今週の刃牙道/第1話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第1話/欠伸




ついに・・・ついにバキが再開した!

前シリーズの『範馬刃牙』が終了したのが2012年の夏・・・1年半以上もバキなしだったのか。いや、穴ぼこだらけだった単行本をコレクションしなおしたり、完全版そろえたりはしてたので、ほんというと「バキなし」ではないけど。


これまでのバキシリーズ、『グラップラー刃牙』『バキ』『範馬刃牙』は、いってみれば、父親に規定されるバキという少年の成長譚だった。もともとバキは、地上最強の生物・範馬勇次郎の息子として、強くあることを求められていた少年ではあった。そのじてんでもすでに母親を経由した嫉妬めいた感情などもあって、ひとことで「強くありたい少年」とはいいきれない歪んだものがあったとはいえ、いちおうそういうふうにいうことはできたとおもう。それが、13歳のときの父との真剣勝負に完敗したとき、すっかり変わってしまう。それまでずっと勇次郎サイドに立っていた母・朱沢江珠が母親としての心性をあらわにし、勇次郎にかかっていったのである。勇次郎はそんな妻を「いい女だ」と評しつつ、ベアハグで抱き殺す。その瞬間から、バキの父親越えは宿命になった。ごくごくたんじゅんに説明するとそういうおはなしである。一般論として、強さにもいろいろある。腕力にお題を限ったとしても、あるふたりの人物の「強さ」を絶対的な不等号で量的に定めることは、ふつうできない。たんに「誰よりも強くありたい」というだけの欲望であったなら、父親を超えなくてもそれを成立させることは難しくない。それは、けっきょくのところ一種のレトリック、「表現」にすぎないからである。けれどもバキは、母親の死を経験して、なんとしても父・勇次郎を倒さなければならなくなった。そして、父を倒すということは、世界中のすべての人間に勝利することと同義である。「誰よりも強くありたい」が「表現」ではなく、ことばのそのままで通用するようにならなければならない、バキの目指すところはそこだったのである。


勇次郎というのは、ことあるごとに、自分以外のすべての人間(あるいは生物)が「交換可能」であるということを告げてまわっているような存在だった。「お前にできておれにできないことはない」とすべてのファイターにつきつけ、その存在の無意味を示すような、強さを追い求めるものには絶望的な存在だったのである。既知で埋め尽くされた世界、みずから再現可能な人間たちに満ちた世界、そんななかで、圧倒的な未知を求めてさまよい歩いていた、ある意味孤独な人物である。

バキは、様々な人物とのたたかいを経験してついに勇次郎と再戦することになる。その結着は、ふつうに「勝敗」の概念では到底計ることのできない、難解なものであった、が、いずれにしても、ふたりの関係にひとつのこたえを出して完結したのが『範馬刃牙』だったのである。


それからどれくらいの日にちがたっているのだろうか。バキはトレーニング中である。全身バキボキに骨折していたはずだが、もうすっかりよくなっているっぽい。異様に長く、急な階段のてっぺんにいる。すでにからだはあったまっている様子である。彼は考える、駆け登るなんて珍しくもなんともない、「駆け落ちる」のだと。そんなことをしていったいどういうトレーニングになるのか、神経とか精神とか、そういうレベルの鍛錬なのか、ともかく、ほとんど崖をとびおりるように手足を前方に送り込んでいく。落下速度にたえて、どうにかそれをしのぐ、というのではなく、落下をむしろ超えていき、それ以上の速度で進んでいくというのである。


トレーニングというかチャレンジというか、常人のとれる行為ではない。しかし、バキの顔は徐々に弛緩しはじめる。あくびなのである。「こんなときにまで」とバキはいう。つまり、どうも最近あくびが癖になっているようなところがあるらしいのである。



「予測は・・・


していたとはいえ・・・



こうまで・・・


退屈だなんて・・・」




あの歴史的な親子喧嘩を終えたあと、バキにはきっと、「これから退屈だろうな」という予感があったのである。だって、もう彼が生涯を捧げてきた「強さ」にかんしてできることはもうなにもないのだから。全世界が「既知」で埋まってしまったのである。それだから、未知を求める。じぶんが想像さえしていなかったことが得られるかもしれないと、階段を落下してみたりするのである。


今週は4話掲載、次の記事につづきます。






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