最近特に、なにかを思い出せそうなのだが、できずにむかむかしたままでいるということが多くて参る。
何日か前のハロウィンで僕も27歳になり、響きからして「二十代」というよりは「30前後」というほうがしっくりくる年齢に達し、純粋にもう若くないということかともおもっていたが、ともかく、なにかを思い出せそうな感覚というのは事後的にはなかなか神秘的であり、興味深い。
というのは、「思い出せそう」という感覚には明らかになにか外的なものがあり、それを前言語のレベルで察知した私が、過去のなんらかの記憶における私と接続しかけているからだ。
思い出せない、だがいまじぶんがある記憶を「思い出せない」でいるということだけはわかる、そういうときに、ぼくたちは、ある意味では(つまり前言語的には)すでにそれを思い出し、過去の私と立体的に重なり合っている。すなわち、ことばにならないフィジカルな次元で、現在の私が過去の私と通じている。その瞬間に、過去や未来は、消えている。「私」が、あらわれてくる。
デジャヴュというのはそういう体験のことの一般化したものなのだろう。
30近くなって物忘れがひどくなっただけなのかもしれないけど、ともかく、僕の、たとえば読書体験は、過去のどこかの地点(言語化できない)と重なって、不思議な立体感を生み出す。
長く生きて年輪を重ねることの楽しみは、たださきを見て成長し続けることだけではなく、案外そういうところにもあるのかもしれないなぁ。