今週の範馬刃牙/第269話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第269話/溶け合い




刃牙の象形拳を、それじたいとしては認めながらも、所詮はものまね、模倣であると断じる勇次郎。では彼の考える理想の象形拳とはどういったものなのか?


象形拳はにんげんが自然から学び取った「絶対強者の戦闘法」だという。

シチュエーションにも左右されるだろうけれど、「あるばあい」において「強者」と「弱者」が、恣意性を超えて確実にこうであると断言できる状況。

その戦闘法を用いたときに「必ず勝てる」状況がある、といってもいいかもしれない。

だから、象形拳を学ぶにんげんは、同時にその状況を獲得することにも心血を注がなければならないのかもしれないが、拳法の体系ということを考えたとき、そこにはある種の普遍性がなくてはならない。そうして、型が組まれていく。


だが、勇次郎は、それを模倣であると揶揄し、そればかりかじぶんがそれを真の意味で完成させるというのだ。

勇次郎は甲を合わせて両手をあげる。バキは、その所作から、なにをしようとしているのか推測しようとあたまをはたらかせる。



「バ~~カ


こんな動作


テキトーにキマってんじゃん」




勇次郎がバキみたいな口調でいう。それっぽくやってるだけで、意味はないというのだ。

あげた手を勢いよくおろし、勇次郎がものすごい力む。うえの服が「パシュッ」というありえない音とともに弾け、上体が露出する。鬼の背中なのである。

その衝撃音は、波動となって、周囲に広がる。しかしそれと同時に、バキ含めたすべてのにんげんが、「光」を目撃したのである。ばかりか、光のなかには、勇次郎の背中にある鬼の貌とおなじものが見えているのである。



バキは納得する。



「より“強き者”の戦闘法から学ぶ象形拳


だから行き着く


範馬勇次郎・・・・・の型!!!」



勇次郎じしん、じぶんより強いものなど想像もできない。主体的に想像できたときから、おそらく、彼の自我は弱まり、最強ではなくなっていくだろう。


要するにふつうの勇次郎なのだが、これが、彼のこたえなのだった。



つづく。




やはり勇次郎の理想は勇次郎じしんだった。

多くのにんげんがサイヤ人ばりの光を目撃したのは、もちろん、これが象形拳だからだろう。

ただ鬼の貌を解放するだけでは、こういうことは起こらない。というか、起こったことはない。

しかし今回勇次郎は、象形拳の理想形として、これを開いたのである。

バキのトリケラトプス拳では、彼がトリケラトプスをイメージして、おそらくはたんなる静的なかまえにとどまらない、さまざまな方法を駆使した圧倒的な表現力で、これを表出させた。もともとはピクルへの個人的なメッセージというかたちであったものが、その他おおくのにんげんにとってもトリケラトプスでありうるほどの網羅的表現力で、これを広げてしまったのである。テクストから、わたしたちは、わたしたちにとって固有のメッセージを受け取る。それは、作者じしんがどんな意図でそれを発したかはあまり問題ではない。わたしたちは、わたしたちのなかに住む「トリケラなんとか」いう恐竜の像と共振させて、わたしだけのトリケラトプスを思い描いたはずなのである。その意味では、勇次郎が恐竜に憧れていればいるほど、この技は強力なものになったはずなのである。

おなじように、勇次郎は彼じしんをイメージし、表現する。具体的になにをすればそうなるのかわからないが、とにかく、「範馬勇次郎」を演じ、形象化する。そこにあらわれてきた光や、そのなかに見えた鬼の・・・というのは修辞で、要するに「なんだかおそろしい顔」は、範馬勇次郎が表現した勇次郎像を受け取った他者が、内面に描き出したイメージである。この時点では、彼らは「勇次郎が最強だと考えるもの」のイメージを受け取ったにすぎない。

しかし、そのとき現実にあらわになった鬼の背中は、彼らのイメージのなかの貌と一致した。彼じしんを演じ、それを観るもの、つまり「語るもの」のあいだに一種のフィクションとして表出させた「光」が、現実の姿とおなじものだったのである。これは、各自のイメージ界において、それぞれのしかたで「~拳」が描かれるというレベルではない、絶対的なものであり、ここには固有の価値観などが入り込む余地はない。彼は、作者として表現しようとした像の真なることを、すべてのにんげんにおける根源的な本能に訴えるようなしかたで、強制的に同意させたのである。勇次郎の強さをまだよく理解できず、彼より強い生き物もありうると考えるにんげんも、一般大衆のこの経験により、構造的には事実として共有せざるを得なくなったのだ。もはや勇次郎の強さの程度は帰納的なものではなくなった。万人はみずからすすんで彼が彼自身イメージする「最強」そのままの男であると認める。「光」を介した作者(勇次郎)と読者(観衆)の共鳴が、それを示すのである。副題の「溶け合い」は、なにを意味したものか不明だが、この、大衆のイメージの合致を示しているのかもしれない。


しかし、バキにもこの鬼の貌はある。バキがこれを出せば、大衆は彼を「勇次郎が最強と考える生物」と同じものにみなすことになる。これを経由すれば、大衆に「語られる」というしかたにありながら、つまり勝負の裁定を他者にゆだねながら、ほんらいのたたかいをすることが可能になるかもしれない。彼らはこのことで、この親子をこれまでと同じ意味合いで「最強」と呼べるようになるにちがいないからである。




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