今週の闇金ウシジマくん/第337話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第337話/フリーエージェントくん⑰





「多くのひとの目に触れる」ということの意味を盛大にまちがえる苅ベーたち。なにかグラフィック的な「村上仁」のアイコンとかロゴみたいなものも完成していて、街中に蔓延しているけれど、そもそも一般的には「落書き」なわけで、いい印象で「村上仁」が広がっていくということはまずありえない。


とりあえず苅べーのフェイスブックでその落書きや、彼らの馬鹿げた行為を確認した仁が電話する。よくわからないが、やはり苅べーには悪気はないもよう。相変わらずインフルエンサーをインフルエンザとまちがえている。このふたつのことばは、微妙に意味が似ているところがある。どちらも不定形の、つかみがたいしかたでひとからひとへ拡散されていくものなのである。そして、苅べーは「インフルエンサー」ということばを知らず、聞き違え、「インフルエンザ」ということばからあるいは拡散よりやや悪い意味として、感染のようなものとして受け取ってしまった可能性が高い。仁先生はじぶんたちに「インフルエンザ」になって多くのひとの目に触れろといった。インフルエンザといえば、風邪みたいな症状を引き起こすウイルスのことだ。だとしたら、それは、一般的には害悪となるものである。じぶんたちヤンキーくんは既存の価値観を超えた生き方をしているもの、したがってある意味インフルエンザそのものである、じぶんたちのやりかたでそのまま人目につくことをすればよいではないかと、もちろんこんな明白なことばでではないだろうけど、そのように考え、実行に移したのではないだろうか。日本語でカタカナ語になる外来語というのは、意味がからっぽのまま流通してしまうことが多い。言語学的には膠着語といって、ある種のテンプレートみたいなものがはっきりしていれば、意味の不明瞭なことばをぼんぼん放り込んでいってもなんとなく文として成立してしまう、そういう性質が、日本語にはある。そしてまた、意味がからっぽのままであることで、なにかそのことばにじぶんなど到底理解できない深遠な価値があるようにも感じてしまう。柳父章は『翻訳語成立事情』という本でそれを「カセット効果」と呼んでいる。カセットとは宝石箱のことで、その中身の価値はわからなくても、なんとなくあこがれて、ひきつけられてしまう。たとえば三島由紀夫は、「美」という翻訳語からあえて意味をぬくことにより、カセット効果を有効に利用したという。おもえばこの効果は、天生の示す「あなたの知らない世界をわたしは知っている」という態度と非常に相性がよい。「インフルエンサー」がinfluenceからきているのかな、ということくらいは想像できても、なにかもっと深い意味があるような感じがしてしまう、そのとき、カセット効果が発動している。それを継承する仁にしても、べつに深く、確実に、インフルエンサーの意味を理解している必要はない。なんとなくでよい。むしろなんとなくでつかったほうが、意味があいまいになり、神秘性は増すかもしれない。神秘性はそれを発したものを上位に立たせ、受信したものに「遅れ」を感じさせる。やたらカタカナ語を用いたがるタイプの上司にこういう感覚を抱いたことはないだろうか。しかし苅べーはそこから神秘性を汲み取らない。神秘性を感じるためには、あこがれなければならない。あこがれるというのは、じしんの神経作用や記憶や体験の外部にあるなにものか、「理解できないもの」に触れたいと感じる衝動のことである。けれども、苅べーにはそれが欠如している。自分自身、あるいは「オレたち」の価値観のみを信奉してゆずらない、それがヤンキーくんの定義だからである。だから、似たような響きのことばにたやすく聞き間違えて疑わない。


誰にも注目されていないところにいても、一瞬で広まって日本中が知ることになるのがネットという世界である。まとめサイトまでできてしまい、そこでは苅べーよりむしろ村上仁のほうに注目が集まっている。というのは、ぜんぜん知らない、会ったこともない連中までがおもしろがって苅べーのまねをし、全裸で股間に「村」「上」などと書いた紙を貼って写真を投稿したりしているのである。清栄はそれを「炎上マーケティング」という。天生の理屈でいえば、悪名でも、広がるのは早いし、興味をもたれればそれでいいということだったから、ある意味ではまちがっていないのかも。清栄は天生にたのまれたことなので、仁を天生のもとに連れて行く。しかし、なにやら態度が冷たい。ずっと「仁くん」と呼んでいたのに、いつの間にか「村上」となっている。


天生はまず仁をすごいほめる。天生は仁の勢いをどこまで知っているのか。細かいところが描かれていないのでよくわからないのだが、セミナーを開いたり紹介料でネズミ講式に村上メソッドを購入させるという手順は、天生や清栄とは無関係に、かってにやっているように見えたのだが、そうでもないのか。だとしたら仁は丸儲けというわけではないのか。だが、フェラーリのぶんの借金の3000万をすぐ返せると仁は自信満々なので、じっさいに儲けているっぽい。となると、たんにネットや噂で彼の活躍をきいているとか、そんな程度のことなのかもしれない。

そして、仁に引っ越せという。金は使うためにある。フェラーリの持ち主がアパート暮らしではだめだ、タワーマンションに引越しなさいと。そして、金をつぎこんで新しいビジネスをはじめるから、いっしょに稼がないかと持ちかける。すごいはなしだが、清栄は黙っていられない。おもえばやたらと天生が仁に目をかけるので、清栄はずっともやもやしていたのかもしれない。天生のビジネスパートナーはまず第一にじぶんである、仁なんかうちの会社に入ったばかりの半人前であると。

尊敬している人間がそんな態度に出れば、まず戸惑うものだが、仁は迷わぬ。すぐに清栄の会社から離れ、じぶんの会社を立ち上げると即答する。天生はおもしろがってふたりで勝負するようにいうのだった。


勝負の内容はあとで決めるということだが、なんにしてもたいへんなことになった。尊敬していた清栄と訣別して、勝負することになってしまったのだから。とりあえず引越しはするつもりだが、フェラーリ代もまだ支払ったわけではないし、金の心配は尽きない。そこへ、マサルから電話。マサルは仁がフェラーリを手にしたことを知っている。しかし仁は厳密には3000万払って購入したわけではない。そのあたり、マサルは知らないとおもうが、仁は特に否定しない。そして、約束通り、清栄メソッドを買わせるために苅べーたちに金を貸してから2ヶ月がたったので、停止していた10日5割の利息を復活させ、取り立てを開始すると宣言する。もちろん、苅ベーたちに返せるわけがない。返せるかもしれないが、少なくともはなしの通り金持ちになって、その金で返済をするということにはならない。万が一苅べーたちから回収できなかったばあい、お前を殺してでも回収する、マサルはいう。合計840万。この金はカウカウを通していない。だからたぶんマサルのポケットマネーである。ついでに、マサルはいう。




「カウカウファイナンスの借金は最優先にしろ。



丑嶋社長を舐めてると、痛い目にあうぞ」




どこかべつの場所では、丑嶋社長を舐めていたとおもわれるヤンキー2名がぼこぼこにされている。ふつうの神経なら、丑嶋を舐めるなんてことはありえない。だいたい、仁は丑嶋の怖さをいやというほど知っている地元の人間である。だが、いまの仁は金が必要だ。人生の変わり目でもある。闇金なんてべつにいいかとなる可能性も高いのである。




つづく。




マサルがいっているのは、マサルではなくカウカウから借りた20万のことである。マサルは20万といっているが、利息はどうなっているのか。この言い方だと20万返せばいいというみたいだが・・・。仮に借りてからだいたい2ヶ月たってるとしたら・・・230万くらいか?ジャンプしていいと社長がいったわけでもなく、取立てがあったわけでもないのにここまで膨れ上がっているというのは奇妙ではある。いずれにしても、いちおう、社長としては、仁にかんしてはマサルに任せるということになっている。だから、催促じたいはカウカウ的にはされていることにたぶんなっている。それをマサルがしていないのは、金持ちになるのを待ったか、あるいは仁を陥れる等の意図があったか。なんにしても、この金を仁が返さないと、マサルじしんが社長の期待を裏切ることになり、ある意味「舐めてる」ことになる。マサルはなんかひとごとみたいにいってるが、仁とマサルは丑嶋社長の前では一蓮托生のはずである。

苅べーたちは金を返せない。いつものカウカウの手法で取り立てればよさそうだが、しかし丑嶋社長がからんでいるならともかく、マサルがひとりで取り立てるとなると、かなり難しそうである。たぶん、ほぼ全員、苅べーのようなヤンキーである。下手に強気に出たら、仁ごとリンチにあってしまうかもしれない。というか、マサルは最初からそうやって仁に矛先を変える気だったのかもしれない。

仁がどれくらい稼いでいるのかわからないのでなんともいえないが、あれから2ヶ月たったとなると、例の清栄メソッドの売り上げ報酬が入ってくるはずである。まだ仁と清栄たちの関係は続きそうなので、清栄が行方をくらますなんてことはなさそうだ。840万にはたりないとおもうが、少しは入ってくる。


仁的には、天生のいうことをきいて引越しをし、約束のフェラーリの代金を滞りなく払いたい。これから清栄と勝負し、天生と組むとしても、くりかえしやってきたように、この仕事では金を稼ぐために金が必要である。たぶんそのことも悟って、いま仁はけち臭い気分になっている。動いている額が額だけに、ディズニーランドに行ってお金の感じがよくわからなくなるみたいなのとおなじ作用で、丑嶋社長の怖さもよくわからなくなっている可能性も高い。


既存の枠組みをよしとしないという点でヤンキーくんとフリーエージェントくんはよく似ている、というはなしは何度かしてきたけども、うえのカセット効果のところで見たように、あこがれという点で両者は決定的に異なっている。あこがれそのものは、ひとが断絶した他者を感じる触媒として有効なものである。ただ、あこがれるべき対象を決めるのは、自身のものさしで計りきることのできないものがそうなるわけだから、「なぜあこがれるのか」をわたしたちは言語化することができないわけで(言語にできるのであればそれはそもそもあこがれとは呼べない)、結局直感に頼るほかない。あこがれのしかたもひとそれぞれなわけである。ある種類のひとは、カセット効果的なものに警戒心を抱くかもしれない。しかし、そもそも、わたしたちは、いつでもカセット効果的なものを経由して対象にあこがれるのだと、そういうふうにいえる可能性もある。このことには深入りしないが、しかし見たように、苅べーのような者にはカセット効果はつかえない。苅べーというのは、図式的には、「地元」の、フリーエージェントくんやヤンキーくんが厭う「枠組み」の象徴である。「枠組み」にとらわれるものはその外側にあこがれはしない。「枠組みにとらわれない」というもっと狭い「枠組み」のなかで安息するのである。外部のなにものか、「インフルエンサー」のような「宝石箱=カセット」を見ても、そこに「理解できないもの」を見ようとはせず、「インフルエンザ」のような似た響き、似た意味の石ころを拾うだけである。仁は、そういう彼らに足を引っ張られている。ネットで悪評を広められ、借金が重くのしかかる。仁は元ヤンキーであるから、過去に縛られているといいかえてもいいかもしれない。しかし、それを選んだのが仁じしんだということもある。彼には最初、それしか選択肢がなかったのである。だから、理論的には、彼はどうあっても「枠組み」から逃れられないことになる。順序としてはやはり、これを断ち切らない限り、彼はフリーエージェントくんになりきることはできない。苅ベーがアホなだけならまだいいが、それはやがて丑嶋社長になって戻ってくる。ここで取り立てをごまかしつつ前にすすんだとしても、「地元」の呪いは続行する。しかしそのままでは、彼はヤンキーくんのままなのである。






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