明日やりゃいいじゃん | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

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この漫画は以前紹介しましたね。


『ピューと吹く!ジャガー』なんかでも、おもにハマーやジョン太夫なんかで似たような描写はよく見られる。



ときどき僕はこういったネタをギャグとして笑えないときがある。というのは、これはまるっきり僕のことだからである。

むかしからそうだった。これが先天的なものなのか、後天的ならどの段階で身についたのか、それはわからないが、たしかにそうだった。tsucchiniは本気出せばできると、誰からも言われたし、またじぶんでもそう信じていた。それを“証明するために”、おもいつきで一週間くらいがんばって、権威的な称号を獲得してみせたりした。その“しるし”さえあれば、そのあといかに堕落しようと、僕は満足なのだ。


幸か不幸か、学校をあがるたびに、たぶん偶然も手伝い、僕は毎回ある程度権威性を帯びた称号を獲得することに成功してしまっていた。中学はいちばんで合格したし、高校は特進クラス、大学では入学時給付金をゲットした。僕では、そのような称号があれば、もう満足なのだ。だからこのすべてにおいて、僕はひどい結末をむかえている。


そして僕は、そういうじぶんの性格にもじゅうぶん自覚的であった。だから可能な限り僕は、そういった自ら誇って胸につけたバッジを、知らないふりをしながら、かつさりげなく人々に発見させることに馴れてきた(このような文章がまさにそれである)。そのために、多くの友人は未だに僕のことを、ぼんやりなんにも考えてない人間みたいにおもっていることでしょう(まあ、ほとんどそうなんだけど)。



そんななかで僕は、小説とピアノに関しては、つねに100パーセントの精力をかたむけ、大きな熱量をもって接してきたと自負していた。しかし、僕はやはり問うのである。おまえ、ほんとのほんきで、全生命力をかけて小説書いてきたのかよと。そうおもうのは、根拠がある。というのは、やはりここにも無意識的なトリックが感じられるのだ。僕はピアノを独習し、バッハやショパンも弾けるようになった(いまはもう弾けないけど)。しかし僕はどこかのピアニストに師事して、正規の訓練を受けたわけではない。また僕はどれもままごとレベルながら、じぶんのちからでいくつか小説を完成させ、批評めいたこともできるようになった。しかし僕は文学部にいたわけではないし、そういった友人がいるわけでもない。僕についての権威的説明文の掉尾には、必ずそういった「~なのに」という補足が加わるのだ。明らかに僕は、こういったことをもしものときの言い訳として、逃げ道として、言動の背後にさりげなく準備しているのである。となると、次のような疑いも出てくるのだ。僕がピアノを志したのは、ピアノを弾くような環境になかったからではないのか。数学ではなく文学に興味を向けたのは、文学部ではなく数学科だったからではないのか、僕の実力を判定できそうな人間がまわりにいなかったからなのではないかと。


それはブログでもそうだ。不特定多数の人間に「読まれるかもしれない」緊張感を得ることを目的としながら、僕は尊敬してやまない書評ブロガーや、系統の近いブログなどにコメントやペタを残すなりしてアプローチをかけたろうか?「理論は常に反証可能でなければならない」としながら、どこか読まれることを、反論されることを怖れていないだろうか。


しかしもっともいらだたしいのは、このようなことをブログに記して、公開し、懺悔の場として利用することで、ある種の満足を得ようとするいやらしい性根である。そして、「いやしい性根」であると記して安心しているその性根である。

太宰よろしく苦悩のポーズをとって粋がるぼうずあたまである…!