第292話/洗脳くん⑳
洗脳くんももう20話。ここでやっと、丑嶋がきちんとからんできそうな気配が出てきた。
カズヤの雇った探偵が秘密を守るかわりに金を要求してきた、という神堂のはなしで、みゆきは金を用意しなければならなくなった。神堂が勅使川原を通して彼女に紹介した仕事は、デリヘルなのである。その過程でほとんどじぶんの意見を出さず、なんとなく流されてきたふうのみゆきだが、女の子たちを派遣する例の金子の前に立ってさすがにたじろぐ。そこへ、たぶん金子の取立てにやってきた丑嶋が登場したのだった。
みゆきはいったんその場を離れ、なにかのまちがいじゃないかと、神堂に電話をする。しかし、ならどうするのかと、神堂は逆に問う。いつのまにか探偵のことだけではなく、カズヤの浪費癖や、姉のまゆみの件などのはなしまで加わっている。要するに、どうあっても金は必要だろうということをみゆきに納得させたいのだ。
とはいえ、風俗はちょっと、というのがみゆきの本音だ。神堂はそこを鋭く突いて、デリヘル嬢を下に見ているんじゃないかと指摘する。下に見ていようと上に見ていようと、やりたくない仕事をやらなくてはならない必然性は、みゆきにはまだないはずだが(前回書いたように、「風俗で働いてもいい」とおもえるほど、みゆきが神堂に惚れているとはおもえないし、金の件もそこまで深刻という感じはない)、神堂はまた例の口調で、巧みに論点を移し続け、なんのはなしだったか曖昧にしていく。
神堂はデリヘルを利用したことはないと前置きしつつ、ナイチンゲールのように偉大な仕事だと説く。だからなんだというはなしだが、とにかくみゆきは、たんじゅんなはなし、知らないひととそういうことをするのは抵抗があると、常套的な文句で応じる。
対して神堂はふたたび「問い」で返答する。みゆきに同意するでも反論するでも、命令するでもない。今度も、知らないひととそういうことをするのは抵抗あるし怖い、というみゆきに、唐突に「5回前のセックス覚えていますか?」と問いかける。みゆきは最近カズヤとはしていないそうだから、相手はとりあえず神堂だ。しかし細部までは記憶にない。つまり、くりかえされればどんな記憶も薄れてしまう。神堂は、愛を重ねることで、その記憶を薄れさせてやると、そういいたいのである。でも、ということは、みゆきがいま感じている抵抗や恐怖は、少なくともいまのこの瞬間には解消されないことになる。「愛のミルフィーユ」は、神堂の愛の表現で仕事の記憶を薄れさせてやる、という意味にいちおうはとれるが、しかしみゆきはわりと大金を稼がねばならないし、となると、ここでも何度か世話にならなければならない。だとすれば、記憶を薄れさせるのは神堂ではなく、「次の客」である可能性もある。最初の抵抗感は、次の抵抗感に打ち消され、原理的には、色を変えるだけで一定の抵抗感が残ることになるが、記憶が積み重ねられるうちに、それらは徐々に薄れていってしまうだろう。しかしそれは、抵抗感や恐怖が解消されたわけではなく、たんに鈍くなっていっているだけなのである。神堂はここで、決して、みゆきを守ろうとするような発言をしているわけではないのである。むしろ、面と向かって、しかしことばのうえでは晦渋に、遠まわしに、鈍くなれと告げているのである。もちろん、しっかり吟味する時間が与えられているわけではないみゆきにそんなことが見通せるはずもない。
とりあえず、描写のうえでみゆきが返答した様子はない。そこに、様子を伺っていたらしい丑嶋がやってくる。じぶんは金貸しである、金に困ってるなら相談にのると。べつに、主人公的な変な正義感が働いているわけではないだろう。デリヘルに初出勤したいっけんカタギの女の子が、外で電話してもめているのだから、どう考えても金に困っているし、丑嶋としてはたんじゅんに顧客ゲットのチャンスなのである。
これに対してもみゆきの返答はない。この子は基本的に流されるキャラクターなのか。そこに、金子がやってきて、お客さんがきたという。例のケチなヤクザ、柏木なのである。そしてこれに対してもみゆきがどう応じたかは描かれない。けっきょくみゆきがどうしたのかは、今週ではわからないのだった。
さて、手首を切って入院していたまゆみだ。いちおう自殺未遂ということになっているはずだが、こういうばあい警察とかは出てこないのだろうか。まゆみは神堂と距離をとるために、彼には内緒で一日早く退院することにしていた。医師は心配そうだが、まゆみはとにかく神堂の目の届くところから抜け出したいのかもしれない。
だけど、そうすることを予測していたかのように神堂が「お迎え」に到着する。一日早く退院することを看護師から聞いたということだが、それは、わざわざ連絡があったということなのか、それとも、たまたま見舞いにやってきたたったいま、病室の前で聞いたものか、よくわからない。
ふたりは神堂の車で出発する。いずれにしても、神堂は怒っている。やがて彼は運転を変わるよう命じ、ぺらぺらといかにまゆみが終わっているかをまくしたて、そのいっぽうで、電子ライターを解体して、なんだろう、接点のぶぶんを露出させる。これで「バッチン」することで、少年時代、ゲームセンターでタダでゲームをしていたそうだ。「本気モード」に突入して神堂は、「バッチン」でまゆみに正しい道を歩ませるつもりだ。タダしいはゲームがタダとかかっているのだろうか、どういう理屈かわからないが、もはやそんなことはどうでもいいのかもしれない、まゆみはすっかり萎縮してしまっているのだから。
そして本気モードの神堂は、運転中のまゆみの首筋にバッチンする。どういう種類の痛みがくるものかは想像もつかない。強い静電気みたいなものと考えてよいだろうか。
車を停めさせ、逃げられないよう靴を預かって、神堂は酒屋に向かう。その間、さきほどバッチンされたとき事故らなくてよかったと考える。なぜなら、神堂まで巻き込んではたいへんだからだ。
「神堂さんは自己犠牲をしてまで私を正しい道に導こうとしてしまった・・・
なのに私は自分の芯が足りないから犯罪にまで手を染めてしまった・・・
もう絶対に取り返しがつかない・・・
このまま生きていても神堂さんや家族や、会社の人達にも迷惑をかけてしまう・・・
私には神堂さんと生きる資格はない」
そうして、まゆみは逃走を決意し、裸足のまま車をおりてどこかに行ってしまう。もどってきた神堂の形相のすさまじいこと。
しかし、動機はとんちんかんだが、逃走したのはよかったかもしれない。このまま神堂のもとにいて事態が好転するということはありえない。とにかくまずは、彼のもとから遠く離れないことには、なにもはじまらない。
だが神堂からしてみれば、こういうことも予測済みというか、よくあることなのかもしれない。彼は速やかにまゆみの母に連絡をとり、「まゆみは麻薬の金欲しさに死体遺棄の手伝いをしていた」という物語を聞かせる。お金を無心してまわっていたのは麻薬を買うためであり、暴言の数々はラリっていたせいだというのだ。はなしに麻薬が入り込むとなると、たいていのふるまいは「麻薬のせいだ」ということで通ってしまう。表面的にはいかにもつじつまのあった物語なのである。また自殺しようとするかもしれないし、下手すると強盗でもしかねない、なんとしても捕まえなさいと、母親をけしかけるのだ。
裸足ではそう速く移動できない。すぐにまゆみを発見した神堂は、主人が奴隷にするような、ひとをひととおもわぬ態度で「まゆみ!!ハウス!!」と叫ぶのだった。
つづく。
まゆみへの洗脳がここまで進行しているとはおもわなかった。こうなると、あの自殺未遂は、罪を犯してしまったことからの逃避ではなく、自己嫌悪であることになる。そしてまた、自殺未遂ということそれじたいが、みずからを神堂には合わないものと規定してしまい、さらに嫌悪させる。やはり逃亡の選択じたいは誤りではなかったろう。このままではまゆみは永遠に神堂への劣等感にとらわれることになり、やがては「ハウス!!」という命令にも応じるようになってしまうかもしれない。
今回はみゆきを通して、丑嶋がはなしにからみだした。みゆきはなんとも応えていないので、金を借りずに柏木の相手をしたのか、金を借りてデリヘルの仕事は断ったのか、あるいは、金を借りてなおかつデリヘルもはじめたのか、それともぜんぶ投げ出したか、これではわからない。しかしいずれにしても、彼女が丑嶋から金を借りれば、はなしはかなりおもしろいことになるにちがいない。パーキングでの因縁もあるし、かかわりがあるとしれば丑嶋は取り立てに容赦をしないだろう。みゆきにはやや考えがたりないというか、流れに任せすぎなきらいもあるし、どことなく世間知らずな感じもする。闇金から金を借りることの意味をたいして考えず、なおかつ、神堂にはデリヘルで働いていることにしたとすれば、事態はかなりこんがらがり、スリリングになるかもしれない。といっても、金子は勅使川原経由で神堂の息がかかっているので、それはないのかもしれないが。
柏木は今回のエピソードに登場する唯一のヤクザだが、神堂との関係はどうなのだろうか。正直にいって柏木はかなり小者という印象だ。関係があったとしても、手のひらで転がしているのは神堂のほうであり、柏木は自覚がないというようなものかもしれない。パーキングでの対峙が示していたように、神堂としても、もめごととなったときにそうかんたんに警察を呼ぼうというふうにはならない。対して、丑嶋においてべつに呼んでもかまわないという態度であるなら、やや神堂に不利になる。柏木はたぶんそういう面で、法の外の暴力として物語に呼び込まれたものだろう。
まゆみはここまでになってしまった事態のいっさいの責任はじぶんにあると考えている。僕の想像していたまゆみの心象としては、もう少し冷静に、逃れられない神堂との関係性のことを考え、絶望し、逃げるように自殺をはかったというところのものだった。しかしそうではない。まゆみは、今回の件について、神堂に責任があるとか、神堂のせいでそうなった、そうせざるを得なかったというふうには、まるで考えていないのだ。疲れと緊張で正常な判断ができなくなっているにんげんを問い詰め、質問のかたちではなしかけ、客観的にはそれしか選択できない状況を、まるでじぶんで、主体的に選択したかのようにおもわせる、そういう戦術なのである。外から冷静に見れば、まゆみには洗脳くんのおはなしがすすんだとおりの道しかなかったのだが、まゆみじしんの実感としては、さまざまな選択肢のなかからほかでもないじぶんが、その結果を導いてしまった、ということになっているのである。
だとするなら、まゆみは神堂の計画したとおりの順序で奴隷化へのプロセスをたどっていることになるわけだが、しかしこの段階で彼女が捻出した「逃亡」という考えは、すぐにフォロー可能なものであったにせよ、それなりに意外性のあるものだったようである。あるいはまゆみの特別性はここにあるかもしれない。いまではすっかり変貌してしまった松田明日香が逃走したときは、こんなふうな様子ではなく、自己嫌悪とか責任感とかそういうものではない、ふつうの恐怖とか怯えが彼女を逃走させたようだった。当時はまだ洗脳が不完全だったというだけのことだろうか。といっても、神堂のまゆみへの対応は手馴れたものでもあって、幾度も経験している感じもしないでもない。なにより、まゆみが逃亡したという事実をもって、麻薬云々の物語の信憑性が増してしまっているのだ。このことで、ついに上原一家は神堂の足元で衝突することとなる。娘のためか、世間体のためか、あるいは自分自身のためか、各自の動機はともかく、機能としてまゆみを追う母親は神堂の手先にちがいないのであり、その状況そのものがすでに異様なのである。
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