最近、めっきりと寒くなってきましたね。
だいたい普段は、ユニクロの長袖のシャツのうえに夏に着ていたTシャツを重ねて(勤務時はこのうえにエプロン)、そのうえにこないだ買ったばかりのROCK SMITHのシャツを着て、という感じなのだけれども、去年まではこれにマフラーかなんかをするだけでひと冬乗り切っていた気がする。それであるのに、いまはもう現時点で耐えられないような寒さである。
もちろん痩せたというのはあるだろうけれど、それよりも体力の低下が大きいんではないだろうか…。痩せたから体力が低下したのか、筋肉が落ちたから体重が減ったのか、それはよくわからないけど、そういうことは、演繹的に「なに」をしたから「こう」なったということでなく(だから「なに」をすれば「もと」にもどる、ということもない)、もっと複合的に、さまざまなことが同時に、また関わりあいつつ起こっているとおもうので、食べればいいとか筋トレをすればいいとか、スイッチを入れるみたいに健康な身体が復元されるということは、ありえないとおもう。
じゃあどうすればいいかというと、そもそも「どうすればいい」という問いのしかたがまちがいで、健康やからだの状態というのはある種の行動の結果であって、それが先行してふるまいを決定するというのは、なにか違和感がある(僕のあたまにはいまぼんやりと健康ファシズムを標榜する嫌煙運動が浮かんでいる…)。
- たばこ喫みの弁明 (ちくま文庫)/本島 進
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つまり、たとえば体重の減少は、もしかすると僕のからだが「痩せてからだのラインを整えること」を急務と感じてそうしたものであるかもしれないし、体力の低下はいまの生活に適応したエコロジーなものであるかもしれない。からだの状態というものはそれじたいでなにか価値をもつものではなく、このようにして根底のふるまいとのかかわりで考えてこそ、意味があるのではないだろうか…。
それはいいとして、こないだこのような本を見かけた。
- シュガーな俺 (新潮文庫 ひ 27-2)/平山 瑞穂
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裏表紙を読んでみて驚いたのです。
少なくとも「原因不明の激ヤセ」、「異常な喉の渇き」は当てはまるような気がする。
まさか、糖尿病ッ…?!