第137話/救助(すく)う
アメリカの大統領選の結果を受けてねじこまれたとおもわれるトラムプの勇次郎への宣誓が終わって、武蔵の描写に戻ったとおもったら、今回はもうひとりの大統領候補だったヒナリーの描写である。この不規則なエピソードの配置の意図するところは不明である。経験上、この手の展開は単行本で勢いよく読まないとわからないことが多い。なので、とりあえずは見たままをうつしとってみることにしよう。
ミセス・ヒナリーをヘリで案内するのはストライダムだ。ヒナリーにいわれて、彼女を勇次郎に紹介することになったが、もちろん気は乗らない。生命の保証はできないのだから、身内だったら無理矢理でもやめさせるだろうと。しかしヒナリーは聞き入れない。こうしてみると、個人としての勇次郎が国家に匹敵する、というようなことを聞いて鼻で笑うこれまでの政治家たちと同じ反応のようだが、ヒナリーは勇次郎のことを知らないわけではない。ストライダムは、ヒナリーは勇次郎のことを理解(わか)っていないという。ヒナリーがどれだけ大物でも、肉体的には等身大の人間を出ないのであり、そんな彼女の抱える常識でははかることができない存在、怪物なのだ。でもヒナリーはそのあたりをわかっていないわけではない。つまり、わかっていて向かうのだ。
しかし、そもそも彼女は大統領選に敗北したのである。大統領が、アメリカの代表として勇次郎と会見するというのははなしとして筋は通っている。しかし彼女はちがう。ここには、トラムプに対してまだ敗北していない、という考えがあるようだ。負けていない、つまりトラムプは大統領としてふさわしくない、だからじぶんがいく、ともとれるが、彼女はトラムプから合衆国を救助(すく)うのだ、という言い方までしている。彼女の認識では、トラムプが大統領になることで合衆国は救わなければならない状況になった。だから、いま、「武」そのものともいえる勇次郎と友好関係を築くことが重要なのだと、こういうことなのだろう。トラムプがすでに宣誓を済ませていることくらいはヒナリーも知っているにちがいない。つまり、彼女には、大統領の直接の宣誓以上に勇次郎がこころを許すかもしれない、なんらかの手札があるということなのだ。
そしてヒナリーはノックなしで勇次郎の部屋に突入する。そこで、信じられないものを彼女は目にする。ふたりがやってくる気配を感じたのか、勇次郎が部屋を入ってすぐのところに突っ立っている。トラムプのとき同様、パンツ一丁で、血管の浮き上がった全身の筋肉がかたく露出している。そして、それと同時に、パンツから勃起したものもかたく露出している。わけがわからん。
悲鳴をあげないまでも、口元をおさえ、それを指差して、ヒナリーは硬直する。そりゃそうだろう。誰か男性に会いに部屋にやってきて、ドアをあけたらパンツ一丁で棒立ちしていて、しかも真顔で勃起してたら、ヒナリーが男だったとしても反応に困っちゃうよ。
ヒナリーがしゃべる前に、勇次郎は「宣誓は受けねェ」という。いったはずだと。となると、当たり前だけど、ヒナリーはストライダムを通してアポをとっていたのだろう。なにをしにくるのかと当然勇次郎は訊ね、宣誓だといわれて、それは受けないと、いちおうそういうやりとりがあったものとおもわれる。
激しく困惑しつつも、ヒナリーは、彼女が切り札とおもっていたものらしきことをくちにする。彼女は勇次郎の妻、バキの母である江珠と友人だったのだ。彼女がとてもすてきな女性だった。だからと、理由にはなっていないが、ヒナリーは個人的に宣誓させてほしいのだと、涙を浮かべながらやっという。ほとんど懇願しているという状態だが、勇次郎は「誓いはいらねェ」という。誓いを禁止しているとかいうことではなく、誓いをするまでもないということのようだ。そこに続けて、勇次郎は「江珠の友人なら守護(まも)ってやる」という。このぶぶんは興味深い。だが、勝手に誓うようなら犯すとも続ける。わけがわからん、ことはまちがいないが、かたく勃起した勇次郎自身が、「何度もだ」と続ける説得力はたいへんなものである。これを受けてヒナリーは顔を赤らめてしまう。勇次郎が禁止している誓いをしたその代償が、「犯す」ということであるのだから、勇次郎はそれによって損なわれるもの、奪われるものが、ヒナリーには依然としてあることを認めることになる。いささか定型的な反応ではあるが、そうしたことをヒナリーは遠まわしに感じ取ったのだろう。ヒナリーが男性であったなら、勇次郎はそんなことをいわないのだし、いったとしても顔を赤らめることはない。禁止を破る罰として女性ならではのものが選ばれたことに、ヒナリーは勇次郎におけるじぶんの女性あつかいを感じ取ったのである。定型的ではあるが。
異様なやりとりに百戦錬磨のストライダムも呆然としている。ヒナリーはどうした感情からか鼻血を流し、それをふきつつ、こんな怪物に犯されたらひとたまりもないと、勇次郎だか勇次郎自身だかを評価しつつ、きびすを返す。疲れからか理解できないものを見たせいか、床にうずくまるストライダムを置いていくヒナリーは、けっきょくなにもしていないのに、なにかをなしとげたように悠々と去っていくのだった。
つづく。
こんなわけのわからない回があっただろうか。いやあったな。伝説の味噌汁最終回に比べたらまだ分かりやすいものだ。
ヒナリーはトラムプへの敗北を認めていない。とはいえ、彼が公式に大統領になることはもはや揺るがない。そして、彼女からすればトラムプは好敵手というより合衆国を危険にさらす可能性のある油断ならない人物である。だから彼女は勇次郎を味方につけようとした。ロシアとか中国みたいな大国を味方につけるよりは、個人を説得すれば済むはなしであるという点、たしかに、いくら勇次郎が気難しい危険人物であったとしても、まだ易しいとおもえるかもしれない。ヒナリーは勇次郎の危険度を理解しているようではあるが、彼女は江珠の友人でもあった。これをつかえば、妻の友人ということで、彼を「身内」にすることができるだろうと、そのように考えたのである。
今回最大の謎は、なぜ勇次郎が勃起していたのかということである。トラムプのとき同様、全身にちからがみなぎってパンプしているので、あそこも力がみなぎってしまったということだろうか。しかしそうなると、ある程度のレベルのたたかいのたびに勇次郎は勃起してしまうことになる。そんな気配はいままでいちどもなかった。あったのかもしれないが、とりあえずわたしたちは気づけなかった。
もしこの勃起が、ごく当たり前に性的興奮の結果だとすると、これは事故なのだろうか、意図的なものなのだろうか、という次の疑問にぶちあたる。とりあえずは、部屋に女を呼んでいたとか、アダルトなチャンネルを見ていたとかいう様子はない。様子はないだけなのでそうではないとは言い切れないが、描写の流れからしてそうはおもわれない。というのは、たしかにこの勃起は、ヒナリーに向けたものに感じられるのである。
誓うな、という禁止事項を破った代償として、勇次郎は彼女を犯すという。相手が男なら、柳の顔を砕いたように、暴力が彼に制裁を加えるだろう。しかし、武そのものといえる男が、わがままを阻む女性に対しては、犯すという行動に出るという。これは同時に、勇次郎が相手をたしかに女性としてみていることを指す。これがそのまま勃起可能を示すことにはならないが、いずれにせよ、勇次郎がやるというのだから、やる気はあるのだろう。
勃起の理由については、可能性としてはふたつ考えられる。ひとつはたんじゅんに、宣誓はいらないとしつつもやってこようとしているヒナリーに興奮していたということである。考えにくいことではあるが、犯すなんてことをいう以上、その可能性も完全にゼロではない。
もうひとつはまだ多少現実的で、これがトラムプに対したときの筋肉の膨張と同様、ひとつのメッセージであるということである。
トラムプの宣誓のときに見たように、勇次郎にとっても、アメリカによる不可侵条約、友好条約は、望ましいことなのである。わがままを通すことを旨とする存在なので、たがいにそういう条約を結んだり、そのようにうながしたりすることはありえないが、あくまで「アメリカの側からすすんで」ということなのであれば、勇次郎としても断る理由はないのである。そして、いくら勇次郎が強力な存在でも、一国すべてを敵にまわして完全に無事に済むはずはないし、そうでなくても、負けはしないまでも、いまのようにバキや武蔵のような単独の強者を求めてさまよい歩く、なんてことも到底不可能な状況になる。アメリカをうまくやっていくことは、勇次郎にも悪いはなしではないのである。そして同時に、アメリカにとっても、たんに有害な存在である勇次郎を味方として引き入れてしまうということ以上の意味がある。今回ヒナリーが武力として勇次郎を取り込もうとしていたことが、それを端的に示している。はじめて勇次郎と条約を結んだ大統領がじっさいになにを考えていたかは不明だ。しかし、どんな要人でも必ず、100パーセント殺すことができて、しかも万が一大軍を相手どることになってもまず負けることがない、そんな存在を遊ばせておく手はなく、おそらく当時の大統領はむしろ積極的に勇次郎に接近し、低姿勢を崩さず、これに誓いを立てたのではないかと考えられるのだ。
そうしたわけで、勇次郎としても、自覚があるのかどうかは不明だが、滞りなくアメリカからの宣誓を聞き届けたいという欲望がどこかにあったとしても不思議はない。それが、まずトラムプに対しては筋肉を誇示させた。この新しい大統領はもともとビジネスマンで、金で世界を解釈する人間である。だから、通常の、常識人である歴代の大統領が勇次郎の暴力を信じないのとはまた別の意味で、このはなしをすぐには信じない。金以上に強力なものなどこの世にはないからである。それをわかっていたから、勇次郎は最初からそうではないということを示しにかかった。金でコントロールできないものがこの世にはあると、それをまずは思い知らせないことには、宣誓が果たされることはないのだし、これが果たされなければ、勇次郎の悠々最強探索ライフも中断せざるを得なくなる。かくして勇次郎は、トラムプ到着前にからだをあたため、全身の筋肉を膨張させることになったのである。
こうした、ある種のメッセージが、おそらくこの勃起にも含まれている。ただ、ヒナリーにかんしてはそもそも宣誓を認めていない。彼女は大統領でもなんでもないのだから、それも当然である。しかし、不可侵・友好を誓うというだけなのであれば、別にいいんじゃない、という気もしないでもない。要するにこれは勇次郎の生活にはいっさい口出ししませんよということなのだから、それなりの実力者であるヒナリーがそれをするというのは、無意味とはおもわれないからだ。
注目すべきは、江珠の名前が出たあとである。ヒナリーは、宣誓をはじめた第40代大統領と同様、友好を通して勇次郎の武力を利用する気ではある。しかしそれは言外にそういう意味が含まれる可能性があるというだけのことであり、明文化されてはいないのだし、勇次郎にもその意図があるとはおもえない。しかし、個人的に江珠と親しかったじぶんに、友好と不可侵の宣誓をさせてくれと懇願するヒナリーに、勇次郎はその必要はないとする。続けて、江珠の友人なら(宣誓するまでもなく)守ってやると。おや、とおもわれないだろうか。僕の記憶がたしかであるなら、アメリカ大統領の宣誓は、アメリカが勇次郎の生活にかかわらないということだけをいっていたのであり、また勇次郎のほうからはなにをするという締約もなかったはずだ。しかし、この言い方では、アメリカによる宣誓には、勇次郎によるアメリカの、あるいはアメリカ大統領の守護も含まれていることになるのである。というか、じっさいそれは含まれてはいたのだが、勇次郎が自覚しているのかどうか、微妙なはなしだったわけである。従属ではなく友好である以上、アメリカ(大統領)と勇次郎は「お友達」なのであるから、襲われるお友達を見過ごすことが非常識だとすれば、勇次郎はアメリカを外敵から守らなければならない。しかしそれは明文化されてはいないし、あくまで常識の文脈におけるはなしで、友人でもじぶんの身はじぶんで守れよとくちにするものがじっさいいたとしても、それほど不思議ではないわけである。
勇次郎がヒナリーの意図を汲んだという可能性はある。つまり、大統領選に敗北したヒナリーがじぶんのところにくるというのはどういう意味かと、彼は推測したはずなのである。大統領ではないのだから、国の代表としての行動ではない。慣習でもない。としたら、じぶんの強さを求めてなんらかの必要からそれをしようとしているにちがいないと。そこから、ごく自然に、ヒナリーの身を守るくらいのことはしてやると、そういうはなしが出てきたのかもしれない。しかしそれと同時に、ここにはアメリカとの関係性において勇次郎が果たしている役割も見て取れるわけである。「お友達」として、仮に行使はしなくても、つまり抑止力としてでも、じぶんの暴力を用いることをある程度は認めると、そういう約束事が、あの友好条約には暗黙裡に含まれているということは、勇次郎も認めるところだったのである。
江珠との関係についてはどうやらいまはじめて知ったようなので、勇次郎は最初はまるきり断るつもりだったはずである。くどいようだが、ただ友好条約を結ぶだけなら、別に放っておけばいいという感じもする。だがこうみると、「友好条約」というのは、生活レベルで見たものとあまり差がないわけである。勇次郎はアメリカ合衆国に匹敵する武の持ち主であるかもしれないが、同時にこれは、アメリカ合衆国は勇次郎に匹敵する武の持ち主ということにもなる。だからこそ、友人関係でいることに、表面的には渋々という風情を装いながら、勇次郎は納得してきたわけである。そして今回わかったように、この条約には暗黙裡に勇次郎からの支援も含まれている。少なくとも勇次郎はそう感じている。だから、相手は誰でもいいということにはならないのである。勇次郎に屈服したすべてのものが友好条約を結ぼうとしたら、同時に勇次郎は、倒した相手すべての安全を守らなければならないという、意味不明の状況になってしまう。みずからと同等の戦力であるアメリカ合衆国そのものに対してという条件であるから、彼は宣誓を認めてきたのである。だから、当初はヒナリーを追い返す気だった。この時点で勇次郎は、ヒナリー追い返し仕様として自身を勃起させていたはずである。おそらくこれは、ヒナリーを、国の代表としてではなく、ひとりの女性として見ている、ということの表現だったのだとおもわれる。もしヒナリーが大統領として部屋を訪れていたなら、こうはならなかった。そこにやってきたのはヒナリーという女性ではなく、アメリカ合衆国という、実体なき概念の代表者であるからだ。しかしじっさいはちがう。やってくるのは、じぶんとは対等の立場ではない、ただの女性である。そのことを示すために勇次郎は勃起させて待っていたのではないか。そしてこの事実は、彼女が妻の友人であり、守ってやってもいい存在であるということが判明したあとも変わらない。ヒナリーは国家の代表としてではなく、女性として、つまり一個人として認められたことになにか満足してしまったようだが、それは勇次郎の思うつぼなわけである。
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