第396話/逃亡者くん⑧
飲みにいった帰りのマサルとのどかだろうか。若いふたりが夜通し遊んでいるのだし、どこかに泊まった帰りのようにも見えるが、のどかは「酔っ払い」といっているので、ふつうにオールで呑んでいたのだろう。ご機嫌ののどかが「にーぶいかーぶい」とうたをうたう。なんのことやら、意味は想像もつかない。マサルが訊ねると、のどかが下のほうをじっと見て、たぶんマサルにも下を向かせて、その耳たぶに軽く噛み付く。で、またマサルが赤くなってる。びっくりしたと。うん、マサルはなるべく早めに丑嶋が沖縄にきていることに気づいたほうがいいな。ちなみに意味は眠い眠いということだそう。
新城らしき男に案内された民家では、丑嶋と柄崎がご飯を食べている。塊肉の焼きメシという、柄崎の自信作である。男のつくった料理って感じでおいしそうだけど、丑嶋は普通だという。というか、丑嶋はご飯のうまいまずいじたいにたいして興味がなさそう。気になるのはたんぱく質の含有量だけ・・・。
派手に動いて地元のヤクザの目につけば、東京に連絡がいってしまうかもしれない。ふたりはじっとそこで待つしかない。暇だけど、たぶん戌亥がなんとかしてくれるだろうという気持ちのようだ。うーん、こういうのみると、そこまで熱心にマサルをつかまえようという気はないのかなというふうに感じる。そんなに焦ってはいないのだ。互いに、相手の手前、かっこつけてるみたいなところがあるのだろうか。
その戌亥は、丑嶋のかわりに足でマサルを探している。ネットワークをつかえばたぶんすぐ見つかるんだろうけど、いまの丑嶋はどのようなかたちでもヤクザと接触したくないので、そうするしかないのだ。なにをしているかというと、電柱に貼ってあるような金融の広告に片っ端から客として電話をかけ、呼び出して、遠くからそれを確認するという方法なのだった。いくら沖縄が広くはないとはいっても、那覇といえばふつうに日本の都市なのだし、これはちょっと効率が悪すぎる。だいたい、ひとりで営業しているのでなければ、仮に金城のところにかけたとしてもマサルがくるとは限らない。それでもし金城のところを可能性からはずしてしまったら、もうマサルは見つからないことになる。そのくらいのことは戌亥も理解しているだろう。見つかるかもしれないし見つからないかもしれないが、とりあえずいまは数を撃つしかないのかもしれない。
金城の会社の事務所。はじめてマサル以外の従業員たちが登場する。金髪の男が集金額を計算して、20万合わないことに気がつく。金城は心当たりがあるようだ。従業員が複数集まっているとき、照哉という男をじわじわ責めていく。マサルはいつもの作業着を着ているが、そのほかはみんな黒っぽい上着を着ている。金城もこれまで、室内では黒いシャツだったが、外で仕事をするときは同じような作業着を着ていた。ときどき、ひとを変えて高良栄子に貸していたこともあって、高良は金融屋や作業着率が高いといっていたが、となるとそのほかのメンバーも仕事をするときは作業着なのだろう。しかしそれはそれで妙である。襟つきのジャケットとかパーカーを着ているものもいるが、いちいち作業着をぬいでそれに着替えているのだろうか。それから、前回新城と金城の関係がわかったあたりから、急に金城の服装がB系っぽいものに若返っている。たんに若い設定に変えたから、ともとれるが、黒い服装で統一されているなかに作業着でいるマサルはいかにも浮いている。洗脳くんの神堂の服が、本性をあらわしていくたびに変わっていったように、なんらかのサインと考えてもよいかもしれない。
金城はまず照哉に、彼女と週何回やるかを訊ねる。照哉は8回と応える。8回?!
このワンクッションがどういう意味があるのかはわからないのだが、金城はすぐ本題に入る。照哉の担当している仲本浩司という客についてである。照哉は土木の仕事をしているものだと応えるが、金城はそんな男は存在しないということをすでに調べている。ドリフからもってきた名前なのかな。要するに、架空の客に貸していることにして、お金を持ち出していたのだろう。回収できなかったばあい担当者が弁償する、ということもないから、おもえば、そうやって、飛んだことにしてしまえば、沖縄は深追いもしないということだし、まるまる奪うことが可能なのだ。なるほど、そう考えると、この仕事って信頼関係すごい大事なんだな。
顔をひきつらせながらもとぼける照哉を、金城がはさみを壁にさしておどす。照哉は顔中から汗をふきだしながら、金に困ってる親族に貸したのだと正直に話す。それが本当だとしたら、なかなか、なんというか、「まとも」な理由である。とはいえ、それは「横領」だ。
しかし金城はそこで笑い出し、照哉を一発殴っただけで許したらしい。ちょろーっと鼻血が出てるくらいの殴り方だ。マサルはあとで金城にはなしかけ、あれで終わりなのかという。たしかに、カウカウでそんなことしたらあんなものじゃすまないだろうな。回収できないだけで、顔面が武器の高田を試合後の桜庭みたいにしちゃうんだから。
金にかんしては、照哉の給料から3万ずつ入れさせて返させるそうだ。暴力や金では解決しない。そんなことをしても意味はない。それどころか、たがいに足元を見せている裏稼業では、信頼関係が重要である。ここでぼこぼこにして、恨みをもたせたまま働かせていては、のちのちじぶんの首をしめることになるかもしれない。働かせるなら、遺恨のないよう、許して、チャンスを与えなければならないと。なるほど。
以前、金城が同じように、丑嶋社長を思い起こさせるような発現をしたとき、マサルはなにか切なげな表情をしていたが、今回は無表情だ。あのときはマサルのなかの疎外感が強烈だった。後悔の感情も強かっただろう。しかしいまは、回復しないまでも(回復するにはもっと決定的な責任のとりかたが必要だ)、のどかがそれを癒している。冷静に受け止める気持ちの余裕が、多少はあるのだろう。
つづけてマサルは訊ねる。新城賢一のことを聞きたいと。登場してからずっとおだやかな表情だった金城が、ここで険しい目つきになるのだった。
つづく。
あっさり新城の名前を出しちゃったけど大丈夫だろうか。マサルとのどかがいい仲なのは問題ない。新城的には許せないかもしれないけど、とりあえず表面的におかしなところはない。そののどかにつきまとう旦那についてマサルが気にしているのもふつうのことだ。金城と無関係なところでいちゃいちゃしているぶんには、それでいいのだ。問題なのはそれを金城に尋ねるということである。金城のくちから新城の名前が語られたことはない。金城が新城のことを知っているということをどこで知ったのかと、当然こういうはなしになるのである。ふつうに、うっとうしい新城という男を調べていたら金城の名前が出てきたと、マサルは正直にはなすかもしれない。しかし、金城はのどかを売ろうともしている。そこまで深くのどかに入れ込んでいるマサルを、金城はよくおもわないのではないだろうか。訊ねるなら、のどかの安全が確保できてからのほうがよかったのではないか。逆にいえば、そうしないと確保できないという判断でもあるかもしれない。
マサルにわかっていることといえば、金城は新城に保証人として名前を貸しているということだ。それでもし、金城が新城に対して悪い感情を抱いているとすれば、味方に引き込めるかもしれないが、あくまで先輩としての新城を立てるというようなスタンスだったばあい、ちょっとまずいことになる可能性もある。マサルには賭けのはずだが、なにか決め手となるような情報でもあるのだろうか。
金城は横領をした部下をあっさり許してしまった。うらみをもたれたまま雇い続けていてはこちらが危ない。もし許すのであれば、ちゃんと許して、こちらの器の大きさを示して、よい感情をもたせるように仕向けないと、いつ裏切られるかわからない。この面でいえば、カウカウはどうだったろう。丑嶋は、裏切ったマサルを見捨てたが、ぎりぎりのところを高田に救われ、生きていたマサルを引き続き雇い続けた。結果としてマサルは復讐心をあたため続け、いまの状況になってしまったわけだが、「なんでもする」というマサルのことばを復唱させたりしながらも、けっきょくマサルは以後も特別卑しい存在となることもなく、カウカウの重要なメンバーとして働き続けていた。これを、暴力で固めていると見れないこともない。丑嶋にそのつもりがなくても、あんなふうにいわれたら、ふつうのひとは縮み上がってしまうだろう。しかしどうだろう、となると、これはそのひとの解釈次第ということにならないだろうか。たとえば今回照哉は、一発殴られただけで済んでいるわけで、金城としてはそのことで器の大きさを示し、「そんな程度で許してくれた」と照哉がとらえることを期待して、チャンスを与えたわけである。じっさい、照哉はそうとらえるのだろう。しかしもし照哉が極端にプライドの高い人間であったら、「ひとまえで殴りやがって。金城の野郎絶対許さねえ」となるかもしれない。もしそうなれば、けっきょくは許したことで、金城は身を危うくしていることになり、だったらがちがちの暴力で脅して、屈服させてしまったほうがよかったかもしれないとおもえる日がくるかもしれないのである。つまり、この「許し」に関するコミュニケーションにおいては、許す側の、相手に対する期待ありきなのである。許す側が、大きな度量を見せることで、相手は負債感のようなものを覚え、同時に感服し、それに応えようとして反省する。キリスト教の赦しの精神も、基本的には同じ構造だろうとおもわれる。まず相手が反省することで、赦しが生まれるのではない。逆なのだ。あまねく赦しの精神が行き渡ることで、ひとは「反省しなければならない」と悟るのである。だから、まずこのわたしが、ひとを赦さなければならない。
キリスト教的には、「よし、反省したな、許してやる」という順序で許しのコミュニケーションが成立するのではない。まず赦しそのものが発生し、しかるのちに、反省しなければとひとが考えるのを期待するのである。もっといえば、そうした期待が余裕をもって生きていない世界では、反省もまた持続的にはあらわれてくることがない。もちろん、こうした発想はいかにも宗教的で、ひとりの人間が実践するにしてはあまりに視野が巨大すぎるとも考えられる。そういうことを徹底して行ったものが聖人と呼ばれるわけだが、これはゆいまーる的発想とも通じ合っている。赦しは、とにかくそれじたいが自然発生的にでも生まれてこないことには、行き渡ることがない。相互に助け合う精神も同様だ。まず、このわたしが、いま目の前にいる弱者を救わなければ、これは起動しない。もし世界が互いに助け合わない精神に満ち満ちているとすれば、そのひとはひとりだけバカをみることになる。けれども、どこかでそれが始まらないかぎり、それが行き渡り、当たり前に機能することはない。つまり、個々人が受動的でいるうちは、ゆいまーるの精神は機能しないのである。その意味で、赦しのありかたも同様なのである。
丑嶋がどういうつもりでマサルを許したのかはよくわからない。加齢のせいもあってか、あのころの丑嶋といまでは人格も異なっている。ただ、いずれにしても丑嶋が金城と異なっているのは、おそらくマサルのことをいっていたのだとおもわれるが、中年会社員くんでの「裏切りもこみ」で雇っているといった主旨の発言である。もしかしたらこの先、マサルは裏切るかもしれない、また裏切らないかもしれない、それはわからない、しかし、いずれにしても、彼が換えのきかない存在であることはまちがいない。丑嶋も金城も、ともに「アウトロー」であることをよく自覚している。丑嶋では、裏稼業であるから、誰でもいいというわけにはいかない、信頼しているもの、腕のたつものを取り立てていかなければならないと、このように考える。しかし金城では、裏稼業であるから、いつじぶんの身に危険がおよぶかわからない、だから許すと、このように考える。不思議なことだが、金城の許しは「じぶんのため」なのである。赦しという行為がそれじたいで価値を孕むわけではなく、のちのち赦されるために、金城は赦すのである。
たほうで、丑嶋はそののちのマサルの裏切りもこみで彼を赦し、使い続けた。これは、要するに、ハブや肉蝮による襲撃も、丑嶋のカウカウ運営には潜在的に含まれていたということである。ここにはひょっとすると、丑嶋の「食われないため」という大きな目的が強く働いているのかもしれない。常に食う側に立つためには、食われないでいるほかない。そのために丑嶋は、多くのひとの欲望を支配する金の管理者の位置に立つ。それと同時に、どのようなものごとに対しても背中を見せないという思考法が育まれていったのかもしれない。金城における赦しは、赦されるためのものである。つまり、近い将来、照哉が裏切るようなことがないように、またあったとしてもじぶんには危害が加わらないように、保険をかけているのだ。けれども、肉蝮に小川純を引き渡したり、ハブがきたからといって中田からの取立てをあきらめるような丑嶋が考えられるだろうか。それは、食われていることになりはしないか。弱い酸に溶かされていくように、少しずつ食われていくのであれば、彼は長生きできるかもしれない。しかし丑嶋はそういう生き方を選択しない。ヤクザを敵に廻してでも、徹底して食われないことを貫くのである。
はなしが少しそれたが、ともかく、丑嶋のマサルへの感情は、いまもむかしもよくわからない。たんに、金融屋としてマサルは素質があるから、「裏切りもこみ」で赦したというだけのことかもしれない。しかしヤクザくんからはっきり描かれるようになった父子の関係をおもうと、そう単純でもないとも考えられる。丑嶋はおそらく父子の構造を忌み嫌っている。彼がヤクザ組織を遠ざけるのは、たんに面倒くさい存在であるのに加えて、滑皮が体現している親子関係を厭うからである、というのが当ブログの推測である。だから、カウカウでは個人の趣味趣向が尊重される。ゲイくんなど当初よく描かれていた、それぞれが勝手に生きているという感じは、そうした社風のあらわれであったとおもわれる。小百合の個性的なファッション、柄崎のホモ疑惑、加納のデブ専なども、それぞれの歪みとともに、彼らの個性が少しも抑圧されていることがないということが描かれていた事例だと考えられるのである。そんな丑嶋が、マサルに対しては、いつの間にか父になってしまっていた。このことについても、丑嶋が無口すぎるので自覚があるのかないのかは不明である。ただ、重要なことは、もしマサルが丑嶋の息子だとするなら、それは愛沢に殺された命を拾い、育て上げたことによって、である。つまり、動機はどうあれ、丑嶋はマサルを赦すことによって、父になったのだ。いままでの考察からすると、赦すということは、相手に期待するということである。相手の解釈の射程を信頼するということである。つまり、少なくともこのふたりにおいては、「赦し」が関係のはじまりだったのだ。じっさいのところ、同じように父だ子だといっても、内側から、既存の構造を維持しようと努める滑皮とヤクザ組織との関係とは、これは異なっているだろう。滑皮のばあいは、むしろ赦しているのは滑皮のほうである。なぜなら、彼の場合は、父子の関係のほうがすでに成立してしまっているからだ。だが丑嶋ではちがう。赦しのふるまいがマサルを誕生させた以上、それ以前にマサルは存在していない。関係じたいに、赦しが先立っているのだ。だから、この関係におけるマサルの使命は、反省を経由して期待に応えることだった。構造的にはどうであれ、マサルにはマサルの事情がある。現実には愛沢以前の記憶を抱えているマサルは、赦されたことの負債感を解消するために間接的自殺、つまり丑嶋打倒を目指すほかなかった。要するに、赦されることで誕生した生を全うする気など、マサルにはさらさらなかったのである。
なんだか妙なところで深みにはまってしまったので今日はここまで。
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