今週の範馬刃牙/第295話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第295話/栄えある光



バキの攻撃が急に勇次郎にきまりはじめた。

くどいようだが、これはおそらく、勇次郎の意識を一本化したためだとおもわれる。

人形を手渡され、不敵な挑発を受け、怒髪天を衝いた勇次郎は、その瞬間に、身体を制御するすべての意識をバキへの攻撃に向けてしまい、逆に丸裸の無意識をさらしてしまうかっこうとなったのだ。

それはいいが、続けて攻撃が決まるのはどうしたわけだろう。

攻撃を加えることで、バキは一種リードするかたちになる。会話でいえば、とにかく先にくちをひらく、そしてしゃべりまくる、という状態なのかもしれない。

最初の攻撃をものにすることで、バキはそこからの流れの重要なポイントをすべておさえることができたのだ。

だとすれば、最初の挑発は、べつのかたちになって、まだ生きているのである。



先週は金的蹴りの描写で終了した。そして、これは、だいぶ効いているっぽい。まあ金的は鍛えられないし、独歩みたいに内側にしまうことも、咄嗟にできることではないのかもしれない。金的は男子最大の急所だが、そこにある性器はちからの源でもある。股のあいだに無防備に急所をぶら下げ続けることは、勇次郎が強さを保持していくために不可欠のことであったかもしれない。



なんにしても、勇次郎が金的を蹴り上げられるところそのものを見たことがなかったので、イメージがわかなかったが、ちゃんと効くらしい。内股になり、白目をむいている。

つづけて、まるで決められたタイミングであるかのように、バキの攻撃が鮮やかに決まっていく。

やがて調子にのったバキは、かかってこいと、手招きまでする。ふつう勇次郎にこんなことをするキャラは無事ではすまないとおもうが、どうもバキはそういう流れにいないらしい。それを受けた独歩の目前で、勇次郎は必殺のかかと落としを繰り出す。隕石のような破壊力で地面を砕く一撃だが、回転してこれをかわしたバキはカウンターで軸足を蹴りつける。よろめいた勇次郎を今度はバキのかかと落としが襲う。勇次郎の表情は意外そうだ。これをまた正面からうけた勇次郎は、地面に突っ伏す。バキの範馬脳は輝きを帯び、全身はオーラのようなものをまとっている。髪が浮かび、背景はぐにゃり、まるで勇次郎のようだ。



一見するとバキが勇次郎を圧倒している。事実圧倒しているのかもしれない。あるいは、勇次郎はバキに攻撃をさせているのかもしれない。しかし不可解なことに、勇次郎は先週に引き続き、観衆を相手にした一人語りを未だにつづけているのである。つまり、じっさいに起こっていることとはかんけいのない、じしんのありようにかかわる告白をしているのである。



強ければ強いほど手に入らないもの、それは栄光だと勇次郎はいう。一般的には、強くなければ、栄光は手に入らない。だけど、あまりにも強すぎるのだと、栄光はすでに手元にある。勇次郎にとっては、「栄光」というのは缶ジュースのようなものである。それが売っている自動販売機のところまで出かけ、お金を払って買うだけ。そんなものは栄光とは呼べない。達成感などないのである。



つづく。



バキが勇次郎のまねをして、かかと落としを反復してみせるというのはおもしろい。バキではたぶん、「同じ技を出してみせる」ということじたいが、ドレスをおちょくったのと同様、ひとつの戦術にすらなっているようにおもえる。と同時に、ここには彼の成長のしかたの原型も見て取れる。バキは、精神的にも地理的にも、世界をくまなくめぐって、あらゆるものごとを師匠としてかみくだき、消化することでしか、勇次郎に接近することができなかった。そしていま、その対象が、勇次郎本人になっているわけである。



ぜんたいとしてあまりはなしは進まなかったが、違和感を湛えた不可解な展開だ。

違和感の源は、もちろん勇次郎の語りにある。どう見ても金的は効いているし、続く攻撃にはダメージを受けている。かかと落としは心底意外そうだったし、ほんとに吹っ飛んでいる。仮にこのあと勇次郎が勝利するのだとしても、これだけのことをされたのちにはおそらく「栄光」が待ち構えている。

いまおこっている事態が栄光を得るためのものだとすると、勇次郎にとってのそこへ至る困難な道筋は、バキが誕生したときからはじまっていた。

いわゆる「栄光」、「皆の衆」の考えるそれは、勇次郎にとっては、すでに潜在的に手に入っているものである。たとえば、実力の拮抗したライバルから勝利を奪い取ること。彼にしてみればライバルはつわものだが、勇次郎にとっては他愛無い存在にすぎない。缶ジュースのようなものである。

つまり、原理的には、弱ければ弱いほど、「栄光」に変貌しうる経験に世界は満ちている。

「栄光」を手にするということは、「栄光」に変貌しうる潜在的経験をひとつ消化してしまうということなのである。

ふつうはこのようなとらえかたをしない。わたしたちにとって目前のこえがたい壁は、そのこえがたさでわたしじしんのありようをうつす鏡であり、人生でいくつの壁を乗り越えるのかを考えるよりさきに、まずここを超えねばならない。

しかし勇次郎では、「皆の衆」が「栄光」ととらえうる経験もすべて手の内にもっているのだ。

そうして、先週書いたことをウシジマ感想で逆転させたのだが、勇次郎では昨日と明日の区別がつかない退屈な日常がやってくる。このことは、わたしの生きているこの世界と、死んでいなくなった世界を淡く連続させてしまう。通常人であれば、そこに人生の無価値を見るかもしれない。しかし勇次郎では、その強大な自我は世界と一致しているのであり、彼の死は世界の消滅と同義である。彼にとって、彼のいない世界など存在している意味がない。

勇次郎はじぶんの死後の世界に微塵も興味を抱かない。想像することすらできないし、しようともおもわない。意味がないから。にもかかわらず、平坦な日常は彼と彼外、つまり、世界とその外をアナログに接続してしまう。誰よりも存在を許せない、その外部の、死後の世界が、彼に迫り来る。彼は世界と一致することで、退屈さのなかに、その外部を同時に規定してしまうのである。

このことが、おそらく彼にバキを「創造」させたのである。

バキは勇次郎の血をひく。その意味で、彼は勇次郎に世界外の目線を与えるものでもある。バキの存在が、勇次郎において、「勇次郎の存在しない世界」を想像させる目線を形成しうる。

だがこれは、凡人の世界認識かもしれない。

勇次郎ではそれよりも、新たに兆しを見せている外部の世界ですらも、我が手で創出するというところに、意味があった。あるいは、勇次郎は、この外部の世界、死後の世界に、恐怖よりもあこがれを抱いていたのかもしれない。彼に栄光をもたらすものは、彼が死んだのちの未知の世界にしか存在しえない。勇次郎は息子を創出することで、それを我が世界に引き入れようとしているわけである。

すでに見えている世界には「栄光」になるうるものがない彼は、しかたなく「死後の世界」にそれを求める。つまり、次世代の「世界」をおおう、彼の血をひく存在だ。彼の「栄光」を求める願いは、現世では達成されることのないものだったのである。

そして、そのありえない「栄光」について説明されているということは、彼はバキにその兆しを、これまでの蓄積の実りを見ようとしているのだと考えられる。

それは、バキがそれだけ強大な敵になったと勇次郎が認めたということでもあるが、逆に、勇次郎はまだ「栄光」を手にするつもりであるとも考えられる。要するに、勇次郎はたぶん、まだぜんぜんやる気なのだ。



勇次郎は「皆の衆」という口調で告白する。先週も書いたが、勇次郎という存在はわたしたちのどのような尺度でもっても測りつくすことができない、語りつくすことのできないものである。それを、このようにすすんで開示しだしたことは、彼がそれ以上の外部の存在を感じ、それに照らされているからかもしれない。照らし出されることで、勇次郎の輪郭は明瞭になる。本音の口調で内面が語られだしたことは、彼が無限ではなくなったことを示す。かといって、それを照らすもの、つまりバキが、彼を絶対的に超えたものであるとはいえないわけだが。



とはいえ、ここから先の「栄光」への道筋は勇次郎にも初めての体験であり、彼にも、予測のできない流れであるはずだ。ここからはこれまで描かれることのなかった新鮮な表情が見れるかもしれない。





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