すっぴんマスター2016‐読書 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

年末はいろいろたいへんになることがわかりきっているから、ブログにかんしては前々からけっこう計画立てているのに、気づくとこんな日付になっているなあ。とりあえずもうあと2日とかで読み終わってなおかつ書評を書けるようなものは手元にないので、読書にかんしては締め切って、いつもの気が重いカウントをしようとおもう。

 

例によって、今回も書評を書かなかったものというのはひとつもなかったので、ブログを見返せばなにをどれだけ読んだか明白である。数えてみると、今年はマルクスの『ユダヤ人問題に寄せて/ヘーゲル法哲学批判序説』からホッブズ『リヴァイアサン1』まで、ぜんぶで25冊の本を読んだ。ブログをはじめてから年々読書数が落ちてはいるのだが、それを考えるとこれは人生最低の数字だろう。去年が32冊、その前が30冊・・・ということでぎりぎり維持してきた30冊を大幅に下回ってしまった。

当ブログの分類規則にしたがって内訳を書いてみると、日本文学8冊、ミステリ1冊、文芸批評1冊、哲学・思想系5冊、言語1冊、雑多な文化のジャンル4冊、随筆3冊、音楽1冊に、未分類が1冊。見て分かるように今年はかなり日本語の小説をがんばった。ぜんたいの冊数は落ちているが、日本文学だけでみたら最近ではかなりいいほうではないかとおもう。しかも高橋源一郎とか町田康みたいな、ふだんからすらすら読めちゃうようなやつがここには含まれていない。まあまあだとおもう。

全体の数が落ちた理由はとしては、たんじゅんに忙しかったということもあるが、それはまあいつものことである。今年に限らぬ。月ごとの読書数を振り返ると、この記事でカウントすることを考えて、いつも10月あたりから伸び始め、読みきれなかったやつを読み終えるので、次の年の2月くらいまでは勢いがよい。じっさい今年も、1、2月と10月から12月だけで15冊もいくのである。だから、記事としては無価値でも、僕個人にはこれは意味のある行動なのだ。それとは反対に、仕事がハードな8月あたりはさびしいことになっている。が、これはいつものことだ。いちばんの理由は、非常に重量級な読書が今年は多かったということがある。年一が限度だったような学術書や、わかりやすく仕上がっているとはいえ難解にはちがいない光文社の古典の新訳などをもりもり読んでいったのである。日本のものでいえば、長谷部恭男の『比較不能な価値の迷路』であり、東園子の『宝塚・やおい、愛の読み替え』がそれにあたるし、光文社やちくまなどの文庫でいうと、マルクスやフロイト、先日読み終えた『リヴァイアサン』など、これまでずっと読もう読もうとしていたものをついに読んだ、という感じのものがかなりを占めるのである。これは正直けっこう達成感がある・・・。できたらここに、憲法関連の勉強として進めているもののひとつとしてルソーのなにかしら1冊と、さらにフロイトの自我論集でも付け加わっていれば文句のない前進だったのだが、まあこんなところだろう。

 

数が少ないのであまり参考になるものではないが、個人的にこれらのなかで印象に残っているもの、勉強になったもの、オススメのものはというと、まず小説では村上龍『オールド・テロリスト』、島尾敏雄『その夏の今は・夢の中での日常』、保坂和志『地鳴き、小鳥みたいな』、浦賀和宏『緋い猫』をあげたい。それ以外ではその長谷部恭男の『比較不能な価値の迷路』と東園子の『宝塚・やおい、愛の読み替え』、フロイトの『エロス論集』、水村美苗『日本語が亡びるとき』、坂井豊貴『多数決を疑う』、内田樹の集大成的な作品『街場の文体論』が記憶に残っている。このなかでベストはというと、小説では『オールド・テロリスト』、それ以外では『宝塚・やおい、愛の読み替え』を、それぞれ迷いなく推したい。『オールド・テロリスト』は、それの前作にあたる『希望の国のエクソダス』も、順序を逆に読み終えたのだが、やはりどちらかというと僕は最初に読んだテロリストのほうが非常に鮮やかに記憶している。あんなに夢中になって小説を読んだのは、エンターテイメント系のものをのぞくとほんとうに久しぶりだった。いまでも細々としたテロの描写をくっきりと思い出せるし、ヒロインにあたるカツラギに感じた不思議な魅力をよみがえらせることもできる。ほんとうに見事な小説だった。なにしろ村上龍の作品なので、難しいことをいおうとおもえばいくらでもいえるのだけど、そういうのはとりあえずおいておいて、とにかく読んでもらいたい一冊である。とはいえ、もうしばらくしたら文庫が出るかなという感じもあるので、それまで待ってもいいとおもうけど。

『宝塚・やおい・・・』も、ひとことでいえばパラダイム・シフトということになるか、いままでよくわからなかったやおいの思考法がこんなにクリアに理解できるようになるとはおもってもいなかったので、非常に勉強になった。いちばん驚きだったのは、原作のある作品を読み解いて、腐女子的な妄想を膨らませていくときに、彼女たちが「証拠」を探す、ということだった(そういう言い方がされていたかどうかは忘れた)。つまり、原作と矛盾するようなカップリング、またはその形状が想像されるということは、ないとはいわないまでも、少ないのである。つまり、それはたしかに傍目には妄想を出るものではないのだけど、アプローチとしてはあくまで「解釈」なのである。どれだけ精密に描かれている作品でも、登場人物の全人生が写実されているわけではないのだし、そこには必ず想像の及ぶ余白がある。そこに構築した新しいイメージが、描かれているものと矛盾しないものなのであれば、それは「解釈」として有効だし、それどころかそういう視点でみていくと、まるでその背景のために用意されてあるかのようなセリフややりとりが浮き彫りになってきたりするのである。ほんとうだよ。僕なんか、ツイッターでやりとりをしているかたたちの影響を受けすぎちゃって、あるひととあるひとがもう「そう」としか見えなくなっちゃったからね。で、よく考えてみると、これは僕が普段ブログでやっていることとなにもちがわないのである。これが今年いちばんの知的な驚きだったかもしれない・・・。セジウィックやルーマンの読解もたいへん刺激的だった。

 

こんなところで。来年もたくさんのすばらしい本に出会えますように。