いま吐きそうだけど | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

三年前くらいから明らかに腹がアレしはじめ、顔なども全体的にしまりがなくなって、あまりにみっともないので、二月くらい前からちょっとずつトレーニングやってマス。それに、最近どうも、文章にせよ言動にせよ自信がもてなかったのは、肉体が縮んでいるからなんじゃないかということもあり…。あんまりたくさんやると気分悪くなるので、ほんの少しずつですが…。なかなかうまくいかないものだな。



僕は、テニスなどをしても、観戦者の笑いが凍りつくほどの運動オンチであり、リアルのび太なので、小学生の低学年くらいのころなどは、女子にいじめられるような、たわいのない存在でありました。運動靴隠されたり、靴が道具箱に入ってたり、道具箱の中身が下駄箱に入っていたり、いろいろされたな…。女子のいじめって本気で陰湿ですよね。ある日、どう考えても当時の、二年生くらいの腕力では持ち上がらない、巨大なコンクリート・ブロックをふりまわして、泣きながら主犯の女をおいかけまわしたことがあったけど、怒ったのはそれくらいかな。むかしから泣いたり怒ったり、あんまりしないにんげんでした。


そんな僕を見て、親は極真空手を習わせました。最初はいやでいやでしかたなかった。いや、最初はっていうか、最後まで稽古が好きになることはなかった。道場にいるのは、大人の先輩はもちろんだが、同年代の少年部まで、同じ身体構造にある人間とはとてもおもえないような、バケモンばっかりだった。腹にくらって悶絶し、もらいすぎた下段蹴りでふとももの感覚はなくなり、アソコに入った後ろ蹴りで呼吸困難に陥った。

最初の変化は、たぶん中学に入学したくらいだとおもうが、黒澤浩樹という空手家の試合をビデオかなんかで見てからだった。格闘技が好きな人間なら必ず知っている、知らなきゃモグリぐらいの、スクワットで300kgをあげる脚力で、束ねたバットをばきばき折る、1.4トンの下段廻し蹴りを武器にしていた、伝説の空手家であります。僕はいまでも…格闘技ファンの無垢な想像として、全盛期なら最強は大山倍達だ、ヒクソンだ、タイソンだ、いやヒョードルだと、盲信するヒーローはそれぞれに必ずいるとおもうけど、僕ならまちがいなくこのひとをあげます。


このひとの試合を見て…ガードした相手の腕ごとあばらを折るような破壊力を目にして、憧れないまでも、僕はちょっとだけ家でトレーニングをするようになった。相変わらず道場ではぼこぼこにやられていたし、いちばん弱かったとおもうけど、家での筋トレはそれなりに楽しかった。なぜなら、からだに筋肉がつく過程が目に見えてわかったからである。日に日に胸は厚くなり、腕は太く、ふとももはかたくなっていった。それとともに、どこか自信のようなものもついてきた。


よくからだを鍛えると自信がつくといいますが、僕は、実用的かどうかを問わない、基礎的習慣的な肉体の鍛練や頭脳の鍛練(毎朝走るだとか、ちょっとずつフランス語の勉強していくとか)は、意識の下部構造、インフラストラクチャーになるんだとおもいます。中学生ならまだしも、まともな大人は、そういう職業でもないかぎり、磨き上げた拳や150kgをあげる胸筋、フルマラソン走りきるスタミナをそのままの効用で使うということは、まずない。もちろん、体力がつけば、たとえば長時間集中の持続ができるようになり、仕事の能率もあがるでしょう。だが僕は、そのような作用はむしろ些細な、副次的な成果だとおもう。こういったことがもたらす自信は、もう少し本質的というか、意識の働きそのものが明確になっていく過程から生まれるものだとおもう。逆にいうと、そういう、意識が返っていくような、ある瞬間とある瞬間のじぶんを同一人物であると認める同一性がないと、概してひとは自信を失い、不安になっていくのだとおもう。それは下部構造ではなく、げんに本職とし、実用的に鍛えていくぶぶん(僕なら小説)にもいえることだが、肉体の鍛練のようなことはもっと深い、根本的な基盤となるのではないでしょうか。


そういうわけで、まあ軽くですが、からだ動かしはじめました。せめて高校生くらいのからだを取り戻したいぜ。


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