ブログネタ:5月病の体験と対策
参加中本文はここから
高校一年になったころ、僕はご飯が食べれなくなって、胃カメラを飲んだりしていた。
アレは五月病ってやつだったのかなー、的な。
特に主体的ということもなく、僕は進学クラスに進んだのだけど、クラスのその雰囲気にまったくなじめなかったのです。
というか、なじもうとしていなかった。
正直いって、高校一年くらいの生意気ざかりで、中途半端に本を読んでいて、そのうえピアノなんか独習ではじめていたころの僕にとって、そんなのはぜんぜんかっこよくなかった。
いまならまたちがった見方ができるにちがいないが、少なくとも当時の僕にとって、そのクラスにはさっぱり魅力が感じられなかったのです。
うちは中高一貫だったので、高校から入学した外部からの生徒が増えても、各クラスそれぞれに何人か知ってる人物がいるということはふつうにあった。うちのクラスにも、僕は知り合いがいた(ふたりだけ)。
始業の日、名簿を受け取って、まだ緊張を含んだ喧騒のなか廊下を抜け、教室に入った瞬間の、風圧のような違和感はいまでも忘れられない。クラスメートは席について前を向いたまま、ただのひとりも口をひらいていなかった。押し黙ったのちの友人たちは、深刻な顔して、知った名前のひとつもない学年名簿を熟読するか、うずくまって硬直するかして、とにかくすさまじい静寂。僕がやや遅めに到着したためにクラスメートのほぼぜんいんがそろっていたこと、また他の教室がやや騒がしかったことなども相対的に働いて、われわれの教室の緊張感はとにかくただごとではなかった(と、少なくとも感じられた)。ときどき、感極まったような矯激な笑い声が遠くの教室から聞こえてきたりもする。しかしわれわれの教室はまるで死体置き場だった。
それでまあ、高校生活がはじまったわけだけど、これがびっくりするくらいおもしろくない。なんにも、わくわくすること、刺激的なこと、おそろしいことすらなかった。勉強もつまらなかった。僕は、いまも変わってないことだけど、勉強というのがとても苦痛なひとだ。とにかく勉強しないようにと、勉強に割く時間を最低限に抑え、なんとか生きていこうとした結果、こんな、偏った人間になってしまいました…。
ともあれそのクラスには、僕に登校をうながす吸引的な魅力は、少なくともそのときは皆無だった(Mという、信じられないくらいかわいい女の子がいて、僕やのちの仲間たちは仲良くしていたが、二年にあがるころに学校をやめてしまった)。
いま冷静になって当時を分析してみると、とにかく僕は、「おれはほんとはこんなところにいるべきではないんだ」という考えにとらわれていたとおもう。「おもう」というか、それ以外に僕があんなふうになる理由はなかった。いじめっこや不良がいるでもない、こわい教師がいるでもない(ひとりいたけど)、勉強が死ぬほどできないわけでもない(できたわけでもないが…)。
こういうことを考えるからには、「ほんとうはこうあるべきだ」という理想の「私」が、確固としてあったのかもしれない。なかったのかもしれない。とにかく、そのときの僕は音楽が真剣に好きだった。ドレミのなんにもしらない状態から一年たらずでショパンやバッハが弾けるようになったことを振り返っても、僕が音楽に注いだ熱量ははんぱではなかった。もちろん、その情熱はほんものだったとおもう。しかし僕は、そんなみずからの熱い面を現実逃避の道具、口実として利用した。
なにしろ、そのときの僕には、精励恪勤、勉学に勤しみ、どこどこの大学を志望し、将来に野心を抱くなんて「大人みたい」なことは、どことなく「かっこわる」かった。大学なんてどこでもいい。将来のことなんて知ったことか。おれはピアノが弾けて、音楽が聴けて、小説が読めればそれでいい。それが本音だった。遅れてきた反抗期。稚拙な批判思想。子供だったんですね、うん。いまとほとんど変わってないのが気になるけど。
僕の精神年齢がじっさいどうあれ、とにかく、僕にはそういう感覚が強くあった。くそ生意気な少年にとって、じぶんでたどりついたある結論というのは、本人には大きな価値をもつものです。「ほんらいあるべきじぶん」の行く先をはばむそのクラスは、僕にとっては敵だった。なにか、狭い、人型をした堅牢な通路を、身を縮ませながら進んでいくような感覚。まあ、よくあることですが、学校行きたくなくなりました。朝ごはんを食べてから家を出ることはセットなので、まずごはんが食べれなくなりました。むりやり食べてもけっきょく電車に乗る前に吐くことになる。食わなくても吐いたけど。
「学校」に行くことがいやなので、「行く」にかかわることもすべていやになった。通学経路としては、電車乗って、わりと大きな駅に出て、そこからバスだったが、ただでさえ満員で憂鬱な直行バスなど、乗ってたまるかというもの。僕は早起きが苦手だったからもともと遅刻も多かったが、それをじぶんへの言い訳にして、バスに乗らなくなった。それでなにをしていたかというと、駅のマクドナルドに行って本を読んでいた。あるいは音楽を聴いていた。たまに勉強すらした。僕がいやだったのは、とにかく「あのクラス」という観念的なものだった(余談だが、このせいか、僕はいまでも村上春樹や浦賀和宏を読むと、そのとき食べたマクドナルドの味や店のなかの風景を思い出したりします)。
これはもちろん結果論なのだが、そうして学校いかないで本を読んだり、街をぶらぶらしたりしたことは、僕の青春時代の原風景となっているし、かえがたい、固有の経験として生きているとはおもう。べつのクラスに、中学時代仲のよかったOという男がいて、彼は典型的な「高校デビュー」を果たしたのだけれど、Oともよく遊んだ。べつに待ち合わせてるわけでもないのだが、毎日学校をさぼっているとそういうことはよくあった(ちなみ彼は僕の紹介でのちに空手をやるようになった。二年にあがりそこねて、素行がすこぶる悪くなってしまってからはつきあいもなくなってしまったので、いまはどうしているやら)。
ひとりでいるときは、いろいろ場所をかえてみたり、まだ動き出していない街を散策してみたり、ベンチでぼやっとしてみたり、とにかくいろいろやった。昼間っから制服でうろうろしているのに、注意されたことはなかったなぁ…(ふつうか?)。
そうこうしているうちに、前出のM含め、僕みたいに主体的にさぼるわけではなかったが、素で寝坊して遅刻したクラスメートなどとよく遭遇するようになった。いろいろな事情があり、うちのクラスは出欠席の規定がやや甘かったためか、遅刻するやつはふつうのクラスより多かった。そんなこんなで、僕がクラスメートの特定の人物と親しくなり、いまでも友人と呼べる人間と知り合ったのは、教室ではなくマクドナルドなのであった。だから、理屈からいっても僕の親友たちはすべて遅刻常習犯である。
結論からいうと、「そのクラス」への生理的嫌悪感みたいなものは、卒業まで、完全に拭い去られることはなかった、が、どんなときでも、認識を共有できる、他者へと志向する友人がそばにいるということは心強いものです。僕が感じていた違和感は、なにも僕固有のものではなかった。というか、確認したことはないが、下手をするとクラスメートのぜんいんがそれを感知していたかもしれない。けっきょく、「なんだこのクラスは」というそれぞれのつくる壁のようなものが相互に働いて、除きがたいぎこちなさを呼んでいたんだとおもう。
僕の遅刻癖も最後まで治ることはなかったけれど、くりかえすようにあれはあれでいい時間だったなーとなつかしくさえおもう。
そんな彼らと、今月末にはクラス会です。
何年も会ってないひとがほとんどだけれど、みんないいところにしゅうしょくしてるんだろうなぁ…。