■『弱いつながり 検索ワードを探す旅』東浩紀 幻冬舎
- 弱いつながり 検索ワードを探す旅/幻冬舎
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「統制されたネット時代に「かけがえのない生き方」はいかに可能か?著者初の挑発的人生論」Amazon商品説明より
発売直後(いまもそうかも)、ものすごい量の感想がタイムラインに流れてきていて、ほとんど洗脳されるようにして買ったもの。僕は東浩紀をフォローしているので、その東先生じしんが、たぶんタイトルや名前でエゴサーチして、かたっぱしからリツイートしていたのだ。一般的にはなんていうことのない行動なんだけど(いまでは漫画家もミュージシャンも、漫画の担当編集まで、固有のアカウントをつかってやっていることだ)、東浩紀がやるとなるとちょっと意外な感じがした。「一般意志2.0」のころとかももしかしたらやってたのかもしれないけど。まあ、先入観というか、イメージなんだけど、そういう、いわゆる巷の感想って、あんまり気にしないように感じていたから。いや、あれだけ、年中炎上して、しかもあまり鎮火させようとしないような感じがするひとだから、もしかしたらどちらかというと気にするタイプのかたなのかもしれないけど、あんな圧倒的な頭脳の持ち主で、教養主義者で、自覚があるのかないのか、どことなく無教養をバカにするようなところのあるひとなので、うまくそのあたりがイメージの世界でかみ合わなかったのかもしれない。
内容的にはたぶん東浩紀の著書ではもっとも平易なもので、これは意識してそう書かれたものらしい。あえて、ビジネス書や自己啓発書のような体裁で作られている。帯文には「グーグルが予測できない言葉を手に入れよ!」という扇情的な断言が記されていて、そのあたりもビジネス書らしい。ビジネス書というのは、読者がそういう内容を求めているというのもあるが、それ以前にビジネスマンというのは忙しく、のんびり哲学書なんか読んで思索する時間なんかないので、タイトルや帯文に「正解」というかほとんど結論が明記されているものを非常に好むのである。長く東浩紀を読んできたようなひとはあるいはショックを受けるかもしれないが、こういうこともまた、東浩紀の思想の射程に含まれていることだ。デリダの術語だったか、「誤配」ということをこのひとはむかしから重視していて、それは要するに、こんなものを読むつもりのなかったひとがうっかり書店で手にしてそればかりか買ってしまう、そういう状況のことである。書店員としても、僕もくりかえし同趣旨のことを書いてきたが、読書においてひとは、そういう出会い方でなければ、読む前と読んだあとで自身が更新されているという確信を抱くことはできない。もちろん、装丁がきれいだったとか、POPに書かれていることに感動したとか、そういう理由は、わたしの感受性の内側にあるなにかに触れたものであって、厳密には「理解を絶した他者」が入り込んでくるわけではないのだけど、それでも応急処置としてはこれ以上のものはないと僕はおもう。好きな作家、あるいは好きな作家が推している作家・作品、そういうものを読むのもそれと同じくらい大切なことだが、それがわたしたちにほどこす豊かさと、他者的なもの、おもいもよらなかったものがもたらす刺激は、まったくちがう。
ともかく、おそらくその「誤配」も含めて、本書は構想されているとおもうのだが、内容としてはその誤配をさらに深めたものになっている。いま書いたように、書店で衝動買いをすることで、じぶんの知らなかった、所属することのなかった世界に触れることができ、そのことで人生を豊かにすることはできるが、そこにはさまざまな文脈が交差している。まず第一にそこは「書店」なわけである。本を読むひとたちが集う場所である。したがって、本を読まないひとはやってこない。これもまた書店員をやってみてから身にしみて理解したことのひとつだが、識字率のことはとりあえずおいて、世の中には死ぬまで1冊も本を読まないというひとは、かなりいるように感じるのだ。ブログをやっていて、そのことにふとおもいが至ったとき、なにかさびしい気持ちになったりもする。いま、僕が書いているこのきったない文章、どこに向かうのかもわからずその場のおもいつきで即興的に書かれている雑な文章、これを読んでいるあなたは、読んでいるというじてんで、僕と趣味の重なるぶぶんがあるわけである。以前までは音楽や映画などの記事も豊富だったが、最近は本のはなししかしていないし(プライベートについても書く余裕がない、し誰もそんなもの欲しない)、ということは、検索でここにたどりついたひとは100パーセント、ウシジマなりバキなり内田樹なり多和田葉子なりを読んだひと、あるいは読んでよくわからなかったひとなわけである。はなしをかんたんにするために、もしうちがウシジマの記事しか書いていなかったとしたら、読者はすべてウシジマ読者なわけである(まあ、記事内で触れた実在人物とかのワードでたどりつくひともいるとはおもいますが)。それがなんだか、とても悲しくなるときがある。もちろん、同じ読者としてウシジマくんを読んでいるかたからコメントをいただけたり、展開が盛り上がってきたときにアクセス数が急上昇するのを眺めたりすることは楽しいのだけど、それとはべつに、なにがあっても絶対うちのブログを読むことはないだろうというひとが日本だけでもものすごい数いるのだということを考えると、数千のアクセス数がなんだよという気持ちにもなるのである。いまは大学生なども「ネット・サーフィン」をしないというはなしもある。仲間内だけでSNSを楽しんで生涯地元から出ないマイルド・ヤンキーということばも鈍く突き刺さる。それはそれで幸せなんだろうけど、しかし・・・と、そういう気持ちにもなるのだ。
いずれにしても、本書は「本」であるから、本屋で売られる。ネット書店にしても、そうした「検索」をかけてはじめて本書に出会うわけであるから(東浩紀、検索ワード、自分探し・・・などといった検索ワードで本書にたどりついたり、あるいはアマゾンのおすすめ機能で関連本とのつながり、また同じ傾向の趣味をもったひとたちの買い物履歴でそれを知るわけだから)同じことだ。そうしたなかで、本書がビジネス書の体裁をとること、またこれまで東浩紀の本は敷居が高いと感じていた人々が手に取りやすいようにすること、さらに実際わかりやすく書かれていること、ひとびとがそれについて「わかりやすかった」とつぶやくこと、その一連の流れが、「誤配」するというよりは、誤配のはじまりのきっかけをつくっていく。もちろん、本屋にこないひと、本を読まないひとは、本書を知る機会はそうでないひとに比べて格段に落ちるだろう。しかし本書のにおいての手に取りやすさは、哲学書なんか比べ物にならないだろう。本を読まないひとにむりやり持たせて営業をかけるわけにもいかない。ただ、読もうという気になったとき入口が開かれていることが重要なのである。だから、そういう本をつくろうとした結果ビジネス書みたいになった、ということはできるかもしれないが、こういう断言的な帯文を用いることで、たぶん書店員の多くはどこに置くべきか迷うはずである。東浩紀ってあの東浩紀だよな・・・人文系のとこか?でもなんか内容は一般向けっぽいな・・・という具合に。個人的には、ビジネス本のところでいいとおもうだが、ともかく、重要なのは本書じたいが入口としての機能をもっているということである。というのは、東浩紀は普段からビジネス書を書くような作家ではないからである。無理に読ませることができないのであれば、こちらとしては、相手がそういう気になったときのために準備を怠らないようにしておくと、それしかない。本書の感想のリツイートもそうしたつもりでなされているのではないかとおもう。ただ、東浩紀個人としてのありようでいうと、じつはこうしたことは本書の主旨とはちょっと異なっている。「本屋」というコミュニティにしても、ツイッターのタイムラインにしても、結局はネットの「強いつながり」のひろがりでしかない。どれだけ本書の感想をリツイートしても、東浩紀を知らないひとにはまず届かない。ただ、それを使わない手もない。そういうことなのかもしれない。
内容としては、ネットの強いつながりから逃れて、旅に出ようというものだ。「やろうとおもえば」どこまでも「検索」可能なインターネットに触れていると、浅く広く、世界のあらゆる場所につながっているような感じになりがちだが、実際はそうではない。LINEやフェイスブックなどを通じて、すでに知っている関係性のなかにとらわれているだけ。その「検索」にしたところで、わたしたちは「じぶんの知っていること」しか検索しない。というとなにかへんだが、たしかに、わたしたちはなにかわからないことがあってネットを利用するのだけど、その「わからないこと」じたいが、強いつながりのなかで生み出されたものなのだ。わたしたちは決して「ジンバブエ 烏龍茶 値段」などという検索ワードを打ち込むことはないわけである。わたしたちはグーグルに思考も行動も決定されている。それから逃れるためには、場所を変える、つまり旅に出るしかない、物理的な衝突に近いような外部に身をさらし、新しい検索ワードを獲得するほかないと、こういうおはなしである。じつに東浩紀らしく、理路整然と、そして東浩紀じしんの経験を踏まえてかなり具体的にその理由が語られていくわけで、易しく書かれてはあるけれども実際これは代表作になるんじゃないかという気もした。
ただ、やはり本やネット、言葉の限界というか、あるいは人間の限界というか、「決して本を読むことのないひと」「ネットを利用しないひと」のことをおもうと、なんだか気が遠くなる。じっさいのところ、これを読むひとたちというのはすでに旅に向かう「素質」があるひとたちなんではないだろうか。強いつながりに束縛されてにっちもさっちもいかなくなっているひと、また「国民」にとらわれて「個人」を省みないひと・・・こういうひとたちには、いかに本書がビジネス書的に擬装されて広く読まれるように仕向けられていても、きっと届くことはない。だから、たぶんそこからは、それこそ本の仕事ではないのだ。
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