花組東京公演『カリスタの海に抱かれて/宝塚幻想曲』 | すっぴんマスター

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ミュージカル『カリスタの海に抱かれて』/レヴューロマン『宝塚幻想曲』 [Blu-ray]/宝塚クリエイティブアーツ
¥10,800
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ミュージカル

『カリスタの海に抱かれて』
作/大石 静 演出/石田 昌也
人気脚本家・大石静氏が花組のために書き下ろしたオリジナルミュージカル。
舞台は地中海で最も美しいとされるカリスタ島。この島に生まれながら、数奇な運命に翻弄され、フランスで育ったシャルルは、カリスタ島を統治するフランス軍将校として、再び故郷に降り立つ。時はフランス革命前夜。シャルルには本国フランスの動乱に乗じて、故郷カリスタ島を独立させたいという密かな野望があった。島のレジスタンスの若者達と信頼をはぐくみ、野望は成就するかに見えたが、島の女アリシアの情熱的な愛がシャルルに向かったことで、歯車は狂い始める。
男が英雄になれなかったのは、一人の女を愛してしまったから…。愛と友情、そして故郷への想いの狭間で揺れ動く青年の葛藤をリリカルに描いたラブロマン。
なお、本公演は花組新トップコンビ明日海りお、花乃まりあの宝塚大劇場お披露目公演となります。


レヴューロマン
『宝塚幻想曲(タカラヅカ ファンタジア)』
作・演出/稲葉 太地

優美で繊細。情熱的で大胆。様々な魅力を持つ明日海りお率いる新生花組が織りなす幻想曲(ファンタジア)。宝塚歌劇百年の歴史が紡ぎだした伝統に日本古来の美をちりばめて、時にクラシカルに、時に現代的なビートで繰り広げるレヴューロマン。
なお、本公演は新たな演出を加え、台湾バージョンとして第二回宝塚歌劇団 台湾公演(2015年8月)でも上演いたします。





以上、公式サイト より









花組東京公演『カリスタの海に抱かれて/宝塚幻想曲』観劇。5月22日13時半開演。


明日海りおトップ就任から二作目。前作エリザベートで蘭乃はなが退団して、あらたに花乃まりあが娘役トップとなり、新生花組として仕切りなおしの公演というところになるだろうか。ちょうど数日前、今回のショーの演出を担当されている稲葉太地の『Mr.Swing』を見ていたせいもあって、蘭寿とむの時代とはずいぶん変わってしまったなあと感じざるを得なかった。華形ひかるがいないことには若干慣れつつあるが、ついこないだまでいた望海風斗や桜一花、それにセリフがなくてもつい目で探してしまう大河凛などが抜けて、ここからが明日海りおのリーダーシップの見せ所というところかもしれない。(明日海りおはそういうタイプのトップではないが・・・)


今回非常に残念なこととしては、美貌の華耀きらりの退団だ。花組の娘役は美人ばかり、それもいろんなタイプが充実しているというのはよくいわれることであるし僕自身そういう書き方をしてきたが、そういう印象の先端に立つような人物がこのひとだった。つまり、「花組の娘役ってほんと美人ばっかりだよね、××に、××に、××に・・・」という具合にあげていったとき最初に思いつくのがだいたい華耀きらりだった。個人的には、たぶんスポーツが好きとかそういうことだとおもうが、美しい筋肉の持ち主であることもまた好ましく(最近はそういう娘役も増えてきているが)、うたはともかくとしてもダンスのときなどはいきいきと楽しそうで、ショーではついつい目で追ってしまう娘役のひとりであった。それから、なにを着ても似合うというタイプでもあって、髪型も含めてどんないでたちで出てくるかということも毎回楽しみでもあった。これでまた「よく知っている花組」が失われるかとおもうとつらいが、まあそんな幼児的なことをいっていてもしかたないし、これからも花組は持続してみんな一生懸命やっていくのだから、応援していかなきゃなともおもう。


お芝居は『カリスタの海に抱かれて』。演出は石田昌也だが脚本が大石静となっていて、誰だろうと見てみると、もともとはテレビドラマ出身のひとで、宝塚では大空さんの三成のやつを書いたひとらしい。ストーリーとしては、宝塚では定番の設定であるフランス革命の裏側、同時代の地中海の小島を舞台としており、ナポレオンなんかも出てきて、当時の歴史に、というか地球の歴史にくわしくない僕としてはついていけるか途中で不安になったが、とりあえず人間の感情の動きを見るぶんには問題なかった。ただ、やはりナポレオンのフランス革命当時の位置がよくわからず、しかもなんか途中でウエストサイド物語のクインテットをおもわせるような、「革命」ということばをめぐるさまざまなことなるおもいが交差するうたの場面で、革命後のナポレオン政権を暗示する歌詞なんかも出てきて、当然そこには強い野心が感じられるし、演じられる柚香光がまた「強い野心をもった若者」という見た目なものだから、「敵」なのかとおもってひどく混乱してしまった。豪快な笑い声と「冗談がわかる」雰囲気は、おそらくこうしたことが要請したキャラ作りだったんだろう。


特に終盤の、明日海りお演じるシャルルが処刑されようとする場面で顕著だが、やや強引な展開もあり、「よくわからない」ぶぶんもけっこうあった。が、少なくともそこまではかなりこころを動かされながら観劇できたのは、花乃まりあの役柄と、明日海りおの表情が大きかったろう。明日海りおは、普段あんなぼんやりした人物であるのに、ことばに形容することの難しい複雑な感情を表情に出すことに長じている。そうおもったのはロミオとジュリエットのティボルトで、特にマーキューシオとの争いがもっとも深刻にヒートアップするところだった。それまでは、若者らしく、喧嘩を売るにしろ、怒ってみせるにしろ、ある程度「格好付け」のあったマーキューシオが、あるところから心底の怒りと憎しみをぶつけだし、泣き出さんばかりの勢いでくってかかるようになる。それを受けた直後のティボルトの表情であった。ティボルトにはまだ若干の余裕があるが、それをじぶんで意識できない程度に彼もまた感情を爆発させる。彼のばあいはたぶん女の子を侍らせるタイプの男前で、ナルシシズムみたいなものが(明日海りお固有の表現も含めて)かなりあった。それがかろうじて残っており、ひくひくとひきつった笑みを口元に浮かべつつ、いわばキレているのである。ポメラニアン的な攻撃的雰囲気と母性をくすぐるような無鉄砲さをよく表出していた美弥るりかも含めて、個人的には月組ロミジュリ屈指の名場面だとおもっている。

花乃まりあは、正直いってよく知らない娘役だったので、別段期待するでも不安におもうでもなかったのだが、想像以上に万事そつなくこなすタイプであった。上体がかなり豊かで多少骨太なぶぶんもあり、華奢ということではないのだが、まあそこは見せ方で変わっていくところかもしれない。担当されたのはアリシアという島の娘で、芹香斗亜演じるロベルトの婚約者でもある。が、アリシアにはその気はなく、新任の司令官である、外部の空気をまとった明日海りおのシャルルに、好奇心的な憧れも含めて恋をする。やがてシャルルは彼女が親友ロベルトの婚約者だということを知り、彼女を拒むことになるのだが、本作最大の見せ場はこの後の展開をおもうとやはりこの場面だったのではないかとおもう。アリシアのなかではぽんぽんはなしが進み、美穂圭子のアニータに指摘されるようにまだ彼女は「子供」であり、夢や理想が次々と語られていくのだが、それを前にし、そして拒否を爆発させるまでの明日海りおの表情はすばらしかった。青白くへらっと現実を笑いでごまかすのもアルジェの男を思い出させ、くどいようだがあんなに普段ぼんやりしてるのに、こういう表情はどこで見つけてくるのかなあとなんだかへんに感心してしまった。


舞台となるカリスタはフランスに支配されていて、もう何世代も前から住人は奴隷のようなあつかいを受けている。それが、28年前、アルドという男の独立運動で変わり始める。政府はアルドを処刑するのだが、このとき、じぶんの命日に生まれた男がカリスタを救うと予言する。それが、のちにシャルルと改名するカルロと、ロベルトなのであった。ふたりは幼いころ誓いあったような親友でもあるのだが(春妃うららがかわいすぎて悶絶)、しかしカルロの父親は仲間を売って、実質的にはアルドを殺したも同然であるエンリコという男なのであった。そうして、エンリコが渡るのについてカルロもフランスに行くことになり、今回フランス側のカリスタ担当の司令官として戻ってきたという次第である。細かな感情のゆれはDVDなどでくりかえし見てみないとわからないが、そのころにはフランス革命がいままさにはじまろうとしているときで、カルロ改めシャルルはカリスタのような支配体制もじきなくなるという感覚がごくふつうにあるのだが、現地担当の貴族たちにはどうも通じない。そうしたところで、相変わらず憎しみを原動力にして攻撃をしかけるロベルトたちと再会、そして好奇心旺盛で小さな島での暮らしにうんざりしているアリシアに出会い、血を流さない革命と独立の手助けをする、という筋書きである。

作品の最大のテーマはやはり広い意味での「故郷」である。それは、生まれた場所ということを示すとともに、じしんの存在の足がかりになる、自己同一性を保証する本質的物事ということでもあった。「本質」というのは、ひとことでいえば、どのような状況にあっても変化することのないしるしのことだ。そういう事情で、ちょうど「影をなくした男」を書いたシャミッソーのように、シャルルは「故郷」をもたない。カリスタでは、父がそんな歴史に残る裏切りものであるからいじめられるし、フランスにいったらいったで移民なわけである。居場所がない、つまり、じぶんの本質について語るときにいつでも空中で無作為の話題から開始しなければならない、そんな状況で自己規定をせざるを得ないシャルルがじぶんにとっての唯一の「故郷」を求める、たんじゅんにいってそういうおはなしである。結論からいってしまえば、シャルルにとっての故郷とはアリシアである。げんにそのようにシャルルがじぶんでいうのである。また、ナポレオンが、その直前にそれを示唆するようなこともいう。ふつう、故郷というのは「見つける」ものではない。もしそれがたんじゅんに「生まれた場所」ということであるなら、生まれている以上それも必ずある。さまざまな事情で故郷を失う、あるいはほんらい故郷であるべきものをそれと認識できないということはよくあるので、それを「取り戻す」ということならわかる。しかし、げんにカリスタを取り戻したあとでも、彼はそこに満足はしない。「女の胸は広くて深い」というナポレオンのセリフはそれを指している。そして、シャルルじしんが、明確に「見つけた」ということばでアリシアを故郷として認めるのである。ひとつには、これ以後展開されるであろうシャミッソー的旅の人生が、「新生シャルル」とアリシアの物語だということがある。これまでの人生については、とりあえずカリスタに置いていき、シャルルは新天地で新たな人生を歩もうとするわけであるから、彼の人生はそこで仕切りなおしされている。だから、新しい足場、新しい自己同一の方法としての故郷が必要になる、というのは順序が逆で、たぶんアリシアとともに生きるということが、ロベルトの手前ということやアリシアの好奇心などを含めて、カリスタでは実質的に不可能であるということが、シャルルを転生させたのかもしれない。だから、シャルルは火あぶり直前のところまで追い詰められるが、あれは原理の次元では実行されて、シャルルはあそこで死んでいるのである。したがって、シャルルが故郷を「見つけた」のも自然なことで、彼はこれまでの不安定な足場の人生を再構築するのではなく、根元から新しい人生を発見したのである。そういう意味では、なんだか宝塚らしくないというか、なかなか不思議なおはなしだ。ひとことでいってしまえば、カリスタのひとびとやロベルトの立場は?ということになるのである。

そうした違和感が、終盤の急展開でむしろ脚本が要請するしかたで出現している。何度ルサンクを読んでもよくわからないので、このことについてもやはりDVDでくりかえし見て、役者の解釈が入り乱れた空気で把握するほかないが、アリシアの件も含めてまた裏切られたと感じ、シャルルを殺す気満々に見えるロベルトが、特に段階的理解もなく、いきなり改心してシャルルを助けるのである。ググッてみたけどそう感じるひとは多いようで、僕の読解力の問題ではなさそうだ。現実的には尺の問題があったっぽいというのが多くのひとの見解である。ほぼ唯一といっていい改心の描写として、ロベルト以上にシャルルを殺()る気満々だった瀬戸かずやの名演セルジオが、そこの場面でロベルトに殴られたあとの状態であらわれる。いずれにしてもロベルトがどの段階で改心したのかは不明だが、もともと殺す気はなかったのか、あるいは作戦を立てるうちにセルジオと揉めるなりなんなりして気づいたかして、殺さない、どころか助ける作戦に変更になったようなのだ。


このロベルトの人物像だが、最初の場面の短い間隔で「借りを返す」というセリフが二回も出てくる。そして、中盤、シャルルを殺そうとささやくセルジオには、裏切られたんだから裏切り返そう、今度はお前が裏切る番だ、みたいなことをいわれる。この思考法は、彼らについてまわる「復讐」というキーワードを生むものである。それは、やられたぶんだけやりかえさないと、という等価交換の思考法だ。そこのさらに底のぶぶんには、じぶんたちが虐げられているというルサンチマンがあるだろう。やられたままでいるということは、トレードがフェアではないということである。それは、じぶんたちの虐げられている立場を認めることになるのではないかと、そういうおそれが、たぶん彼らのなかにはあり、それが、憎しみを原動力にして「復讐」を呼び起こす。これは例のクインテット的な場面で端的に彼らの立場として描かれてもいる。つまり、革命とは復讐のことだと。

けっきょくシャルルの「裏切り」など最初から存在しないわけだが、図式的にいえば、「アリシア以後」のシャルルはアリシアを基点にしてこれから生きていくが、「アリシア以前」を浮遊霊にせずきちんと成仏させるために、シャルルは「ロベルトの故郷」を取り戻さねばならなかった。同じ日に生まれ、誓い合ったなかである、彼らの役割は一心同体といってもいいだろう。リーダーはふたりもいらない、カリスタはロベルトに任せるというのは、そういうことである。このとき、シャルルが新生シャルルとなると同時に、ロベルトもまた転生している。それが、アニータを前にした覚悟の表明につながっている。これまでずっと「予言」にしばられ、不安だったのは、要するにそばにシャルルがいなかったからなのだ。しかし、ここでシャルルが成仏することで、ロベルトはシャルルと融合し、また「シャルルとロベルトの故郷」も取り戻すことで、予言されたリーダーとして完成する。それが最後のあの旗の場面である。つまり、じつはロベルトたちはシャルルに取り残されてはいないのである。彼らの知っている「アリシア以前」のシャルルは、ロベルトと融合してそこに残っているのだ。だから、カリスタのあるべきリーダーが誕生するためには、シャルルには転生してどこかにいってもらわなければならなかったのである。もしあそこでほんとうにシャルルが死んでしまったなら、転生は果たされず、故郷探しは中断して「アリシア以前」のシャルルはもう誰にもつかむことのできない世界に行ってしまっていた。以上、図式的すぎていやになるが、ロベルトの改心ないし転向は、そうした事情の要請したものだったのである。カリスタが真に独立し、予言通りの完全なリーダーを得るためには、シャルルとロベルトに分離していた人格が合体しなければならず、そのためにロベルトはどうしてもシャルルを生かし、アリシアを手放さなければならなかったのである。等価交換の思考法に基づいた卑屈な復讐心が原動力になっているうちは、これは達成できなかった。できることならそれがまちがっている、というかそれでは目的が達成できないということにロベルトが気づく決定的な場面がほしかった。


ロベルト役の芹香斗亜だが、まあずいぶん立派になってきたものである。もともとかわいらしいタイプの男役で、そういうタイプが同期に多くて、僕はわりとこの93期が好きなのだけど、しかしこの学年になってくるとそればかりでは不足である。まあそれは誰より演じているご本人のほうがよくわかっていることで、雪組の彩風咲奈もそうだけど、メイクなど通してそこでずいぶんもがいている。今回の芹香斗亜にかんしては男役の声がしっかりできてきたなという印象だった。それにともなってのことか、うたもだいぶうまくなっており、もともと好きな曲ということもあり、ショーのロケット手前の銀橋、What a wonderful worldでぐっときてしまった。


ショーは名作ミスタースウィングの稲葉先生だったので、かなり期待していた。まあショーでは毎度のことだが、部分的に意味不明なところがあり、全体の流れという点で見ても把握できているとはいいがたいが、総じていいショーだったんではないかとおもう。どういうコンセプトかわからないが、楽器では和太鼓が中心になって組み立てられており、冒頭はかなり違和感があったが、後半になってくるとふつうにかっこよく聞こえてくる。個人的には、これは芝居もそうだけど、桜咲彩花のあつかいが若干微妙になってきているのが気になるが、いっぽうで菜那くららがうたで活躍する場面が増えてきてもいた(ほんとに93期大好きだなこのオッサン)。初姫さあやから芽吹幸奈に連なる弦楽器的美声ポジションになってくれるとうれしいです。

今回は瀬戸かずやの単独階段降りや芹香斗亜の二番手確定などもあり、新生花組なのだなという印象。ひょっとしてシャルルの転生はそういう意味もこめられていたのだろうか。なんかだらだら長くなってしまったが、総合的にいってみんな素敵でした。無事に千秋楽をむかえられますように。