第283話/洗脳くん⑪
上原家を鮮やかに陥落した神堂。おそろしいのは、「陥落された」という自覚が当人たちにおとずれることはないということだ。まゆみに限っていえば、彼女の陰部の物語は、勅使川原を通して書き換えられ、神堂の語彙を通して世界を見ることがふつうになってしまった。そのほかの家族については、「負債」という概念をつかうとおそらく見通しがよくなる。彼らはそれぞれに、信頼する、あるいは信頼すべき配偶者に「負い目」を感じるように運ばれてしまったのだ。その負い目の感覚は、神堂という依存の対象を確保したあとで、おそらくその責任を相手に求めるようになる。そうなってしまったのは相手が悪い、そのように考えてしまう可能性が高いのだ。
しかし今週は丑嶋の描写からはじまる。小金井というおばあさんから20万円の追加融資の要請だ。だが、今日は返済日であって、丑嶋は、年金手帳を預ければ考える、というふうにいう。カウカウの法外な利息を支払わなければ、まだよい暮らしができるものを、丑嶋が送ったという、例のあやしいお米でおにぎりを食べられることに幸福を感じている。丑嶋の分析では、考えるのがめんどくさいんだろうということだ。そしてそこに、「あのバーさん占いにすげーハマってるし」とも付け加える。つまり、丑嶋の考えでは、占いにはまることと、めんどくさいから思考を放棄することは同列なのだ。
いずれにせよ、「親切にお米を送ってくれる金融屋さん」という、丑嶋の設定した物語に、思考することを厭う小金井はあっさり身をゆだねる。神堂もまた、まゆみに思考停止をうながすような発言をしていた。闇金業も一種の洗脳で成り立っているのかもしれない。同じ悪人だが丑嶋や高田を見てほっとしてしまうのは、僕も洗脳されているということだろうか。
上原まゆみは夜中に洗濯をしながら神堂のことをおもっている。「ぎゅって挟まれたい!」と。抱きしめられたいということだろうか。挟まれたいという表現は、ちょっと聞いたことがないが、一般的なものだろうか?なにかそこには、神堂の男性的包容力というより、なにか固定的なものを感じないでもない。まゆみも思考を放棄しかけているのか。
そこへ、神堂と、ついでにカズヤもやってくる。ここで、神堂の服装はついに真っ黒になってしまった。準備が完了し、ここから完全に本性をあらわしはじめるとみていいだろう。
ふたりは近所で飲んでいたということだ。カズヤはすでにできあがっていてご機嫌であり、酒をもってきている。が、氷がない。わざと忘れたのかもしれない。神堂はそれとなく圧力をかけて、まゆみを買いに行かせる。そしてまゆみが帰宅すると、カズヤはマリファナを吸っている。そういう流れである。神堂がそのようにしろと、カズヤにいってあるのかもしれない。
まゆみは当然、犯罪だからいやがる。しかし神堂は、以前、飲酒運転を肯定するような発言をしていたことを持ち出す。飲酒運転して事故をおこせばひとが死ぬが、家でマリファナを吸うだけなら誰にも害はない。どちらが罪深いかと。それに、人生において、小さなことでも知っているのと知らないのとではまったく異なったものになる、などということをしゃべって、ついにまゆみにマリファナを吸わせてしまう。もちろん、神堂はそれを携帯のムービーに収めているのだ。
丑嶋は以前登場した金子のばあさんのところを訪れている。デリヘルをやっているということだが、要するに経営して派遣しているということらしい。
回収にきたということなんだろうけど、金子の態度はひどいものだ。絵がなかったらとてもおばあさんの発言とはおもえないだろう。
ふと目を向けると、以前丑嶋もいちどだけ見たことのある勅使川原が座っている。ちょうど占いをしている最中だというのだ。
つづく。
次号の巻頭カラーで神堂と丑嶋がファーストコンタクトするそうだ。
冒頭の理屈でいえば、占い師についている人物は考えるのがめんどくさいから、もし金に困っていれば、思考を放棄して丑嶋の設定する物語に身をゆだねる可能性が高い。ある意味で丑嶋と占い師は同業者ということになるかもしれない。そこから占い師を排除してしまうと、客が不安を覚えてしまうかもしれないので、ほんものの同業者をぶっとばして追い出すようなたんじゅんなはなしにはならないかもしれないが、ある程度の衝突は避けられないだろう。
最後のページの煽り文には、「神堂にとっての終わりの始まりか!?」とある。もし丑嶋が神堂にとりついて、金を奪うような展開になるとしたら、それはそれでたいへんなものだが、たぶん、神堂では、別の物語を帯びてまゆみの前に立つかもしれない丑嶋を、どうにかして排除しようとするか、じぶんの設定した物語の要素として取り込み、利用しようとするか、どちらかになるだろうとおもう。しかしもちろん、一要素程度にとどまってしまっては、十日五割の回収はできないので、丑嶋はそんな状況を許さないだろうけど。
これまでの洗脳くんの感想では、神堂の戦術的な面についての、つまり表層の考察にとどまってきたけれど、ここで丑嶋がからんでくれば、もう少し深い読みが可能になってくるだろう。とにかく、勅使川原を前にしたときの丑嶋の「ふーん」という無関心っぽい口調の背後に、どういう本音が隠れているのか、それが見えないことにはなにもわからないが、闇金業、少なくとも丑嶋の実現しているこの仕事の方法が一種の洗脳であるというところに、このエピソードの肝があるかもしれない。それは、楽園くんとかホストくんとかでも見えていた、「ほんらいあるべきわたし」の、さらに深いパターン、あるいはバージョンだろうか。ホストくんなどの「ほんらいあるべきわたし」への意志が、渇望とか欠如の感覚に基づいていたのに対し、洗脳されるものたちには、洗脳される以前から主体性が欠けている。「ほんらい」を夢見るものは、原理的に現状を否定するものでなければならない。ということは、現状を構成する諸要素、また、そこに至る道筋に対しても、否定的にならざるを得ない。ホストくんでは、そういう無意識にある高田と、まさしくその現状のいち要素である、否定されている当の愛華が、夢見る高田を応援するという残酷な関係性と構造を描いていたが、その「ほんらい」は、どこまでも、たとえばホストではナンバリングの制度が定めていた、社会関係的なものだった。現状の見るにたえない「わたし」がある。「わたし」はこうしてたしかにあるのに、「ほんらい」の社会関係的位置にいない。ここで否定される現状の「わたし」は、だから関係性における「わたし」なのだ。その、現状の関係性が形作る「わたし」は見るにたえない、「わたし」のなかにもっと大きな可能性があることは明白である、そのようにして、彼らは、もっと大きな、輝ける関係性のなかでの、具体的にはナンバー1としての「ほんらい」を求めたのだ。
同様にして現状の否定として「ほんらい」を求める洗脳されるものたちは、しかし、それとは異なっている。つまりそれは、社会関係、他者が定める言語学的「価値」としての「わたし」ではないのだ。ソシュールの理論では、言語の意味というものは恣意的なものであり、となりあうべつの言語の価値と平野を区切るようにして、面積として意味を占めている。それを、ソシュールは「価値」と呼んだ。まず意味があり、それにふりがながふられるようにして言語が成立するのではなく、ひとつひとつの言語の関係性の網目、その図式が、その場その場で、ことばの着地点を決定していく。ことばそのものに絶対的な意味が宿るのではなく、ひとつひとつの、となりあい、押し合ってひしめきあうことばたちの関係性が、意味の届く範囲を決めているのである(イメージとして、ソシュール研究の丸山圭三郎というひとが、箱のなかにつめこまれたいくつもの風船ということをあげていたとおもう)。
そうすると、関係性のなかでの「ほんらい」を探ったホストくんは、ソシュール言語学的な価値を求めていたことになる(風船のイメージでいえば、じぶんの位置するところの風船に限界まで空気を注入していったのである)。しかし、おそらく、洗脳されるものたちの求めている「ほんらい」は、そうではなく、ソシュールが登場する以前の言語観に近いものなのかもしれない。ソシュールが「言語名称目録観」と呼んで批判した考え方だ。まず意味が、本質があり、そこにふりがなをふったものが言語というものであると、そういう思考法とほぼ同型の見かたを、洗脳されるものたちは、一種の傾向として、自らに向けているのではないだろうか。
他者が規定するものではなく、本質としての、名づけられる前からすでに存在している「わたし」。まゆみじしんはすでに、美人で、仕事もきちんとしていて、だらしないがイケメンの彼氏がいて、僕なんかにはじゅうぶん、まともな人間に見える。しかし、それこそが、他者の規定している「わたし」というものだ。してみると、しっかりと社会的に自立しているものほど、絶対的な「わたし」を求めてしまうことになりそうだが、いずれにしても、彼女はそうしたなかで、そうした関係性の次元とは異なった「ほんらいのわたし」を探していた。それが、通常の生活のものとはまったくちがう、スピリチュアルな語彙で形成された異世界だった。というか、異世界でなければならなかったのである。
だから、あるいは、最初から考えたくなくて、すすんで身をゆだねたにちがいない小金井とは、あるいは入り方が異なるかもしれない。けれども、異世界のことばを求めても、結局はその世界での他者に規定された、「ほんらい」とは微妙にずれた「わたし」がやってくる。どうあれ「言語名称目録観」的な「わたし」を求めるものは他者を拒絶することになる。「狼」はもともと狼だから「狼」と呼ばれる。犬のことなど知らない。そういうことだ。だが、その「ほんらい」を正しく言い当てるものが少なくともひとりはいなくてはならない。「ありのままのわたし」を過不足なく、ぴたりと言い当てる神のような人物。もちろん、神堂には、まゆみじしんの想定している「まゆみ像」をそこまで正確に探る必要はない。そのじてんで、すでに彼女のトラウマ的物語は書き換えられているのであり、「まゆみ像」を定めるのはまゆみではなく神堂なのである。もちろんまゆみにはその自覚はないのだが。
重要なことは、くりかえすように丑嶋が勅使川原や神堂にどういう態度をとるのかということである。神堂のほうでも、いまのところ丑嶋のようなタイプとの接触の描写がないので、どう動くか想像できない。来週はそこのあたりが注目だ。
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