第286話/洗脳くん⑭
仕事中など、じぶんのいないところではまゆみが婚約指輪をはずしていることを知った神堂。指輪をはめたまゆみの薬指に、神堂は重いグラスを打ち下ろし、指を砕いた。指輪をはずせないようにではない、はずれないようにだ。
会社には未婚の女性が多い、気を使うというのもあるし、それで逆に気を使われて、最近調子がいいだけに、仕事をはずされたりしてはいやだ。まゆみはそのように説明したが、神堂はそれを「世間体の話」と一蹴する。聞きたいのは本心だと。世間体の話として、指輪をするかしないかなどどうでもよい。まゆみが本心でどうおもっているかと、そういうのである。となると、神堂にとって、まゆみにとっての「世間体」などは、じぶんたちの関係に比べたらとるにたらない、どうでもよいことだということになる。少なくとも、そういう意味合いが迫力となって含まれている。
どこまで「洗脳」されているかよくわからないまゆみだったが、やはり現状では、恋をして視野が狭くなっているという程度だったのかもしれない。帰ってくれとまゆみは懇願するが、フィアンセにむかってそれはないだろうと神堂はいう。いずれふたりはいっしょに住む。「帰れ」という語法はもはや無効なのである。
そこで神堂は、急にハシくんの名前を出す。まゆみはとっさに、連絡はとっていないと応えるが、それは嘘だ。ハシくんとまゆみは、はっきりとしたことばで関係を解消したわけではなかったはず。だからまゆみにも非はあるが、神堂との関係があまりにハイペースだったためといえないこともないし、ハシくんからメールや電話があれば、まだまゆみは反応してしまうだろう。ハシくんには甲斐性という意味でのリアリティがない。その意味で、まゆみのほうでも真剣に「別れよう」という気持ちは起きにくかったのかもしれない。
神堂はまゆみの携帯をつかみ、勝手にロックを解除して、履歴を見る。神堂は「私と出会ってからも何度かハシと連絡とってますね」といって激怒する。「出会ってから」というのがすごい。まゆみやハシくんの意志などは、ここでは問題ではないのだ。
とにかくおそろしい形相だ。泣きながら混乱するまゆみに、急に冷静な口調になった神堂が、「心の底から愛してる」と告げる。愛しているから、こんなことをするのだと。まゆみは当然、いきなりこんな暴力をふるわれて、神堂を信じられないというのだが、神堂は、こんなことをさせたのはまゆみだと、なにか微妙にはなしをすりかえる。じぶんはまゆみを愛してしまった、だからじぶんはまゆみに支配されているのであり、じぶんの運命はまゆみにかかっている。それなのに不安をあおる言動ばかりだと。ことばとしては、ストーカーの理屈とおなじ形状だ。ストーカーなら、そんなの知るかよといえるかもしれない。だが、まゆみには神堂を拒むことができない。くちではそうしても、からだがいうことをきかないのである。
別の日、翌日かもしれない、昨晩あまり眠れなかったせいか、仕事場でぼんやりしているのを編集長に指摘される。と同時に、包帯でぐるぐる巻きの薬指にも目がいく。編集長はまゆみの怪我より、そこの根元に光って抜くことのできない指輪に反応する。編集中がどんな感想をもったかはわからないが、結婚のことがばれてしまった。神堂はこうした流れも計算していたのだろうか。暴力男はいやだ、しかし、周囲に伝わってしまった以上、婚約破棄は自分の評価を下げる原因にもなるのだという。そういうものか・・・。
もちろん、今回の件でもやもやした不安は自覚できるくらいはっきりとしたものになった。でも、まゆみには後戻りできない。そんななかで、「頼みがある」と、神堂に持ちかけられる。じぶんの会社が、今度あたらしい事業に乗り出すことになった。スマホの最先端アプリの開発だという。だが資金繰りが厳しい。まゆみに株主になってもらいたい。とりあえず500万円用意できないかなと。昨日の今日でなにをぬかすのかと、いえそうな気もするのだが、まゆみは黙っている。そして、実家の母に「相談」をするのである。
つづく。
いきなりむちゃくちゃなことをいわれて、まゆみは母親に電話することになった。
果たしてこの相談は、「500万円貸してくれ」なのか「500万円貸してくれって神堂さんにいわれたんだけどこれどうおもう?」なのか、現時点ではまだわからない。
ただ、気になるのは、まゆみの母がいやにけばくなっていることである。胸の谷間を強調した服装で、明らかに「女」が意識されている。たいへんに不安な展開である。考えられる原因といえば、神堂以外にない。はっきりした描写はなかったが、どうもふたりはラブホテルにいったような感じがあった。そして母がそれを失敗だったとおもっていなかったとすれば・・・まあこの「谷間」はおもっていないからこそだろうが・・・、彼女は神堂の味方をするにちがいない。それどころか、神堂をめぐって母にとってまゆみが仮にライバルになっているとしたら、むしろ彼女はまゆみを責めるかもしれない。
今回の一連の神堂の「怒り」だが、もちろんあれはすべて芝居であり、「物語」である。
まゆみは、神堂の恫喝と口八丁ですべての反論を封じられている。指輪をはずしている理由について、まゆみは世間体の文脈ではなしをしたが、神堂は、そんなことは知らない、本心はどうなのかと問う。仮にここでまゆみが冷静に、「本心ではもちろんはずしたくないが、しかたないのだ」というふうに説明したとしても、「しかたない」で割り切れる程度の愛なのか、とかなんとかいって、たぶん、神堂は、いずれにしても、「はずれない」方向にもっていったはずである。世間体のためであろうとなんであろうと、指輪をはずすことは許さない。したがって、少なくとも指輪に関して、もはやまゆみがなんらかの意志、はずすとかはずさないとかの判断を下すことはできなくなっているのである。そして、指輪の孕む「意味」は、ふたりの関係、つまり結婚を前提にした恋愛関係である。指輪そのものはたんなる記号だが、これを固定してしまうことで、神堂は束縛を完全なものにするのである。神堂は「指輪」についてはなしているが、実質的にはふたりの関係についてはなしているも同然なのだ。じっさい、計算していたかどうかわからないが、包帯でふくれあがり、薬指、および指輪はたいへん目立つ状態になっていたのであり、まゆみはそのことでよりいっそう別れにくくなっているのだ。
そして、「帰ってくれ」というまゆみに、フィアンセなのだから帰るもなにもない、みたいなことを神堂はいう。もちろん、「帰って」というのは、この場から出ていってくれ、という意味で、自室にいるために、まゆみはそのように翻訳してくちにしたわけだが、神堂は、「フィアンセなのだから『帰って』という命令じたいが成立しない」という具合に、議論の次元をひとつくりあげて、するりとまゆみのことばをかわしてしまう。続けて、まゆみは、もう神堂を信じられない、とまではっきりくちにするが、これも、そもそもじぶんには非がないと、はなしの次元を変えて応じる。彼はまゆみを愛しているが、愛させているのはまゆみだ、そのようにいうのだ。この理屈が通るなら、通勤中に一目ぼれした女の子をストーカーしている男がこれにおそいかかったとしても、彼には非がないことになる。じぶんは毎日彼女の幻像に支配されていた、一目ぼれさせておいて、かってに彼氏をつくる彼女が悪いのだと。
だが、ことごとく反論を封じられ、当然暴力の恐怖もそこに付け加わることで、まゆみはこれを受け容れてしまう。もともと、僕の推測では、勅使川原を経由した「スピリチュアルなワーディング」を通して、まゆみの物語は書き換えられている。すでにかなりの範囲で、彼女の語彙は、神堂個人のものに置き換えられているはずだ。それは、彼女に自覚のないレベルで、彼女が神堂に「含まれている」という感覚をほどこす。そして、それはたぶん現在進行形なのだ。神堂は、暴力はもちろん、ことごとく反論を封じることで、「世間体」などのべつの文脈の論理をいっさいもちこまぬよう、「洗脳」しているのである。
「帰って」のところで唐突に出てくる「アベック」とか「プロレスラー」とかいうことばも、なにやらこうして見ると、滑稽というよりは不気味である。「アベック」ってあんた、いつの時代だよとか、なんでここでプロレスラーが出てくんだよとか、客観的には、そうおもえる。だがこの喧嘩の現場で唐突にあらわれるこれらの異風のことばは、ある効果をもっている。まるで、この関係性が、その他のいっさいの関係性、つまり、たとえば「世間体」とつながる文脈などとは途切れているのだという、非現実の感覚を呼び込んでいるのだ。「アベック」も「プロレスラー」も、まゆみとはなんの関係もない。というか、この場とはなんの関係もない。それがいきなりあらわれて、表現として、比喩として、つまり形容として挿入される。「アベック」なまゆみと神堂のイメージは、カップルがひしめく現在の社会の関係性のなかには組み込めないし、「帰ってくれ」というまゆみの嘆願は、観客のブーイングをうける悪役レスラーのイメージに回収され、現実性を失う。
ともかく、神堂は、闇金と同業という意味合いにおいての「洗脳くん」として、まゆみに物語を提供する。それは、まゆみのほうで求めているかどうかはもはや問題ではない。おそらく、まゆみの意識でも、「なんだか芝居がかった怒りかただな」くらいの感想は、苦痛と恐怖で混乱したあたまのなかにもわずかには浮かんでいるはずだ。だが、それはむしろ「アベック」などと接続することで、よりいっそう、神堂の物語を補強するものとなる。芝居がかっていようといまいと、いずれにしてもわたしたちは、ある流れをもった物語のうちに対話をする。そこに芝居を感じるということは、背後にそれとはまたべつの流れ、文脈を感知するということだ。おそらく、まゆみは、神堂独特の「ですます」調に、一定の芝居を見ていたはずである。ということは、その背後に、見えないべつの流れがあるということが、感じられていたはずだ。そうしたなかで、ちょうど吹き出しがギザギザになっているセリフ、つまり、ハシくんのことを問い詰めるところで、神堂は急に恫喝調になり、ですますを捨て去る。わたしたちからすれば、むしろこちらのほうこそ「芝居」に見えるかもしれない。だが、まゆみはおそらく、これまでぼんやりとしか感じられなかった神堂の「背後」を、ここにあてはめたはずである。「ですます」調は「アベック」と連結し、論理的に反論を封じた表層の物語空間を作り出す。と同時に、「嫉妬に狂った男」を彼の真実の姿だとまゆみに感じさせることで、その物語空間が「虚構」ではあっても不誠実なものではないということを保証しようとするのである。まゆみは「嫉妬に狂った男」を封じるために、この物語を受け容れる。つまり、他者の論理、「世間体」の論理をいっさい取り払った、神堂の独我論的物語をまゆみは受け容れてしまうことになるのだ。
いろいろ書いたが、正直言って神堂の戦略の全貌はまだぜんぜん見えない。たぶん、数週後に読み返すとまったく見当ちがい、という記事が続くとおもう。単行本出たらもう一回最初から考え直したほうがいいだろうなー。
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