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これも荒木飛呂彦のホラー映画の本で紹介されていて、観てみたもの。不条理系だったかな。不快な映画、ということはその本にも書かれていたが、ここまで不愉快というか、無クソ悪い気分になった映画は久々。ウシジマくんの洗脳くん、あるいはそのもとになった北九州監禁殺人のまとめ記事、また同様にそれをもとにした新堂冬樹の『殺し合う家族』、このあたりを読んだ気分にかなり近いものになった。この手の事件のなにがこわいって、誰かに救いを求めてもたぶん信じてもらえない、というところだ。それは、味方がいないとかそういうことではなくて、事態が当事者には説明不可能になっている、ということなのだ。以下ネタバレあり。
僕が観たのはリメイク版なのだが、セットやセリフなど、オリジナルのものとほぼ変わっていないらしく、変化といえるのは文脈がアメリカになったことで、「映画」と「暴力」ということばの含みがやや肥大している(とおもわれる)ところだろうか。舞台は比較的裕福な層のファミリーが休日に集うなにか別荘地みたいなところ。主人公ファミリーはナオミ・ワッツ演じるアンとティム・ロス(名前忘れた)、それにジョージというかわいらしい坊や。車内で平和にクラシック音楽の曲名あてっこなどしつつ、別荘に向かっている。教養と愛、優しさ、平和、ひとのぬくもり。その途中、となりの別荘にいるものに声をかけるのだが、このじてんで不安な雰囲気が出始めている。
やがて台所で晩餐の準備をしているアンのもとに、ピーターと名乗る若者があらわれて、となりの、その、先ほど声をかけた家の夫人のつかいで卵を借りにきたという。ところどころ、なにか違和感はある。しかしそれは、前景化されない違和感である。たとえば、会話のほとんどのぶぶんはふつうに流れていくものが、冷静に振り返ってみると相手がこちらの質問にはいっさい応えていないことに気づくみたいな、そういう些細な、わたしたちの日常の会話にもありうる違和感である。こちらとしてもこれからお料理をしなくてはいけないので、12個ある卵を多少でもわけるのはちょっとためらうけど、アンは教養の高い、優しい女性なので、近所づきあいも兼ねて、4個手渡す。それを、「ドジ」なピーターは玄関口で落っことしてしまう。床も盛大に汚されて、多少怒ってもいいところが、アンはしかたないとあきらめ、それを片付け、さらにためらいつつも、また卵を4個わける。その際に、また「ドジ」なピーターはうっかりアンの携帯をシンクの水のなかにドボン。さすがのアンもかなり苛立ってきているが、常識ある文明人なので、張り倒したり怒鳴りつけたりすることはなく、彼に卵をもたせて外に出し、タバコを吸って気分を落ち着かせる。と、犬のラッキーが外でひどくほえている。おもえばラッキーは最初から彼らの性質を見抜いていたわけだが、ここに、ポールという男もいつの間にか加わって玄関口に立っており、犬がほえて通れない、ポールは犬が嫌いなのだ、とかなんとかいい始める。卵はいつの間にピーターの手から消えている。犬に驚いて落としてしまったと。ここからの細部、ちょっと忘れてしまっているが、とにかく、この後におよんでまだ卵をくださいと、「礼儀正しく」たのんでくる彼らに、いい加減にせいよと、アンは怒って、出て行ってくれという。私有地である。どんな理由があるにせよ、ないにせよ、その家のものが出て行ってくれといっているのだから、出て行くほかはない。しかし、このポールという男が、洗脳くんの神堂ばりによく口のまわる男で、いったいじぶんたちがなにをしたというのか、なににそんな怒っているのか、理由をきかせてくれ、みたいなことを延々と言い始める。君たちの感想などどうでもよろしい、出て行ってほしいといっているのだから出て行ってくれと、そういうはなしなわけだが、ポールはもたもたねばねば、玄関口から離れない。そこに、夫のティム・ロス(名前忘れた)が戻ってくる。アンは事態を説明しようとするが、できない。まあ落ち着きなさいと、そういう、この手のはなしでいちばん不安を誘うを反応を夫は見せるが、そこに愛が働いたものか、夫は、妻がこれだけ取り乱しているのだから、事情はわからないがなんらかの理由があるのだ、という「信頼」のほうに傾き、ようわからんが出て行ってくれるかという。アンは夫にすべてを丸投げして引っ込んでしまうが、たぶん、そうすることで家族がそろったので(坊やもどっかのタイミングで家に戻ってきていたはず)、ポール的には「始めるか」みたいな感じだったのかも。やや無礼な口調、「つべこべいわず卵をよこせ」みたいなことをいって夫を感情的にさせる。夫は、もちろん、教養の高い社会人であるから、「その無礼なことばはなんだ」と、年長者らしい態度を見せる。エクリチュールにとらわれる文明人の陥穽である。まともな文明人はそこで目潰しをしたり金的を攻撃したりはしないのである。それを受けてポールは、決め手となることば、「なめてると足を折るぞ」みたいなことをいう。いわば、「これが本性だよ」という具合に、カッコつきの「本性」を見せつける。で、とっさに夫はポールの顔を張ってしまう。そう、ただの平手うちである。喉をしたたかに打つわけでも、人中に一本拳をさしこむでもない、だって、常識人だから。それを受けて、ポールとピーターは豹変、近くにあったゴルフクラブで夫の膝を砕き、一家を掌握する(じつはこのじてんで犬は殺されている)。
長々と説明してしまったが、これが冒頭の・・・2、30分くらいかな?ここから、ポールとピーターによる一家の陵辱がはじまる。彼らの目的はなんなのか?じっさい、夫がポールにそう訊ねる場面がある。しかしポールは、つくりばなしなどをまじえ、冗談のような口調で応えるのみで、まともなこたえは返ってこない。というのは、べつに目的なんかないからである。そういうはなしだとは知ってはいたが、もっともそのことが強烈に知れたのは、アンが服を脱がされる場面である。アンは、ナオミ・ワッツなので、ものすごい美人である。これが、脂肪がついてるかどうかを確認するという理由で服を脱がされる。ポールもピーターも若い男性で、しかも狂人である。夫は動けない(血が出ているようなので、たぶん開放骨折している)。通常の犯罪映画であれば、レイプされていても不思議ではない。しかし彼らは、アンがスマートな体型であることを確認すると、満足してしまうのである。金やその他のものを奪うことにも興味はない。ただやたらとピーターが空腹を訴えるのみである。
ここから一家は監禁され、ひとりひとり殺されていくわけだが、脱出や反撃のチャンスがなかったわけではない。というか、チャンスはかなりあった。本作は鑑賞者がイライラすることまちがいなしの傑作なのだが、その理由のひとつはそこにある。男性ならおそらく考えることのひとつとしては、ポールとピーターが決して筋骨隆々のたくましい男ではないことや、監禁や人殺しにそれほどテクニックを用いているわけではないということである。たしかに、唯一の成人男性であるティム・ロスは早々に戦闘不能にされてしまっている。しかしある意味ではそれは記号としての戦闘不能である。じっさいにそういう場面はあるのだが、痛みに一瞬たえてとびかかれば、相手がひとりであればわずかにでも動きが鈍くなる瞬間ができるし、そのときであれば、女性のアンでも仕留めることは可能である。そうでなくても、たぶん(男性なら)誰でも、「そこ!そこで目玉をえぐるんだ!」とか「いま!いま金玉を握りつぶせ!」とか考えるはずである。少なくとも僕はそう考えた。けれども、しない。また、やがてアンは服を脱がされ、ガムテでぐるぐる巻きにされてしまうが、その少し前までは、かなり自由に動いていた。子どもや動けない夫がいるといっても、ポールたちはなにも銃をもって脅しているわけではない。刃物さえもっていない。もっているのは、ティム・ロスのゴルフクラブだけ。つまり、手ぶらできているのである。
なかばではジョージ坊ややアンも脱出に成功する。が、どちらもあっさりつかまる。そのつかまりかたも苛立ちを誘うもので、このころになるともう悔しくて頭痛くなってくる。じっさいにこういう監禁をされたら、カメラの画面で客観できるわけではないし、そんな冷静になることもできないと、そういうふうにいうことはできるとおもうが、たぶんここに描かれているのはそういう「リアリティ」ではない。ところどころ、ポールがカメラ目線になって、わたしたちに語りかけてくる場面があるので、ああ、そういうメタムービーでもあるのか、とおもわせるところもあるのだが、それがきわまったラスト近くのある場面で、それがはっきりする。彼らの暴力は、もう最初から、抵抗ができないものとして設計されているのである。暴力からの脱出、ないし抵抗が、本作の描くところではなく、その陵辱それじたいがこの映画の本体であったのだと、そのとき気づかされるのである。彼らは最初から「強い」わけではない。なにしろ手ぶらなのだから。が、絶対に逆らうことができない。銃をもっている、おそろしい腕力である、なにを試みても見抜かれる、そのような「強さ」は、超越可能な量的な暴力である。相手が銃をもっていても、こちらももっていれば対等だし、彼らがすさまじい腕力の持ち主でも、主人がプロレスラーだったらアウトである、どれだけ優れた頭脳をもっていても、たまたま御手洗潔がいたらそれも意味がない。そういう「暴力」ではない。作中、ジョージがポールにライフルを向ける場面があるが、ポールはそれにひるまない。弾が入っていなかったわけだが、あれは別に、ポールも「弾が入っていない」ことを知っていたわけではないのではないかとおもう。弾が入っていようといまいと関係ない、この世界で彼らの暴力は絶対であるから、どんな手段をもってしても超えることはできない、それを、ポールは知っている。だから、他人を殺すことも、またじぶんたちが殺されるかもしれないことも、どちらも同等に恐れないのである。
また本作には、いま風にいえばフラグというか、脱出の伏線みたいなものがかなり用意されている。いちばん露骨だったのは、ジョージがボートのなかにわすれたナイフである。ボートに乗ったとき、映画や漫画などの数々の作品の文法に慣れたわたしたちは、即座にナイフがボートの底に落ちた場面を思い出し、「待てよ・・・ここにはナイフがある!」と考えるはずである。じっさい、そのナイフはつかわれる。だが、ポールたちは、特に驚きもせず、そればかりか急ぎもせず、それで縄を切ろうとするアンからナイフを奪い、直後にゴミでも投棄するように彼女を湖に落として無感興に殺す。あんな美人のナオミ・ワッツ、何度か脱出に成功しかけた彼女、伏線も見落とさなかった聡明なアンが、特になんの濃淡もない平面的な描写のなかドボンと殺害されるのである。もちろん、ググれば優れた分析がたくさん出てくるけど(それだけ傑作なのだ)、これらはハリウッド的文法を皮肉ったものである。わたしたちは、知らず知らずのうちに、映画であれ漫画であれ、お決まりの展開、特有の文法というものに侵されている。近年のサブカルチャーの領域では、それが自覚されたものとして展開されている。その「フラグ」ということばにしてもそうだし、キャラクターのビジュアルや性格の属性づけだとか、そういうことばに具現されたものだが、ハリウッド映画では「暴力」もまた、そういう独特の文法のもとに解釈されている。それが現実では通用しないと、そういうことを描いたものではくりかえすようにないわけだが、たんに抵抗不可能な純粋の暴力、絶対的な暴力を描くものともまた異なっている。それなら、あのナイフの伏線は必要ない。いってみれば、あのナイフそれじたいが、ハリウッドの比喩なわけである。暴力のリアリティではなく、ハリウッドの描く暴力の批判思想的なものとして、本作は抽出されたのである。
じっさいにそういう場面はないのだが、仮に隣家に助けを求めたり、あるいは警察に通報することに成功したりして、果たしてそれはうまくいくだろうか、というのがある。そもそも彼らの暴力は絶対なので、まず「通報」じたいがうまくいかない、といえばそれまでだが、たぶん誰か別の第三者がやってきても、うまく伝わらないのではないかというふうにおもえる。さすがに半裸のアンが縛られているところ見たら誰もが事態の深刻さに気づくとおもうが(だからそのじてんで彼らの死は決定していたのかも)、ティム・ロスが最初にとった反応のように、「まあ落ち着きなさいよ」と、状況を理解するために「落ち着いた」様子のポールからはなしをきくという事態になる可能性はかなり高い。だがそうなると、もう遅いわけである。アンたちもまた、ぱっと見はふつうの、「落ち着いた」様子の彼らに油断して、取り込まれてしまったわけである。もし彼らの絶対的暴力から逃れるすべがあるとすれば、それは、会った瞬間に彼らの狂気を看破し、銃を抜いて同時に射殺する以外ない。だが、それは、当のポールやピーターたちの狂気となにがちがうのか。起きた事態だけをみれば、初対面のよく知らない人間ふたりをいきなり射殺した、ということになるのである。愛や、教養や、常識では、彼らを倒すことはできない。同様の狂気でなければ、彼らを制圧することは原理的にできない。とすれば、ハリウッド映画とはなにを描いてきたのか。そして「暴力」を駆逐するハリウッド的正義、またアメリカ的正義とはいったいなんなのか。ポールとピーターに対してアンが最初抱えた違和感、そして怒り、それは、量的な、普遍的なことばで表現することのできない感覚的なものに近い。「卵云々は大したことじゃないけど、でもなんかおかしいのよ、狂ってるのよ」と、そういう説明のしかたしかできない。靴が左右で1ミリほど大きさが違うというような、時間をかけて体験したものにしか伝わらない「違和感」なのである。そして、彼らの性質、またそこから起こったことの顛末を他者に説明することが困難だということそれじたいが、そのハリウッド的正義の矛盾を示しているのである。良識に徹し、「まあ落ち着きなさいよ」と大人な対応をして、冷静にはなしをきき、教養に基づいて判断をする、そういうしかたではおさえることのできない、暴力とはそういうものなのだから。
傑作ではあるけれど、じっさいのところかなりいやな気分になる映画である。それも、直接的な残酷描写とかではないぶん、精神の深いところをゆさぶるような、不安の映画である。鑑賞には注意が必要かもしれない。
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