『草枕』夏目漱石 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

■『草枕』夏目漱石 新潮文庫

 

 

 

 

 


 

 

 

 

「智に働けば角がたつ、情に棹させば流される―春の山路を登りつめた青年画家は、やがてとある温泉場で才気あふれる女、那美と出会う。俗塵を離れた山奥の桃源郷を舞台に、絢爛豊富な語彙と多彩な文章を駆使して絵画的感覚美の世界を描き、自然主義や西欧文学の現実主義への批判を込めて、その対極に位置する東洋趣味を高唱。『吾輩は猫である』『坊っちゃん』とならぶ初期の代表作」Amazon商品説明より

 

 

 

 

 

 

水村美苗の『日本語が亡びるとき』を読んでから、そろそろまともに夏目漱石を読み直さないとという気持ちが高まっていた。夏目漱石の本は、有名なやつは「だいたい」読んでいるのだけど、それはつまりすべてではないということで、しかも僕が夏目漱石を読んだといっているのは小学生のときのはなしであるから、はっきりいって覚えてないし、それはつまり読んでないということだと決め付けてもそれほど無理はない。かといってそういうものを読むよりは、やはりまだいちども開いたことのないものから読むほうが自然だろう、ということで、とりあえずいままでなにを読んだかを調べて、それ以外を手に取ることにしたのだった。とりあえず新潮文庫にはなしを統一して、「坊っちゃん」だけはおもしろくて、しかも短いので、何度も読み返したものだが、「吾輩は猫である」は長すぎて途中で挫折したような記憶がある。「こころ」「それから」「三四郎」あたりも読んだ。「門」「道草」「文鳥・夢十夜」はけっこう大人になってから読んだんじゃないか。「彼岸過迄」も比較的最近(といってもこの10年くらいのあいだ)読んでいたような気がするのだが、ブログを検索しても出てこないので、たぶんどっかにまぎれて忘れてしまっている。あとは講談社学術文庫の、有名な「私の個人主義」である。数えてみるとまあこんなものなんだなと。というわけで、薄いということもあり、とりあえず「草枕」から着手することにしたのだった。いまあげたようなのも、内容は最近のものでもおぼろなので、そのうち読み返さないといけないが、とりあえずは新潮文庫をコンプリートしてから、ということにした。

 

 

 

2016年は夏目漱石の没後100年ということで、ドラマをはじめとしていろいろな催しがあったが、なかでは河出書房新社から出たムックを愛読している。奥泉光の責任編集と題して、高橋源一郎、水村美苗、いとうせいこう、古井由吉、北村薫、法月倫太郎、柳広司、柴崎友香など、ジャンルも年代もぶちぬいた非常に豪華な面々がさまざまなかたちで寄稿している。誰も彼もが漱石を愛し、影響を受け、いまの仕事についているのである。

 

 

 

 


 

 

僕は基本的に作品単独で読解することをブログではやっているので、ほんらいはそうあるべきなんだろうけど、夏目漱石ほどの大物になるとそうもいかない。まずできない。ここまでの日本語の表現が存在するのかというくらいの描写で、芸術と批評が合致したようなことを、200頁もない程度の分量でやってのけてしまうのである。こういうものを手持ちの知識やなんかでいじくりまわしてもバカをさらすだけである。そして、現実には、よくもわるくも聖化された夏目漱石という像がある。ひとことでいえば、夏目漱石というのはひとつの「ジャンル」なのだ。漱石が現役だった時代では、自然主義が主流で、むしろ漱石は異端だった。いまでいうと村上春樹みたいな感じだったのかもしれない。「余裕派」などと呼ばれて、微妙に文学あつかいされていない感じがあったのである。しかし、読み継がれてその価値が再発見されるにつれ、どんどんその作品の底にあった鉱脈が見つかってくる。河出ムックでは大澤聡が書いていることだが、優れた「夏目漱石論」が堆積していき、やがてはその「夏目漱石論」もまた聖典化していく、そういうサイクルがあるのだ。別にそういうのは無視して、好きなように感想を述べればよいという向きもあるだろう。どちらかといえば僕もそういう方針でブログを書いている。しかし漱石ほどの大作家となると、個人のちからではとてもおよばないものがあることはまちがいないのである。というとほかの作家はそうでもないということになりそうだが、そういうはなしではなく、げんに漱石にかんしてはそのことが歴史的に開示されているわけである。少なくとも僕は、漱石にかんしてそういう歴史的研究を無視しても、あるいはまったく参考にしなくてもじぶんの読みが優先される、というふうには、すぐにはおもえないわけである。とはいっても、みずからの感性を優先させる態度は批評的ではなくても文学的ではあるかもしれない。そうした葛藤があるとしたとき、このようなムックは非常にありがたいのである。蓮實重彦とか柄谷行人とかを読み尽くせばいいだろうということかもしれないが、人生は有限なのである・・・。

 

 

しかし、おもえばこうした態度は「草枕」が体現しているものとは逆のものかもしれない。ムックでいうと奥泉光といとうせいこうの対談が非常に参考になるし、解説で柄谷行人もそのようなことを書いているが、「草枕」は既存の文学、特に自然主義を批判したものとして書かれているようだ。「草枕」の主人公というか「余」という一人称で書かれる語り手は画工、絵描きで、俗世間から離脱したどこか田舎の湯治場に出かけて、奇妙な女と会うやら、床屋にごりごりひげをそられるやらしながら、ああでもないこうでもないと、典雅な文体で語りつつ、絵を描くとはどういうことか、俳句とは、小説とはなにか、そういうことを考えていく小説である。有名な冒頭部分にその主旨はほとんど示されている。

 

 

 

 

 

「山路を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る」

「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、難有い世界をまのあたりに写すのが詩である、画である」

 

 

 

 

 

 

だから「余」は旅先で「非人情」を求める。奥泉光によればこれが、まさしく人情で書かれている自然主義への批判になっているのである。ここでいう「人情」というのは、人間が感情に突き動かされて生じるもろもろの出来事、くらいの意味で、人間は仕事にしても人付き合いにしても、感情で生きているから、人間との関係全体が人情を要素としている。日本の自然主義は、西洋のリアリズムを輸入したときに、「ありのまま」を書くものとして理解し、発展したものだ。作者が実際に体験したことをやや露悪的に描き、感じたことを書こうとすれば、自然と「人情」を描くことになる。しかし、こういう世界が、ときに窮屈で住みにくい。かといって引っ越しても大したちがいはない。それを調整するのが芸術の役目だと。

 

 

 

 

 

「恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。然し自身がその局に当れば利害の旋風に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んでしまう。従ってどこに詩があるか自身には解しかねる」

 

 

 

 

 

これを理解するには、第三者的位置に立って、じぶんの利害を棚にあげて、芝居や小説を見ればよいのだが、この場合でさえも、わたしたちは主人公に感情移入して、愛だ正義だと揺れ動くのが常であり、それではいけない。「余」も人間であるから、作者じしんの抱えているそのままの意味での人情は、無視できるものではない。しかしここでいわれていることはもっと関係性とかそういうことだろう。ときに興をそがれることはあっても、田舎にでかければこの点はまず達成される。では、みずからの感性、あたまのなかで起こったことだけを手掛かりに絵を描けばいいのかというと、そうかんたんなはなしでもない。ある詩情をかきたてる好題目にぶつかった「余」は、そこにいろいろ理屈をつけて考え込んでしまい、踏みつけにしてしまう。修行がたりないと「余」はいう。

 

 

 

 

 

 

「こんな時にどうすれば詩的な立脚地に帰れるかと云えば、おのれの感じ、その物を、おのが前に据えつけて、その感じから一歩退いて有体に落ち着いて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。詩人とは自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している」38頁

 

 

 

 

 

 

漱石は、「坊っちゃん」とか「吾輩」みたいなユーモアのセンスで他人にもじぶんにも韜晦するようなところがあって、そのうえで、断定的な決め付けをしているようなところがある。評論ではなく小説であるから、「余」がそう考えることに論証は不要なわけではあるが、自然主義が本流だったあの時代にこうした極端なことを書くということには、なにかこう、説得とか論破とかいうような挑戦的な姿勢より、ヒントというか、こういう方法もありうるのだという提示が見て取れるかもしれない。

哲学的には、「おのれの感じ」を「一歩退いて」第三者的に見ることは果たして可能なのか、という問いが成立しうる。厳密なことをいえば、一歩退いても、それを見ているわたしの認識が変わることはないし、第三者的なものとして採用しているある視点も、わたしの内側で構築されたものである。ここで「余」が検死官の立場でたとえているのは、かなり正しいわけである。じぶんの屍骸を解剖して検死することは、誰にもできないのである。

それはできない。しかし、芸術家は、それをやらなくてはならない、少なくとも目指さなくてはならない。そうでなければ芸術ではないと、「余」は考えるかもしれないが、くりかえすようにおそらく漱石はそういうわけでもなかったのではないかとおもわれる。そのわりには、極端なことを断定調で書きすぎなのである。漱石は、あの時代、ひょっとしたらいまもそうなのかもしれないが、硬直し、いっぽうに偏りがちな文壇、あるいは社会というものの良心として機能しようと努めていたのではないだろうか。

そういうことを考えたとき、あるいは、聖化された漱石を、聖典を読み解くように、また聖典を読み解いた作品を読み解くように、アカデミックに学ぶことは、正しいのだろうかと思い至るわけである。「余」は「自然そのもの」を見出そうとしたが、わたしたちは果たして「漱石そのもの」を、取り出せないとしても、せめて見出す努力をしているだろうか。

 

 

認識系の視点から見ても、「余」の発想はいまも新鮮味がある。まず前提として、わたしたちも忘れがちであること、ひとによって見える世界がちがうということがある。自然主義批判は、たんに美意識的に「嫌だったから」という可能性はかなり高いが(そういうところがある感じがする)、それと同時に、それは可能なのかということもあったとおもわれる。つまり、「あるがまま」を書くことは可能なのかということである。この点だけを見れば両者は通じている。しかし、自然主義はこの際「人情」に傾く。「あるがまま」の世界が仮にあったとして、それを各自各様のしかたで受け取ったあと、手に取れるかたちにしたのが自然主義なのだろう。けれども、それはそのひとの見た固有の世界であって、それはそれでよいとしても、少なくとも「あるがまま」からは遠いのではないかと。もしほんとうに「あるがまま」を書こうとしたら、わたしの感じ取った人情の起伏はむしろ排除されなければならない。そして、さらに前提として、詩や画は「難有い世界をまのあたりに写す」ものである。そうすることでわたしたちは住みにくい世にわずかばかりの安定をもたらそうとする。なぜそうなるのか。世は人情のもつれあいでときに住みにくいものになる。しかし、その背後にある自然的な世界は、一定の姿を保って存在している。他人のものだけでなく、じぶんの人情にもとらわれているわたしたちにはなかなかつかみがたいものであるが、それが存在しているということが、あるいはそう感じられるということが、わたしたちを癒すということもある。これは、思考法としては、じぶんが死んだあとの世界、じぶんが存在していない世界を想像するものと形状としては等しいだろう。闇金ウシジマくんという漫画の洗脳くんというおはなしで、洗脳されて犯罪に手を染めてしまった主人公が、償いを果たしたあと、咲いては散る桜を見てなにかを解消しているような場面が描かれていた。洗脳はひとの思考を限定し、コントロールする方法だが、これがおそろしいのは、そのように他人事として語るわたしじしんの思考がなにものにも洗脳されていないと断言することはできないということである。その不安を解消することは原理的にできない。わたしたちは全員実在しないゲームのなかの登場人物なのかもしれないが、全員がゲームのなかにいるという前提があるかぎり、それを検証することはできないのである。しかし、桜が毎年同じ時期に咲いて、また散っていくことは間違いない。自然は、いつもそこに安定的にあるのである。

自然といっても樹木や野生のことばかりをいうのではなく、ここでは人情を排除した世界全部という意味でとらえてもいいだろう。だから非人情なのである。検死官がじぶんの死体を調べることができないように、芸術も、自然をありのままに取り出すことは難しいだろう。しかしそれを目指すことはできる。そして、そういうものしか、人情まみれの住みにくい世界で生きるわたしたちを癒すことはできない。自然主義を本流とする、息苦しく、住みにくい文壇は、人情でがんじがらめになっており、「そうではないもの」、つまり「非文壇」を想像することが非常に難しくなっていたにちがいない。文学が社会の声だとすれば、社会そのものもそうであったのかもしれない。ともあれ、漱石は自然のあるがままを「余」に探究させると同時に、住みにくい世界に住むものが目を向けるための機能として、自分自身を配置していたのではないだろうか。

 

 

思いつきの乱暴な考えではあるが、もしそうだとすると、漱石を制度的なものとしてあつかうことは、わたしたちの感想がどうであれ、おそらく漱石じしんは首肯しないのではないかとおもわれるわけである。かといって反動で漱石を「えらい小説家」より身近なものとしてとらえる風潮もどうなのだろうとはおもうが、それでも、それもこれも漱石がすばらしい小説家だったから、その結果なのであって、避けられないことなのかもしれない。そのうち「夏目漱石論」も専門家でさえ読み尽くすのは不可能という量になって、一周して学問的なところから離れていくかもしれない。