第90話/超実戦
武蔵に挑戦することを光成に認めさせた本部のもとに、彼を先生と呼ぶガイアがあらわれた。ふたりはそのまま道場にむかう。
道場の壁にはさまざまな武具がかけられていて、ガイアが子どものような熱心さでそれを眺めている。といってもはじめてきたわけではなく、先生という呼び方も含めて、ここで本部に稽古をつけられていたことがあったようだ。それはいつごろのことなのだろう。ノムラが、例の一斉射撃の死の恐怖を乗り越え、予知能力的なちからを身につけて「ガイア」になったのちだろうか。最初どういう前後関係で、ガイアは本部のもとにやってきたのだろう・・・。可能性としては、5年ほど前にガイアはバキに負け、その直後に勇次郎にもぼこぼこにされている。当時はそんな様子はなかったが、またいちから鍛えなおそうとガイアが考えたとしても不思議はない。しかし、ガイアのばあいは肉体を鍛えるというより技術や発想を豊かにする方向性にいく可能性も高く、その過程で、じぶんがいま行っている近代的な戦場格闘技の、根本に目を向けようとして、本部の名にたどりついたのかもしれない。
ガイアが武器というものそれじたいのかっこよさについて語る。必要そのもの、用途にあわせて無駄を排除した機能的な美しさが武器にはある、だからかっこいいと。まあそれは本音の意見なんだろうけど、どことなくわざとらしい「少年っぽさ」のような感じもする。尊敬する先生の前で生徒を演じているというところだろうか。
本部はそれに同意し、ここはワクワクするというのだが、ガイアはそのことにもまた感激する。毎日きている道場にいちいちワクワクするひとなんていない、天才の資質だと。このあたりにも同様の、生徒を演じている感じがある。「天才」について本部は特に否定も肯定もしない、オモチャ箱だからねとだけ応じている。つまり、本部にとってもこのガイアのヨイショは日常的なことなのかもしれない。といっても、それで傲慢になっている感じもなく、演技者であるガイアにもなんらかの感情の抑圧などは感じられない。自然とそうなっているのだ。ふたりの師弟としてのつきあいはかなり深いのかもしれない。
そして、道場は安全な場所でもあると。規則、規律、常識があるから。この理屈は表面的にはいまいちよくわからない。屋外よりはそりゃ安全だろうけど、ふつうの家と比べてなにがちがうのだろう。むしろ武道の道場であるぶん危険なような気が・・・。まあそれをいったらふつうの家にも泥棒とか入るわけだからいっしょか。
ひとことでいえば、道場というのはなんらかの秩序に基づいた技術を修得するところであり、道場それじたいにも武器同様の必要美が宿っている可能性がある。そうした霊験あらたかな雰囲気が知性の欠如や野蛮なふるまいをつつしませる効果もあるかもしれない。本部がいっているのはおそらくそうしたスピリチュアルな、精神的なはなしなのだろう。
久しぶりだ、立ち合ってみるかと、本部は余裕の表情でいう。ガイアは初期キャラにしてはかなりの強さだろう。勝利したたたかいが少ないのが難しいところだが、死刑囚編ではシコルスキーをこてんぱんにしたし、じっさい、現在進行中であるような武蔵的実戦の世界ではかなりの強者とおもわれる。が、どうやらふたりの師弟としての関係はいまでも続いているようなのである。
たほうで酒を酌み交わしている武蔵と勇次郎だ。ふたりは本部のはなしをしている。あんな一瞬のことで、武蔵は本部が強いということを見抜いていた。勇次郎は「実戦屋だ」と説明し、武蔵もそっちだと応じる。なるほど、実戦屋か。すごくぴったりくる表現だな。
武蔵には下戸という伝説があるらしいが、勇次郎はどんどん酒をついでいく。立派な酒飲みだと。酔いにまかせてということでもないだろうが、武蔵は本部の評価をどんどんあげていく。方法を問わなければ、現世で立ち会った何人かと比べても・・・という。このあとに一息いれて「いろいろ持っている」と続くのだが、これはつながっているのだろうか。つまり、バキや烈と比較していろいろ持っているのか、それとも、たとえば比較して強い、そして、ということなのか、微妙なところである。ともあれ、いろいろ持っているというのは、使いこなせるということでもあるから、方法を問わない状況ならそれは強さととってもいいかもしれない。ちなみに武蔵が思い浮かべる強者はバキと烈、それに渋川剛気となぜか三輪である。佐部の記憶は三輪でかきけされてしまった可能性もあるが、しかし独歩はどこにいってしまったのだろう・・・。独歩は最初から武器を持たぬところから、武蔵は武器をなくしていくところからそれぞれ出発し、到達点として素手を刃にするというところにたどりついたわけだが、そうしてみたとき、刀を経由していない独歩の素手の技術が、ひょっとすると武蔵には幼稚に見えたのかもしれない。武蔵の最終奥義がけっきょくなんだったのか、いまだによくわからないが、とりあえず瓶を切るような独歩の拳とは、あるいは似て非なるものの可能性もある。そうじゃないのだ、全然わかってないなと、武蔵はそんなふうにとらえ、独歩を対戦相手とさえみなしていなかったのかもしれない。
勇次郎は本部の煙玉を思い返して眉間にしわをよせている。彼自身、本部の「いろいろ持っている」技術のうちのひとつにしてやられているのだ。負けないまでも、勇次郎をあそこまで怒らせて生還したわけだから、やはり本部は優秀なのかもしれない。ふたりはともに、さきほども本部がすでに短刀などいろいろ装備していたことに気づいている。武蔵は勇次郎もそれに気づいていたとわかってうれしそうだ。
そんな本部の状況を、勇次郎は「報われた」と表現する。本部の状況は悲劇にほかならなかった。だって、どれだけ手裏剣を正確に投げる訓練をして、煙玉をうまく調合して、屋敷に忍び込む技術を練磨しても、それをつかう状況など現代では決してありえないのだ。文化財として価値があったり、一般的に競技化でもしていればまだ多少はいいとしても、鍵縄やら分銅鎖やら、いったいいつ、どんな状況で披露すればいいというのか。武蔵にいわせれば戦国時代でもそう頻繁につかうような技術ではなかったそうだ。そんな技術や知識をすべてぶつけていい相手が、こうしてあらわれたのだ。あんたのおかげだと勇次郎はいう。本人のいないところでこういうことをいうのだから、勇次郎もこうしたことはすべていままで理解していたのだろう。まあ、負けないけど。負けないけども、気の毒なやつだよなと。素手の技術なら、つかう機会はあるかもしれない。しかし、いったい誰が、通り魔や痴漢対策に、柔道や空手ではなく、古流武術の縄のかけかたなんかを学ぶだろう。そうした学び手が多数いなければ、技術として広まることもないし、あるいはじっさいに緊急時に使用したとしても、そうすんなり理解してもらえるともかぎらない。それに、そもそもが戦場での技術なので、仮にそれが通り魔に行使されたとしても、原理的にいえばそれは歪んだ使用法である。鍛え上げた拳をトンカチがわりにして釘をうちこむようなものだろうか。
微妙な反応をみせていたガイアだが、ふたりは立ち合ったようだ。そして、すでに決着がついている。ズボンから引き抜かれた本部のベルトで、ガイアが後ろ手に縛られているのだ。ガイアを相手にしても全然余裕なのだ。日本には実戦がない。しかし、ガイアにいわせれば本部こそが実戦なのだった。
つづく。
ふたりは立ち合ったわけだが、その緊張度はどの程度のものか、微妙だ。周囲には武器がたくさんあるわけだが、どうもガイアがそれを手にしたような様子はない。もちろん、なんらかの方法で本部がそれを封じた可能性もある。そうでなくても、ガイアは素手でもじゅうぶん強いわけだし、素手ならたぶん弟子としてのガイアも手はぬかないだろう。どうやら本部はほんとうに強いらしい。なかなか信じられないが、そういうことでまちがいなさそうだ。武蔵と勇次郎の会話もある。勇次郎は、以前より本部の広い知識と技術のことを理解していたようだ。本部も勇次郎と立ち合ったことは二度あるが、どちらも素手で敗北している。なぜその時点で、今回のガイアの言い方を借りれば「実戦そのもの」である勇次郎相手にすべてを使用しなかったのか、わからないが、烈や独歩が武蔵に真剣をもたせたように、素手の勇次郎には素手で勝たなければその勝利に意味がないと考えたのかもしれない。勇次郎においては、素手というのは不利を意味しない。本部が武器を使用しようと、素手でいこうと、勇次郎としては同じことである。しかし、そうはいっても、武に生きるものとして、たとえば鎖鎌とか飛び道具とかを駆使して勇次郎に勝つことに果たして意味はあるだろうかと、本部はそんなふうに考えたのかもしれない。今回の武蔵についての言い方からもどことなくそれが感じられる。本部にとって武蔵は、技術のすべてをぶつけることのできるはじめての相手だというはなしだ。としたら、勇次郎はそうではないことになる。現実的には勇次郎と武蔵にそう差はないのにもかかわらずだ。とすると、この「すべての技術をぶつけていいかどうか」の基準は強さの問題に限らないことになる。武蔵がそうなったもうひとつの条件とは、彼が戦場に生きるものであり、また彼自身、刀をはじめとした武具の使用を基本的な戦法とすることなのだ。こうした理屈からも、本部が勇次郎に素手で挑んだのは、勇次郎が素手だったからなのではないかと推測できるのである。
同時に武蔵も本部の強さを見抜いてくれた。強さがあいまいなこともあって、守護る守護るといいながら、本部はいままでずっと、いろんなひとたちから疎まれてきた。これは、いつか考えたように、守護するものの宿命でもある。なにか最悪の出来事が起こらないように日々活動する人間の努力というのは、じっさいにそれが成功し、機能しているあいだは決して表面化することがない。ことが起こってから、その出来事の凹凸に応じて対策を講じるのもある種の守護かもしれないが、その出来事に対して守護者は一歩遅れることになる。そもそもその出来事が起こらないようにメンテナンスを欠かさないようなものの仕事の価値は、それがじっさいに価値あるものとして働くうちには絶対に他者に意識されることがないのである。だから、本部の行動も理解されない。理解してくれる可能性があるのは、本部が守るべき対象を攻撃するものとしての武蔵だけである。今回、本部は武蔵の攻撃から勇次郎を守った。勇次郎の圧倒的な強さもあり、はたから見ればなにしくれてんだというところなわけだが、あるいは武蔵には、本部のいうようにあの一刀で勇次郎が切れていたという確信があったかもしれない。本部の行動の価値をほんとうに評価できるのは、武蔵だけ、それも、「あの一刀で勝負は決まっていた」などといってみても意味がないので、現実的には言葉にされない、武蔵のこころのなかだけなのである。
守護者は理解されない。そして、理解されないことに絶望することも許されない。もしそうなったら、彼は必ず、危険な出来事が防備を突破し、守るべき対象を襲うことを願ってしまうからである。守護者としての価値を認めてもらうために、仕事を放棄するか、そうでなくても守護が突破されることを望んでしまうのだ。だから、ほんらいこの役目が成り立つには承認願望とか自己実現とか、そういう欲望を超えた使命感のようなものが必要になってくる。たとえば親の子に対する態度がひとつの例だろう。親は、どんなに子どもがうるさがっても、宿題はやったのか、漫画ばっかり読んでないで勉強しろと、子のふるまいについての確認を本人に求めるものである。そこに「宿題はやらないよりやったほうがいい」という信憑がないとはいわないが、もっと最下層の動機のぶぶんでは、守護者が日々メンテナンスを欠かさないようなものとしての確認の意味があるのではないだろうか。子に理解されなくて、多少の絶望感はあったとしても、親はそれをやめることはないだろう。両者の関係はゆるがぬ本質であり、それが仕事だからだ。守護者にはその使命感が不可欠なのである。
そして、おもえば本部は最初からまさに使命感にかられて守護しようとしてきたのである。武蔵は武芸百般、なんでも使用する。そのことのほんとうの意味を理解しているのはじぶんだけである。友人たちは理解していないどころかそれに挑戦しようとするにちがいない。なんとか防がなければならないが、おそらく、武蔵の強さを理解しているのがじぶんだけである以上、そう考えるものもじぶん以外いない、この仕事はほかならぬじぶんのものなのだと、そうした理屈で本部は立ち上がった。勇次郎が指摘したように、古びた技術をつかえる相手があらわれたことで本部のなかの武術家としての血がたぎっているぶぶんもないではないだろうが、それはここではむしろ副次的なことであり、本部の行動の本質はやはり守護にあるのである。あまりにもみんなが武蔵(や自分の意見)について無理解なので、本来であれば絶望し、みんな武蔵にきらられればいいよと願ってしまいかねないところ、使命感を原動力にする本部は、その根本である武蔵本体にみずから挑もうとする。これは、ぱっと見では、周囲の人間たちが本部を信用しない理由のひとつが本部の強さへの疑問にあって、それを否定するために行動に出ているようでもあるわけだが、みんなが本部のことをそんなに強くないとおもっているのはいまにはじまったことではないし、第2部ラストの花田とのやりとりからもわかるとおり、本部もそのことを自覚している。また、たんに信用させるだけなら、くりかえすように、守るのをやめればいいだけのはなしである。そうすれば、少なくとも守るのをやめる以前の本部の言動は正確なものだったと認められるだろう。しかしそれは矛盾した行動となる。たぶん、そんなことで仕事をやめてしまうような守護者の守護は、たいしたことがないはずだ。守護することそれじたいが目的になっていなければ、これを達成することはできないのである。
ガイアと本部の関係は気になるところだが、これだけではほとんどなにもわからないし、たぶんこれ以上描かれないんじゃないかという気がする。あくまで直観的にはだが、ガイアの武器を語り、触れる様子からして、道場に通っていたといってもこうした道具を手になじむほど使い込んだという感じではなさそうな気がする。やはり、バキ/勇次郎とのたたかいに敗れたことや、あるいはふつうに任務の関係で、目的があって、すでにガイアとして完成した状態で訪れたのではないかという気がする。たとえば、バキ戦でも見せていたような縛法を任務の関係で学ぶ必要があって訪れ、本部の実戦主義に感服し、以降弟子を名乗るようになったとか、そんなことかもしれない。たぶんもう描かれないけど・・・。
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