筒井康隆の思い出 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

僕が本を読むことを覚えたのは、何度も書いたことだが、小学生のとき、中学受験のために通っていた予備校の、国語教師の影響だった。

暗記が苦手な僕は、算数と国語の二科目だったのだが、国語はずいぶん伸び悩んでいた。

予備校そのものは四年生の冬くらいから行っていたはずだが、通っていた教室がつぶれて、生徒の大部分は五年生から電車で二駅のところにあるおなじ塾に通うことになった。

で、年度変わりってこともあってか、流れて入校してきた僕らと同時期に仕事に就いた新任の講師も何人かいた。そのなかに、Bというその先生がいた。

はっきりいってへんなひとだった。そのときは新任講師のあいさつってことだったか、みんなスーツでフォーマルにきめて、格式ばったあいさつをしているのに、彼は眠そうな顔して上下ジャージだった。あいさつも数秒だったとおもう。

彼のおこなう授業というのも、まったく奇妙なものだった。「国語」っぽいことはほとんどしていなかったとおもう。じっさい予備校標準のテキストなどはいっさい用いなかった。ときどき、しぶしぶといった様子で、漢字の練習などをさせていたが、これも片手間なので、さぼるのはかんたんだった(宿題など僕はよく先生のチェックする日にちのところだけ書き換えて数ヶ月ももたせたものだった)。

ではなにをしていたのかというと、ただたんにひたすら本を読んでいくだけだった。一階の職員室の横にはほとんどつかっていない小さい教室があったのだけど、新任の彼はどう周囲を言いくるめたのかこの部屋を占領していて、十個くらいの机を四角く並べた上に文字通り蔵書を山積みにし、そのなかから必要なものを発掘してコピーし、生徒に配って、いっしょに読んで、読解するのである。

そういう感じで、井上ひさしの『偽原始人』という通過点も経て、僕は読書好きになっていったのだった。もちろん国語の成績もめにみえてよくなっていった(あとで知ったことだが、Bはその予備校を代表する全国レベルの名物講師だった)。




偽原始人 (新潮文庫)



Bはそういう授業ですらもときどき中止して、授業時間ぜんぶをつかって小説を朗読してくれたりもした。そのなかでももっとも印象に残っているのが、『筒井康隆全童話』だ。



筒井康隆全童話―SFジュブナイル (角川文庫 緑 305-12)



中学の受験生である僕らに「偽原始人」を読ませるというのもわけがわからないが(偽原始人は、僕らとおなじく受験生である少年三人が、親や教師に反逆を企てるというおはなし)、筒井康隆を読んできかせるというのもそうとうのセンスだとおもう。



僕は授業をさぼりがちだったので(それでも、Bの授業は、『いまを生きる』のキーティングみたいなもので、楽しかったから、ちゃんと出るようにしていたけど)、何回か聞き逃している可能性もあるけど、それでも「うちゅうを どんどん どこまでも」と「三丁目が戦争です」というおはなしがされていたのはよく覚えている。


「うちゅうをどんどん」は、そのまま、ふたりのこどもが博物館の宇宙船に乗って宇宙をどんどん進んでいくおはなしだが、ゆくさきにはさまざまな立て札がたっている。「宇宙のはて」ということは、子供でなくたって、ロマンチックなおもいをかきたてるものでしょう。筒井康隆の世界では、そこに立て札がある。「これいじょう、はいると、キケン。死にます」とか「このかべのうしろは、なにもない」とか「死ぬぞ」とか。

で、ふたりはあるところにたどりつくが、最後の文章がじつに筒井康隆らしくて、ふるってる。



「だからきみたちも、はいっちゃいけない、と書いてあるところへは、どんどん、はいっていったほうがいいよ」



「三丁目が戦争です」は、思い出というよりはかるくトラウマになっている。収録作のなかではいちばん長いものなので、何回かにわけて朗読していたんだっけなぁ。

三丁目の団地に住むシンスケくんは、「女の子がなんだ」とつねにじぶんに言い聞かせていた。なぜなら、そうやってじぶんを奮い立たせないと、勉強でも喧嘩でも、すぐ女の子に負けてしまうからだ。団地の女の子も強いが、住宅地の女の子も強い。特に山田さんちの月ちゃんなどはおそるべき戦闘力をもっている。一年生の彼女に、六年生の男の子がかなわないのだ。女の子というのは、つおいのだ。お父さんだって、「むかしはよかった」と、ついうっかりお母さんの前でくちにしてしまってにらまれたりもするのだ。シンスケくんは負けてなるものかとがんばるが、けっきょくバリバリと顔をひっかかれて月ちゃんに負けてしまう。

シンスケくんの顔を見たおかあさんは激怒、その場はお父さんが諌めることでなんとか治まったが、やがてこどもどうしの公園の縄張り争いに親たちがしゃしゃりでるようになる。

騒ぎはどんどんと大きくなり、団地と住宅地の両者は決定的に対立、ついに火の手があがる…。全国規模で同時に勃発した団地と住宅地の戦争。火炎瓶が宙を舞い、家は焼かれ、お父さんは包丁をもって参戦し、お母さんは「たきだし」にでかける。

結末は、Bの朗読がうまかったということなのか、視覚的に記憶されていて、トラウマになっているが、そのさらにさきにある「どちらにしようか」という文章はじつに印象深い。これは、結末をこのままにうけいれるか、お互いに目を覚まして和解したことにするか、好きなほうを選びましょう、という文章。



「戦争のきらいな人だって、ときには、シンスケくんのように、かっこいいなどとおもうことがあるくらいなんですからね。

みなさんも。すこしぐらいは、そうおもってるんでしょう。

こまるんですよ、そういうのが。

ほんとに、こまるんですよ」



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