第220話/トレンディーくん⑫
ずいぶんはやい気もするが、トレンディーくん最終話です。
妻・君枝の白髪や娘の手紙を通し、小堀的な気づきに至った斗馬なのだが、それでも浮気はやめられないらしい。金を借りにきたついでに丑嶋にむけて斗馬が語り出す。守るべき家族はいるが、じぶんは心が弱い。セックスが大好きである。そして出会ったのは魔性の女。斗馬は最近の万里子とのセックスを思い返す。結婚生活は演じるものであるのだから、本心はどうあれ、斗馬は帰るべきである。それに今日は娘の誕生日だ。そんなことを、万里子はしながらいうのだ。
しかし斗馬は結婚指輪をはずしている。つまり、「男」として演技すべきふるまいを放棄している。
万里子は斗馬の半分本気っぽい「俺と再婚する?」という問いもひょうひょうとかわす。
そうして朝をむかえ、日に照らされた万里子の顔はすっぴんである…ようにみえるが、斗馬はなんのリアクションもとっていない。斗馬は万里子の「素」を受け入れたのだろうか?
家族のほうでは、浮気が明らかになりながら、まだ離婚などのはなしにはなっていないらしい。が、態度はさらにかたいものになった。君枝は斗馬の下着をゴム手袋ごしに触るようになり、娘の虹奈も精神的に不安定になってきているらしく、おかしな絵ばかり描くようになったのだった。
しかしそれでも、斗馬は家族を守っていくつもりである。
斗馬は丑嶋があっさり貸した金をルミナにわたす。そしてその金は、ルミナのカウカウへの返済にあてられるのだった。
そして、今井万里子の描写である。万里子は初登場時にいっしょにいたっぽい葉子含む女三人でなんか公園みたいなところにいる。SATCばりのガールトークで本音がきけそうだ。
葉子は万里子に「また」家庭を壊したのかときかれる。子供の誕生日とてんびんにかけさせたことも友人は知っていた。
「だって一番に愛された実感が欲しかったんだもん
愛されれば愛されたほど女はキレイになるでしょ?」
で、斗馬は見てのとおり万里子のことは本気だったが、じぶんはどうだったのかときかれる。
「真実なんてどうだってイイのよ。
みんな都合のイイ嘘のほうが好きだから」
じつに明快な回答である。
万里子にとっては、「素」とか「ほんらいのわたし」なんて重要ではないのだ。
厚く塗りたくった外装が、美しく、魅力的に真実っぽさをまとっていれば、それでいいのだ。
そうして、斗馬の追い求めていたものがけっきょくのところ真実だったのか偽物だったのか、あるいは空白だったのかという問いそのものが、万里子の前では意味を失うのであった。
それからちょっと日が下るのか、瀬野チンが登場し、詐欺まがいの美容商法で万里子が訴えられたらしいことがわかる。それに対し、斗馬がさらっとくちにするのは、以下のふたつのせりふだ。
「あ!?女なんてみんな偽装した詐欺師じゃねェーか!?」
「もし逮捕されても、俺の万里子さんへの思いは変わらんよ」
これらが矛盾なく同居すると斗馬が本気でおもっているのだとして、かつ万里子の「偽装」の程度もよく知っているのだとすれば、斗馬は万里子の「真実」を知っていると考えているのかもしれない。おそらく真の意味での「素」、「ほんらいのわたし」に到達することは、くりかえしみてきたように、ひとにはできない。だが、すべての他者をあるひとりの人物に代表させるかたちで「フィクションとしての私」を相互に確認することができるなら、世界がそこで完結しているという意味で、ひとはたぶん人格の最底部に達する。それが、斗馬では、万里子の目を経由して獲得された「はだかのわたし」である。つまり、はだかになっているということを確認する他者の目を経由した鏡像関係である。斗馬は、まあロマンチストなので、それが「真実」であると信じ込んでいるが、「真実の不在」を達観する万里子ではもうすこし次元がうえのようである。「はだかのわたし」はもうひとりの「はだかのわたし」に規定される、流動的な意味価値なのである。
前の浮気相手・理絵は、新しい大学生の彼氏とうまくやっているらしい。瀬野と久々にナンパをしようということになり、斗馬は金を調達にいくが、そこへ柄崎みたいな理絵の彼氏があらわれる。さんざん弄ばれて、中絶までしたことを彼は聞いたらしい。石をもって殺すほどのいきおいで斗馬を殴りつづける。とりあえず丑嶋があらわれたおかげで斗馬は助かったが、顔はぼこぼこだ。
丑嶋は軽い調子で斗馬のありようを認める。自分の本心に向き合ってるだけマシじゃないかと。
丑嶋から借りて金は用意できたが、この顔ではナンパはできない。だからいつものハプニングバーに行こうかなと斗馬は考える。
(あそこ以外で俺、
どこへ行けばいいのかわからない…)
さびしく公園の遊具のうえでゆれる斗馬。これまでとはちがった種類の苦みを残して、トレンディーくん終了。
ふーむ、短かったですね。
グーグルで「トレンディー」と検索すると、二番目に「トレンディドラマ」
が出てくる。
その項目に記されているタレントのなかで僕がいちばんさいしょに思い浮かべるひとは、石田純一だ。
で、はなしは飛躍していくが、あまりテレビを見ない僕が「石田純一」ということで思い浮かべるのは「不倫は文化」発言である。
ネットで調べていくとどうもこの発言はマスコミの捏造、あるいは歪曲・誇張表現である可能性が高いのだけど、ともかく、浅いレベルでそうした発言がよく知られているということはいえるだろう。
「トレンディー(trendy)」は率直に「最新の流行」みたいな意味があるとおもうが、このことばが広くつかわれた「トレンディー世代」以降より、この語独自のコノテーションを含むようになった。「トレンディー」であるということが時代的特性を抱えた、べつの意味になっていったのだ。
そうして、「流行」という意味でありながら、ほんらい点で指し示すことはできないこの動性は硬化し、一定のカルチャーのようなものを指すようになったと、まあとりあえずはいえるとおもう。
今回の副題である「トレンディーくん」がどういった意味をもつか、あるいは、もっと慎重ないいかたをすれば、どういった響きかたをするのか、いろいろいえるとおもうが、もしかすると僕がいま「トレンディー」の検索から「不倫は文化」にたどりついたようなことなのかもしれない。
石田純一がどういう意図で、またどういう文脈でこれをくちにしたか(あるいはより正確にいえば、これによく似た発言をしたか)わからないが、いずれにせよ、少なくとも、斗馬にとって不倫(浮気)は避けられぬものとしてあった。ここで「不倫」を広辞苑で調べてみると、端的に次のようにある。
・【不倫】人倫にはずれること。人道にそむくこと。
つまり、「不倫」そのものの意味価値は「浮気」と一致しない。
しかるに、一般的には、両者は同義のものとしてあつかわれているとおもう。
人道からそむくふるまいというのは、社会を形成する秩序を乱すようなおこないのこと。みずからが実存的に踏みいった、あるいは本質的に投じられた社会的価値が規定する当為の原則(~すべき。~であるべき)からはずれていくということだ。
斗馬は「男」の探求者である。ほんらい、男性一般は努力せずともすでに男なのだが、斗馬はこれを後天的に、言語的な次元で獲得しようとする。その意味では、「人を好きになってみよう」とした竹本優希のありようとよく似ている。優希のありかたもまた、あとから、ほんらいはスポンティニアスに発現するはずの能力(愛とか)を、「ことば」にして手に入れた。だから、優希のことばはつねにゆるがない、どこか遠い、無菌的な箴言の響きを帯びるのだ。
斗馬もまた、一見まぬけではあるが、たゆまぬ努力で「男」の外装を獲得した。そしてこれを演技として割り切って生きていくことで、そうした「男」のありようを真実だと信じ込んでいるような連中をあざ笑う。
だがしかし、浮気は、「男」の仕事なのだろうか。
最終話でよく伝わってきたことは、じぶんは家族を守っていく、つまり、これからも「男」を貫徹していく、だが、セックスは大好き、浮気はやめられません。この物言いには、「男」と「浮気」は相容れないもののはずだということの、彼自身の理解が含まれているとおもう。
だとするなら、ここで斗馬の「男」は破綻するのかというと、どうもそうは見えない。それは、「男」と「浮気」という述語のあいだに「にもかかわらず」という接続詞が省略されているからではないかとおもえる。
斗馬は浮気をする。にもかかわらず、男を貫く。
斗馬は妻以外の女とのセックスを続ける。にもかかわらず、家庭を守る義務は果たしていく。
べつに石田純一がいっているからというわけではないが、それでも、性欲は、人間のもっとも根源的な、本質的な衝動ではあるだろう。
それを解放しつつも、「男」を崩すことはない。
じつはこのスタイルこそが、「トレンディーくん」としての、真の意味での<男>なのかもしれない。
斗馬は演技を続ける。だがじぶんにウソはつかない。と同時に、演技も高度に遂行する。その均衡こそが、斗馬の考える<男>なのだ。
しかしもちろん、ちょうどトレンディー時代の流行が硬化し、「トレンディー」ということばが含む文化性みたいなものをもっているのとおなじように、その<男>もまた、ぜんたいでひとつの演技となってゆく。「演技の陰で、演技を裏切る行いをしている」という演技性が、別に育まれていく。
仮に「トレンディーくん」が、全体の演技性とそこからはみ出た、あるいはそれを裏切った行いの両立を旨とするものなら、そのかたちは一定しないだろう。それはまた総体でひとつの演技となってゆくのだから。
だけれど、「真実」や「素」といったことに無自覚の斗馬は、きっと、そこにとどまり続けるにちがいない。その点が、万里子とは異なるのだ。
けっきょくのところ、斗馬には演技が必要なのであり、また同時に、それを裏切ってゆくという行為も、必要なのだ。そうして、彼はありもしない「素」、万里子のいう「真実」を探していく。斗馬にとって、「真実」は単体ではありえない。「男」の反対側にしか、それとしてはあってゆかないはずのものなのだ。
だから、虹奈の手紙を受け取り、みずからの本質が「父親」にあるということに気づいても、浮気をやめることはできない。性欲ももちろんだが、斗馬にとって「真実」は演技の陰にあるはずの「素」にしかない。虹奈の手紙から、斗馬はたしかに、演技とおもってとっていたふるまいのなかに、じぶんを無二のものとして欲するちからのようなものを感じたはずだ。だが斗馬には、もしかするとそれは「男」をより強固に演じきる動機にすぎないのかもしれない。
とはいえ、彼はみずから定めたその当為の原則から、これからも同様にして生きていかねばならない。妻や娘の変化を語るくちぶりは悲しげでもある。そして、じっさい悲しいんだろう。しかし、くりかえすように彼は、さまざまな意味で、これからも「演技」と「裏切り」の両立を続けていくのだ。
万里子とのかんけいについてはこれまでもさんざん書いてきたので、いまのところ変更はないし、ここではくりかえしません。
とにかく「真実の不在」を自覚しているという点で万里子のひとり勝ちみたいなものだし、なるほど、それが「魔性の女」というものの正体だったのかと、なかなか勉強になりました。例によってまたなにかおもいついたことがあれば、コミック発売時にでも書くつもりです。
ともかく、今回はずいぶんかわったおはなしで、たいへんおもしろかったです。真鍋先生おつかれさまでした。次回も期待してます!
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