは、誰もとることのできない行動をとることができるということを周囲に示してみせるということだった。三蔵を砕いて、三蔵の抱えていた暴力が丑嶋に移り、伝説となったのは、結果としてそうなったというだけのことであり、丑嶋はただ、必要とあらば年上のおそろしい男の頭も金属バットで砕くことができると、そういうことを示しただけなのである。既存の文脈からの逸脱である。三蔵はあたまを砕かれてもおそろしいままではあったが、それでも、まわりのものたちは鰐戸たちをなめるようになってしまった。それは彼らがそういう文脈に生きていたからである。丑嶋はそうではない。もしふつうの不良であったなら、ここで獅子谷の命令にしたがえば、それは屈服を意味し、抱えている暴力は獅子谷のもとに移動してしまうだろう。しかし丑嶋が三蔵の件でなしとげたのは、誰を主語においたとしても成立することのない動詞を実現してみせたということであって、これは今後なにがあっても変化することがない。それは、既存の文脈、ひとことでいえば法からの逸脱であって、「法」それじたいは場面によって変化するが、逸脱というふるまいの価値は保存される。丑嶋は、法を、慣習を、常識を、価値観を超えうるのだと、そういうことじたいは変わらないのである。

 

 

今回は丑嶋が退屈に感じている描写もあった。これは、ドライに金勘定だけで世界を評価するいまの丑嶋からすると、なかなか想像の難しい感情である。要するに刺激に乏しいということなのだ。いまの丑嶋はなかなかカラフルな生活を送っているわけだが、別にそれを望んでいるということはない。すべてを掌握するために金を支配する立場を望んでいる、ということはあるだろうが、それは退屈とかそういう感情的なこととはかんけいがない。もし丑嶋が退屈さを解消しようとしたら、シシックに入ればいい。シシックは退屈さとは無縁だろう。ただそれはカタギに生きようとしているいまのありかたには反しているし、面倒を見てもらっているおじさんを裏切ることにもなる。退屈さは、丑嶋がいまのウシジマくんになった原因のひとつではあるのかもしれないが、決定的なものとはならないだろう。やはり、世界を金で解釈しなければならないと考えるようになるある種の絶望が、このあとやってくるのではないかと考えられる。まだこの丑嶋はウシジマくんには遠いのである。