今週の範馬刃牙/第301話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第301話/肩車



史上最強の親子喧嘩も開始から数時間がたち、当事者ともっともたたかいに接近したものがたたかいの終わりが近いことを感じ取り、それ以外、周囲で見守る人の子、人の親たちは、みずからの人生をその親子関係のなかに投影させるようになっていた。


バキは父の首筋にとびつき、転蓮華のようなものをしかけるのだが、勇次郎はちからで回転をとめ、もとの位置に戻してしまう。まるで肩車のよう・・・というか、今週ではふつうにそれは肩車に移行している。

勇次郎は息子をのせたままゆっくりと周囲を練り歩く。観衆は彼らがやってくるとあわてて道をあけるが、それでもまだ見守り続けている。しかし、範馬親子のなかにやりづらさは見えない。周囲がまったく見えていないのか、あるいは「観戦されること」じたいがすでにたたかいの様式のなかに組み込まれているのか・・・。


バキはかつてなかった異様な状況に興奮している。手は父のあたまに触れており、こんなふうに威力を含めない触れ方をしたことがなかったことに気づく。まあ、多くの人がそのような記憶はないとおもうけど。勇次郎のあたまもちゃんとあったかいらしい。うしろからみるとバキが異様に小さい、というか勇次郎が異様にでかい。


バキはなんかしみじみとした表情だ。つかえるものはぜんぶつかった。普段つかえないものまで存分につかわせてもらった。そして最後に、こんな特典(サプライズ)。なんかもう、満足しちゃってるみたいだ。

勇次郎がバキに声をかける。しかし、「言いにくい」という。こんなに楽しいたたかいがおわりであるということを告げるのが、惜しいのだ。



「刃牙よ


そろそろだ


思い残すことはないか」



バキは頷き、勇次郎が手を開くのに合わせて肩からおりる。そして、着地する前に、例の無意識っぽい表情で父の胴を抱え、バックドロップをしかける。勇次郎は後頭部をアスファルトに叩きつけるが、穏やかな表情・口調でバキをたしなめる。じぶんだってまだ続けたい、だけどそうはいかない。



(何にだって


終わりがある・・・)



バキの突きや蹴りをガードせず受け止め、勇次郎は両手でバキの耳のあたりを強く張るのだった。



つづく。



これは、とどめの一撃を放つときの勇次郎の攻撃だろうか。独歩のときはどうだったか忘れたが、郭海皇のときは、こうして鼓膜を破壊し、力みまくったおそろしい一撃を放ったのだった。

郭は擬死でこれをのりきったが、彼はこの拳を、当たれば死を免れなかったと評していた。郭には消力がある。壁をつかって、ちからが逃げないようにしない限り、原理的に郭には打撃は通用しないはずである。にもかかわらず、そうした確信が、郭には訪れていたわけである。要するにあれは、威力、つまり攻撃の重さがどうとかという一撃ではないのだ。すべての理論、すべての存在をなきものにするような、真に勇次郎的な攻撃なのだ。それが、おそらく次週放たれる。バキの満足げな表情といい、ほんとうにおわりなのかもしれない。


バキの猛打を余裕で受ける勇次郎だが、さてこれは、ほんとうに、じっさいに、勇次郎にとって余裕なのだろうか。もちろん、勇次郎の可能性を考えるとそういうことはありえるとおもうが、これもまた親子というシナリオなのではないかともおもえる。つまり、「何にでも終わりがある」という真理を、父が息子に伝えようとしているのだ。梢江がこれを理解したのは、もしかすると近くにいたからというだけではなく、彼女がある意味では身内であるからなのかもしれない。


何にでも終わりがある。どんなに楽しいことでも、どこかで中断して、子供は楽しさから離脱しなければならない。それは、翌日の学校であったり、放課後の塾であったり、いろいろだが、いずれにせよ、楽しさを永遠に持続させてはならない。そのかわりに、親は子供たちに、その楽しさが、近い将来またやってくるものだということを伝えなければならない。この理屈でいくと、親子喧嘩はこれ以降日常になりかねないが、まあそういうことではないだろう。これは、げんにそうして教育しているというよりは、親と子という関係の、一種のテンプレートなのだ。子供は楽しんでいる。じぶんももちろん楽しんでいる。でも、子供には明日がある。中断しなくてはならない。そして、その宣言をするのが、親なのだ。

そして、ここでバキが駄々をこねず受け容れているところも、どことなくシナリオをおもわせる。楽しいから、勝ちたいから、バキの本体は攻撃を続ける。だが理性の面で、バキは表層的にこの会話を受け容れているのである。


ともかく、父が終わりを宣言し、子供がしぶしぶこれを受け容れるという構図では、物語の全貌を把持しているのは、父親のほうなのである。父は物語の外側にいて、内部の息子につきあっている。ここで勇次郎の表情が余裕に見えるのは、こうした父のふるまいを彼が選択しているからなのだ。

たたかいが終わるのは、厳密にいえば、両者がすべてを出し切ったからではなく、これが親子喧嘩だからなのだ。親子喧嘩が、ここでは楽しきものとなり、楽しきものの終わりを宣言し、みずから中断させるのは父親なのであり、それにぐずぐずしたがうのが息子なのである。


そして、物語を終わらせるのは、原理を超えてすべてをゼロにする、例の一撃だ。もしそれが決まったとすれば、たたかいとしては、バキは敗北ということになるかもしれない。だが親子喧嘩としては、その瞬間からくっきりとした輪郭を帯びた有限の物語となり、完成するのである。

まあ、バキのへんな自信とか勇一郎の予言とかをあわせると、これで終わりともおもえないのだけど。





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