今週の範馬刃牙/第292話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第292話/信頼の礎


バキをヌンチャクとして車が破壊されていく!

勇次郎はいちおう、加減はしていない様子だ。しかし、かたいアスファルトではなく、破壊可能な車にぶつけているところが、なかなか重要かもしれない。ヌンチャクとなっているバキへ向けられた攻撃であるなら、地面にぶつければよい。これは、やはり、破壊の、攻撃の、一種の表現なのだ。


新雪をふみかためていくみたいに、車のきれいなぶぶんが徐々に減っていく。もはや車は原型をとどめておらず、それを通して、勇次郎の、ひいては範馬親子の格闘パフォーマンスを目にした観客たちは、バキの死を予感する。完全にきまっている、これでは公開殺人だ、というのが、一般人の認識である。だが、独歩は、口を真一文字に結び、目を見開きながら、ちょっとそれとはちがう表情をしている。先週は、彼やオリバは、そこに親子の信頼関係をみていた。バキがこの程度ではやられないことを、独歩も間接的に理解しているのかもしれない。


バキには意識があるらしい。ずっとあったのか、最初の一撃で目覚めたとかなのか、ちょっとわからないが、ともかく、ぼんやり叩きつけられているだけではない。



(持ってる・・・


俺は・・・・


与えられている・・・


こいつらを相手に・・・・


俺は


対応している


護身(まも)りきっている)



最初は平らだった車体も徐々に崩れ、エンジン部や裏側なんかもむき出しになっている。ごちゃごちゃとかたそうな器具や割れたガラス、その他それだけでじゅうぶん殺傷能力のある凶器が、勇次郎のドレスの速度でバキにおそいかかるわけだが、バキはそれを、うまいことかわし、あるいは直前に破壊し、どうにかしのいでいるのだ。神業としかいいようがない。


一度宙にあがったバキが、なんか知らないがヌンチャクの猛攻を逃れてふつうに着地する。勇次郎は少なくとも表面上は意外そうにしているので、バキが致命傷を避けて動いていたことに気づいていなかったのかもしれない。さらに、そのあいだに、バキはダメージを回復しつつあった。打撃の威力を半減させたとしても多少はくらっているわけだし、ぶつけることで速度は落ちたとしてもふりまわされていることにかわりはない。それで回復するのだからもう、人間ではない。


バキは父との修行の日々を思い返す。10歳くらいのバキが崖を背に立ち、父に「跳べ」といわれている。勇次郎は、まだ未完成のバキにおいて、範馬の血がどれほどの濃さで流れているのか、試そうとしているのだ。勇次郎の真意は不明だが、ことばのままの意味では、これは訓練ではない。

勇次郎はデコピンでバキを下に落とす。崖のうえでは勇次郎はなんか色つきの道着みたいのを着ているが、落ちてからは裸になっている。たんなるミスだとおもわれるが、バキにおいてはこのときの経験といまの状況が重なっているのかもしれない。いまもバキは父に試されているのだ。


バキは、「死に際の集中力」で、おそいくる岩を砕き、避けて、なんとか無事に下の水面まで到達する。おなじことを、幼年篇の、13歳のバキも自主的にやっている。夜叉猿との再対決にむけて鍛えなおしているときだ。あのときの描写では、自主的におこなったダイブで、バキはその集中力を身につけたようだった。つまり、範馬の血がもたらしたものとしては、最初からバキには、崖からの転落を生還する集中力をもっていた。だがそれは制御できるようなものではなかったのだろう。バキは「あの日々」といっている。つまり、ここで描かれているものは、ごくいちぶの、象徴的な例ということになる。そのようにして、バキは、範馬の血という才能に追いつこうと鍛錬してきたわけだが、少なくとも「死に際の集中力」に関しては、幼年篇のあのときが、最初に、自主的にもたらされたものだったのだろう。


着地したバキはまだ勇次郎の手を握っている。そして、「お礼」として、その手のなかにはなにか「チャラ」という音のするものをもっているのだ。


つづく。


また、範馬の認識と、一般人の認識が大きくずれるという現象が起こった。

観衆的には、頑丈な車があれほど変形してしまっているのだから、もはや無事に生き残ることなどできない、ということになる。つまり、彼らは、車の状況からさかのぼって、経験的に、そのように推測したということである。これが巨大な豆腐であったなら、どんなにばらばらに砕けようと、打たれているものが死ぬんではないか、というふうには推測しない。経験的に豆腐はやわらかいものであって、強く打ったところで致命傷にはならないと知っているからだ。


だが、範馬においては、凡人には想像もできないくらい、ことは細分化されている。

凡人には、ある一撃で、車体がひしゃげてガラスが割れたようにしか見えなくても、バキの目にはより多くの情報がうつりこんでいる。

ふつうではただ「車が変形した」のひとことでしか説明できないものが、バキにおいてはより細かな解釈がされているのだ。車が変形するという事態そのものは、バキがその集中力でひとつひとつ拾い上げた単位のようなものが集合することによって成立している。漠然と経験に照らし合わせて推測するだけの凡人とは異なり、バキには、そのようにして、世界をすみからすみまで、ロゴス的に認識しなければならない使命がある。むろん、世界に、つまり勇次郎に、内側から接近していくためだ。三島由紀夫の網羅的文体が世界そのものを説明しつくそうとしていくのにも似て、ふつうの知性、ふつうの身体では、こんなことは挑戦するだけむだである。世界をモナド的なものの集合とみなし、そのひとつひとつをすくいあげ、つぶさに観察し、あまねく知り尽くし、最終的にはゴキブリまで師匠とみなすようになる。バキの到達は、そのようにして、父とはべつの意味で、非人間的なものなのである。


ともかく、ふつうの感覚では致死ととらえられる事態を、バキは細かに原子レベルで読み込むことで、回復にまでつなげてしまった。この対比は、バキが、父の、つまり世界の細部を限界まで知り尽くし、ついにはその淵に到達したということを示しているかもしれない。なにしろ、世界そのものである父が認める祖父の技、「致死」の表現であるところのドレスをくらいながら、それをいわば「既知」に分解してしまっているわけである。勇次郎はつねに彼以外の人物の規格を超え出ていくものだが、少なくともドレスにおいて、バキはそれを「未知」にしておかなかったのである。


勇次郎がバキを突き落とす構図は、こう考えてみるとすっきりする。彼が息子に見つけ出させようとした範馬の血というのは、少なくとも勇次郎以外の範馬においては、要するに世界をどれだけ細かに読み込めるかということだったのである。そうしてみると、幼年篇で修得した「死に際の集中力」はいってみればとりはずし可能なスキルみたいなものだが、こちらはいわば強くなることへの姿勢みたいなものなのであって、両者は本質的に異なっているのかもしれない。


バキが勇次郎になにかを手渡した。金属っぽい音なので、車の部品を振り回されながらむだに集めていたとかかもしれない。しかしバキなら、もうすこし憎たらしいことをしそうである。勇次郎を「既知」に分類することができたなら、次に彼がすべきことは、勇次郎に「未知」をもたらすことである。ドレスに夢中になっていた勇次郎が、天津飯的に、気づかないうちに帯を解かれていた・・・的な展開ではないだろうか。





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