今週の範馬刃牙/第294話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第294話/ある男の憂鬱



勇次郎による勇一郎の必殺技・ドレスという、なんというか、二重におそろしい技をくらいながら、その最中に体力を回復し、叩きつけられる車の破片で人形までつくってしまったバキ。

怒った勇次郎の意識は自然にリニアになってしまい、バキは意識以前の異空間から、彼自身にも意外に感じられるような攻撃をくりだしていく。

意識というのは多奏的なものであって、あるひとつの行動の起こりをおさえたところで、彼がかんぜんになんの意識もない状態に陥るわけではない。だから、この戦術においては、まず相手をたった一つの意識の支配下にある状態にしなければならない、というのが僕の推測である。素人レベルの空手の組み手でも、あまり手足のどこかとか相手の目とかに集中せず、胸のあたりを漠然と見ろというふうに教わる。そうでなければ、あらゆる方向から、あらゆる速度・威力で迫る技に対応できないのである。


攻撃を受けるうち、目が覚めて勇次郎の怒りも解けそうなものだが、相変わらずバキの目はなんだかうつろであって、彼自身においては、もはやどういう攻撃をするという意識もないらしい。要するに、意識のとりあいという点で見ると、バキはいま完全な状態にある。相手は0・5秒をさらしながら突進してくるのであり、しかもじぶんは、ほとんど無意識のまま攻めているのである。

そうして、ただ速さとして、先へ先へというふうに行動するのではなく、攻撃すべきタイミングを、バキは完璧につかんでいるのだ。


クリーンヒットがつづく。喉への蹴り、後ろ蹴り。バキの攻撃はやまない。あの勇次郎が、圧倒されている。


そのなかで、勇次郎が、珍しく胸の内を吐露している。


「辟易していたんだ・・・


人生(にちじょう)ってやつに・・・・」


これはたぶん、かつてなかったことだろう。

勇次郎は死刑囚5人のことを思い出している。彼らはいい面構えをしていたと、彼はいう。そしてその合言葉は、「敗北を知りたい」だった。もちろん、勇次郎からすれば、彼らに敗北を与えることなど造作もなかったし、じっさい、彼は柳龍光の顔面を裏拳で砕き、葬っている・・・。って、柳はやっぱりあれで死んだのか・・・。


だが勇次郎の回想する死刑囚たちは、彼が砕き、破壊した強者としてではなく、一種の懐かしさのようなものをともなっている。彼らの背中はどこかさびしげであり、孤独であり、それをうつす視線のなかには、淡い共感のようなものが見える。彼らの「敗北を知りたい」という感覚そのものは、痛いほどわかるというのだ。


「いつしか・・・


立っていることに気付いたんだ・・・


頂上(いただき)へ・・・・


目指すべきものが


何一つない場所だ・・・」



ふと気付くと、勇次郎は、もう彼より高い位置にあるものがない、強さのてっぺんに立っていたというのだ。凡人には想像もできない世界である。彼には、もはや達成すべき事柄が残されていなかった。あらゆる現象は彼の「既知」に翻訳可能であり、これからおとずれるかもしれないあらゆる場所は、すでに行ったことのある場所と交換可能である、そういう世界に、勇次郎は住んでいるのである。

しかし、事実として、彼は世界をあまねく知っているわけではない。もしかすると彼が知らないだけで、なんの野心ももたない、そこらへんのでかい農夫とかにおそろしい使い手がいるかもしれない・・・。

だが現実としては、彼は手こずることすら難しかった。郭海皇も、勇次郎の強さ、天才を目にして、相手に不足しただろうといっていたが、あまりの強さゆえ、勇次郎は夢をもつことすらできなかったのである。彼の強さは、彼の人生から光を奪ってしまった。


バキの金的蹴りがまともに入る。攻撃をくらいっぱなしの勇次郎だが、果たして、息子は、父に光をあてることができるのだろうか。



つづく。



先週書けなかったことで、ツイッターには少し書いたけど、おもえば「ドレス」は、勇一郎が「アメリカに勝った男」とされた、象徴のような技術だった。

しかしバキはこれを乗り越えた。そればかりか、自信満々でこれを放つ勇次郎に人形を手渡すことで、僕の推測では父の意識を一直線にし、0・5秒までモノにしてしまった。

バキは勇次郎の圧倒的な強さに触れ、父は大国に等しい存在であり、じぶんなどその他大勢に等しい、という論理の鋳型を浮かべ、心が折れてしまった。

ということは、これの克服のためには、大国を乗り越えねばらなかったのである。

唐突な勇一郎の登場は、たぶんそういう意味があったのだ。


さて、今週も衝撃的な展開だ。僕などはなにかしんみりしてしまった。


勇次郎がその心中を語るというのは、僕の記憶している範囲では、これまでいちどもなかったはずである。

少なくとも、今回のように、「本音」の色を帯びて、シリアスに語られたことはなかった。

範馬勇次郎は、勇次郎以外の人類にとっては、「語りつくすことのできない」人物である。

勇次郎とはこれこれこういう人物であり、こういうことができてこういうことをやった、という語りのテンプレートのなかに、彼はおさまることがない。

勇次郎の世界では、森羅万象すべてのものが、既知に分類されうる。

彼以外のほかのものにできて、彼にできないものはない、というしかたで、勇次郎は全人類に、その存在の交換可能性を告げるのである。

逆に言えば、彼以外の人類からすれば、勇次郎は、彼らには自覚することすらできない「未知」も含んでいることになる。

このようにして、勇次郎は、本質的に「語りつくすことができない」ものなのである。語りつくしたつもりでも、つねにその枠をはみ出ていく、そういう存在が、範馬勇次郎なのだ。

だから、勇次郎のありよう全体を過たずに言い当てる、そういうことができる人物が、彼を超えるものである。


勇次郎の本音がいまいち見えてこない、といういいかただと微妙にちがうのだが、彼がその超越性のなかで、じっさいのところなにをおもってたたかっているのかよくわからない、という感じは、彼自身が、我々の存在をも含んだ、おそろしい規模の未知を宿していたからである。

もちろん、今回の勇次郎の述懐は、大声で他者に向けてなされたものではない。しかし重要なことは、このような一定の文体、一定の語彙を用いて、整然と、彼の心情が輪郭を形作ったということなのである。

もちろんこれが意味するところは、バキが勇次郎にとっての「光」となりうる可能性である。

目標のない、光や夢のない人生とはいったいなんのことだろう。

共感的に、じしんの記憶を探ってみても、これを身体的に理解することは難しい。凡人には超えなければならない壁がいくつもあるからである。

だがそうした困難な問題が、わたしたちの人生を豊かに、意味のあるものにしているとすることもできる。

にんげんの人生にはもれなく「死」が準備されている。死はたしかにおそろしいものだが、同時に、わたしたちの生がとりかえのきかないただひとつのものであることを教えてくれるものでもある。わたしの仕事はほかの誰かにかわってもらうことができるが、わたしの生を支配するこの「死」だけは、ほかの誰にもかわってもらうことができない。

勇次郎の光のあたらない生においては、段階的成長ができなくなる。昨日よりじぶんはたしかに強くなったと、そういうしかたで、存在が更新されていく実感を味わうことはできなくなる。頂を下り、右往左往し、いろいろ試してみても、勇次郎では、昨日と今日が変わらない、ということが起こりえたのである。昨日と今日の区別がつかないとき、明日も、またあさっても同様のものなのではないかと推論することはべつに奇妙ではない。そこに、もしかすると、「死」の負の面が忍び寄る。ひとが成長するということは、世界に近づいていくということだ。これはたぶん、子供を生んで、次の世代になにかを継承していこうとするときにもおなじことなんではないかとおもう。いまおもいつきでべらべらしゃべっているだけなのだが、おそらく、ひとは成長するかぎりにおいて、「死」を鳥瞰することができる。というのは、「死」ののちの世界を想像するとき、そこにはすでに存在しないはずのわたしの目線が、世界にとってかわっているようにおもえるからである。「わたしが存在しない世界」を「わたし」の目線で想像するとき、わたしたちは世界と同化している。成長という勢いのなかにもし「世界」が潜在しているとすれば、そのなかばにおいて、わたしたちは「わたしが存在しない世界」を思い描くことができるのである。たぶん。

とすれば、わたしたちは、停滞し、「昨日」と「明日」の区別ができなくなったとき、死後の世界を想像できなくなることになる。勇次郎は世界と等号で結ばれる男だが、その位置は、生得的なものではなかった。かといって訓練で獲得されたものでもないが、勇一郎が登場したときに見たように、それは父を否定することで手に入れられたものである。勇次郎は勇一郎を「対極」と「語る」。彼は父を「語りつくす」ことで、また、勇一郎では代用のきかない「勇一郎ではない」という価値を否定によって体現することで、いまの価値に到達した。勇次郎じしんにも、「世界によりいっそう近づく」ということの経験はあったのだ。


だがいまはそれがない。おもえば大統領や総理大臣に対する不遜な態度も、こうした感情の裏返しなのかもしれない。彼らがじぶんより弱い存在であるということが、彼を苛立たせ、絶望させるのであって、勇次郎にはああいうありかたしか考えられなかったのだ。そして、文字通りに世界と一致してしまった彼には、もはやじぶんの死後を想像することなど不可能である。彼の死は、彼においては、世界の死と同一なのであるから。


そんなことは今後も描かれることはないとおもうが、もしこの死の恐怖が勇次郎を圧迫するようなことがあるとすれば、彼はもっと世界が広くあることを願うはずである。そこの、彼のまだいったことのない場所が、光を放ち、運動を呼び込み、死を鳥瞰させる。これまでの流れを踏まえれば、この、ほんらい語られないはずの「本音」が吐露されたところから見て、バキがそうなる可能性はかなり高まってきている。まあ、金的は通用しないとおもうけど。





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