第125話/歓迎
ふつうではない武蔵の斬りたい衝動に逃げ出したピクルを抱き止めたのはわれらが本部以蔵である。ピクルがほとんど幼児のようなものであるぶん、武蔵の悪役っぷりは相対的に増すことになった。そこに推参した本部以蔵はまるっきり正義の味方である・・・。少なくとも僕の個人的評価のうちでは、本部を応援する気持ちはかなり強くなってる。こうした感想には影響ないとおもうけど・・・。
本部のことは武蔵も知っている。勇次郎とのたたかいを邪魔されたとき、ほんの一瞬の接触ではあったが、そのことで彼を評価しているのだ。ただ、今日は「ピクルの日」、こうして闘技場を用意して、観客にも連絡してやっている以上、ルールはなくても形式としては試合のものなわけだし(げんにピクルはこの日に向けて「調整」してきたようなものだし、武蔵にもそんなところはあったかもしれない)、なにも今日じゃなくていいのではないか、というのが光成の言い分である。しかし、これをみていた渋川剛気をはじめとした手練れのものたちは、本部の登場を拍手でむかえる。なにかを期待しているのか、こんな卑怯なタイミングを正確にねらってくる本部をたたえたものか、ともかくみんなはそれを認めているのだ。
その拍手に本部が礼をして応えているが、光成はまだこれを認めない。みんながよくても、肝心の相手がどうおもっているかはわからない。武蔵が断るとはおもえないが、光成的には武蔵はゲストであり、気持ち的にはマネージャーみたいなものかもしれない。それか舎弟とかかな。決定するのは武蔵だと、そのことに念をおす。それもそうかもしれない。仮にこれが路上で発生したことだとしても、今日はやりたくないからと相手が逃走してしまえば、たたかいは成り立たない。闘技場でやる以上、光成としてはしっかりした試合として成立させたいだろう。ひょっとしたら気分的にのらないとか、そういうこともあるかもしれないうえで、突発的なたたかいをすんなり認めるわけにはいかないのだ。
本部が光成の横をぬけて武蔵の前に立ち、かなり近くで顔をのぞきこむ。決めるのは武蔵じゃないと、本部はいう。やらないなら、背後から刺すと。厳密には決める決めないのはなしは光成が持ち出したことで、武蔵はひとことも発声していないのだが、ともかく、本部は武蔵には選択権がないことを告げる。相手にきちんと全力を出させたうえで勝ちたいとか、そういうフェアプレイ精神は本部にはない。たたかいから逃げるなら、不意をついて殺すだけだと。逆にいえば、ここできちんと試合を成立させることは、武蔵の命を救うことにもなるわけである。
おそらく会話のそのままの流れで、本部がポケットにつっこんでいた手を抜き、武蔵の顔面になにか粉の入った袋を叩きつける。はなしながら通常の攻撃に不意打ちでうつるとしても、まさかこんな至近距離でものを投げつけてくるとはおもいもしない、ということだろうか。ガイアはこの試合運びを「上手い」という。じっさい、動きとしては抜拳術に近く、よけるのはかなり困難であり、しかもそこからあらわれたものといえば拳ではなくなんか軽そうな物体だったわけである。基本的に現代にきてからの武蔵は好奇心で動いているので、不意打ちをくらいがちだが、それにしてもこれは失敗だったかもしれない。右目をふさぐのはぎりぎり間に合った。しかし左目にはこれを受けてしまう。
間髪入れず本部は武蔵の足のあいだに腕を通して帯の腰のぶぶんをつかみ、顔面に体重をのせて回転させ、地面に叩きつける。そこで武蔵の金的をつかんでパンしたら勝ちだったのでは・・・ともおもうが、勇次郎戦でのトラウマがあるから、金的への攻撃にはほかよりずっと敏感かもしれず、おとなしく技をかけて正解だったかもしれない。よく見えないが、受身はとれている?
観客のほとんどはこれを奇襲の成功ととらえている。すかさず本部は、倒れた武蔵の左足をとって、アキレス腱固めの体勢になる。そこからの描写はよくわからない。本部が後方に倒れるとともに、武蔵が飛んでいくのである。武蔵はされるがまま、驚きを含む表情でまっすぐ飛び、手で地面を弾いて大きなダメージを回避している感じだ。ふつうに見ると本部が投げているようだが、どうだろう、アキレス腱固めの体勢からひとを投げることは可能だろうか。アキレス腱がどうなったのかはよくわからないのだが、少なくとも投げるためには、上体が持ち上がらなくてはならず、膝が曲がるぶん、ふつうのきめかたではそうならないようにおもえる。よく見ると本部はアキレス腱といいつつも、けっこう深く、膝近くのあたりをとらえているようで、こう、太ももの裏あたりを前腕で押すようにしつつ、じぶんの上体を水平から90度以上そらせば、まあ、武蔵のからだが浮かないこともないかもしれない。しかし、こんなに飛んでいくためには、相当なパワーとかスピードが必要じゃないかな・・・。あるいは、そう見えないけど、アキレス腱へのダメージを軽減するために、武蔵が若干地面を蹴っているとか、そんなことかもしれないが。
横になった武蔵が右目をあけて、無事を確認する。左目は涙にまみれてほぼ見えないようだ。しかしつぶれて失明してしまったわけではないので、涙で粉がぜんぶ出たら、左目も見えるようになるだろう。つまり、奇襲の目潰しでつかんだ本部の優位は一時的なものであり、本部はなるべく早めに行動に出たほうがいいということだ。
武蔵の意志とは関係なく(実際は喜んでいそうだが)現代に復活させられ、会うひと全員が必殺の攻撃を仕掛けてくる武蔵は、なんだかちょっとかわいそうな気もするが、それをひどいことだと愚痴ったり、あるいは病んだりということもなく、いまも淡々としている。彼の時代では、そんなのは別にふつうのことだったのかもしれない。それは街に出るときはもちろん、家の中でもつねに緊張していなければならない生活になるだろうし、緊張をほどくためには、自然体で闘争ができる達人にならなければならない。スマホとかがない時代でほんとによかったな。
ダメージ回復の時間稼ぎということもあるだろう。本部は膝をついて正座になりつつ、はなしをはじめる。近間からの目潰し、逆落とし、足挫き、どれも武蔵の時代の、合戦の現場でつかわれていたものだという。武蔵の知っている「当時の」技術なのである。武蔵は本部を歓迎するという。そして本部は闘技場で煙草に火をつけ、また光成に戸惑わせるのだった。
つづく。
アポなしで闘技場にやってきて参戦、説得する光成の横をすりぬけて奇襲、そしてタバコと、光成が小姑に見えるような感じの描写が続いているが、これは本部の実戦性を示したものだろう。
闘技場でも実戦によく似た、それこそちがうところを見つけ出すのが難しいくらいの状況をつくることは可能である。そうやって、武蔵と烈のたたかいは組まれた。ただそれは、武器なしの闘技場ルールに武器をつけくわえた、アクロバティックな実戦性である。本部や武蔵の知っている実戦というものは、もっと流動的で、その場限りで、環境利用的で、それでいて技術的に洗練されているものだ。決められたテーマ(原曲)のコード進行のうえでアドリブをするジャズ演奏者は、極端なことをいえば「適当」に弾いているだけである。しかし現実的には、相当な技術的洗練がないと、即興演奏というものはできないし、聴くに耐えるもの、また歴史に残るような名演ともなると、その楽器にかんしては世界トップレベルの技術と圧倒的な才能がなければ難しい。
ただ、このジャズの演奏にかんしても、テーマという、ある程度のルールはある(なんにも決めず演奏をはじめるキース・ジャレットみたいなひともいるにはいるが)。闘技場はいってみればこの即興演奏における、コードを示し出すテーマである。
光成はその闘技場の管理人だ。いくら闘技場で、武器を解禁し、「ルールなし」を宣言しても、それはその空間に「ルールなし」という約束事が設けられたというだけのことでしかない。場所も決まっていない、時間も決まっていない、そんなたたかいを「管理」することなど、原理的にはできないのである。
そういう葛藤が光成のなかにもあり、おそらくそれだから、作中では二度、前田光世方式という、ある指定した場所で参加者にうろついてもらい、出会ったときを開始とする方法が提案されている。あれは闘技場では管理しきれない本当の実戦性をどうにかそうしようとした結果の提案だったのではないかとおもわれる。だがこれも、時間と場所を決めている以上、闘技場の拡大解釈といえないことはなく、本部や武蔵の属しているものとは異なるだろう。さらにいえば、武蔵たちはそもそも社会というものさえ前提にしていない。街中で喧嘩が起これば、日本であればすぐ誰かが通報して警察がくるし、その通報をしたものを含む周囲の無関係な一般人への配慮も、「社会」人としては不可欠となる。どんなに「ルールなし」を追求しても、そもそも「ルールなし」という発想が厳しいルールのある試合を経験したうえで発想されているのと同じく、それはある秩序の内側でぎりぎり許される範囲を探すという人工的な領域を出ないのである。
武蔵や本部の体現する実戦性は、だからわたしたちがふつうの意味でつかう「喧嘩」とか、そういうものの延長にはない。人間どうしの約束事の一切が排除された、それはまさしく自然状態であり、もっといえば、「自然状態ではない世界」さえ経験していないような、原的世界である。前田光世方式をとことんつきつめたものを「ルールあり」の状態からの相対的自然状態だとすれば、武蔵のいる世界というのは、どんなばあいも通用する技法でなければ生き抜けない絶対的自然状態なのである。それはたとえばどんな状態かというと、つまり「合戦」である。ルソーによれば戦争とは、国民どうしの約束事である憲法への攻撃にほかならない。合戦というものが存在できる歴史的文脈でいえば、ある国が、自国のルールが正しいことを示すためにある国を滅ぼしたとか、そういうことになるから、勝利者の憲法はどの場合でも通用していることになる。しかし合戦の現場ではどうではない。殺人を禁じている法律も、こうしたばあいの行動は法理的には有事として解釈されて、無効になってしまうだろう。これがこの場合の自然状態の絶対性である。どちらの国の法律がなんであろうと、その現場ではすべて効力を失ってしまうのである。
光成が本部にちまちまと噛みつくのもだから自然なことで、本部が技法として帯び、いま解放しようとしているものは、光成が実現しようとする管理的姿勢とは無縁なものなのだ。
そして、その技法を、今回武蔵は合戦の現場でつかわれていたものだとした。本部は、アキレス腱の痛みをおそらく武蔵は知らないだろうとしていたが、どうやら武蔵は経験済みだったようである。ただ、こういうひとたちは戦略のために平気な顔で嘘をつくので、本部の真実がどこにあるかは不明である。ただ、いずれにしても本部がこれまで行ってきた鍛錬は誤りのないものだったことがここで証明された。本部の本心がなんであろうと、じっさい「足挫き」は現場の技術だったのだ。武蔵が知らないかも、というからには、あるいは戦国から伝わる種類の技術には、こうした技はなかったのかもしれない。しかしげんに本部は身につけ、こうして使っている。合戦的実戦性を旨とする本部が、必要であると判断し、身につけた技術は、武蔵が知っていようといまいと、たしかに戦国の現場でつかわれていたのである。本部はまちがっていなかったのである。
本部の隠し武器は主に上着のなかにある。この様子だと、軽いものはポケットにも入っているかもしれない。たったいまつけたタバコももちろん武器である。武器になる、のではなく、そのまま武器なのだ。アキレス腱のダメージは不明だが、とりあえず片目が見えないとかなり不利になってしまうから、武蔵は時間をかせごうとするだろう。本部はこのチャンスを逃してはならないだろう。彼らの武はえげつないから、本部はふつうにそのタバコで残った右目をねらうかもしれない。
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