今週の範馬刃牙/第121話 | すっぴんマスター

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第121話/天賦の才



克巳が道場で新マッハ突きを開発しているころ、父・愚地独歩は息子に技を授けた郭海皇、そして烈海王とともにどこかの中華料理店で会食を開いていた。ていうか、接待していた。わが愚息のためにわざわざお越しいただいて、みたいなことを独歩は言う。もちろん、三倍くらい生きてる年上ってこともあるんだろうけど、やっぱ武術に生きるものにとって郭の存在は流派や国を超えたものなんでしょう。


独歩のいう「愚息」をやんわり否定しながら、飯を食うのに夢中な烈に郭がはなしをふる。烈は料理をくちにつめこみすぎだYO。まぐろ丼食ってるジャガーか。おいしいんだね?そうなんだね?


郭は言う。おまえは以前克巳を一撃で倒しているそうだが、いまならどうかと。克巳の成長と、もしかするといまじぶんに片足がないことも思い出されているのかもしれない、烈はもり食いをぴたりと止め、沈黙する。「どうでしょうないまなら」と独歩もくちをはさむ。なんかふつうに親バカだ。愚地独歩、っていうか、克巳の父親って感じだ。


「拳雄烈海王の天才を
十分に認めつつ―――


愚地克巳の天賦の才は恐るべしといわねばなるまい」


郭が克巳をべた褒めだ!

そういえば郭は刃牙のことも褒めていた。それも今回同様、本人のいないところで。役目を果たさない中国人・拳法家には厳しいが、外部に向けてはけっこう紳士というか、勇次郎とはちがって、ふつうにはなしができるひとなのだ。また、本人のいないところで褒めることができるひとはかなり信頼できる。というか、その意見が信頼に足るものだとおもう。それも中国武術の現人神、郭が言ってるのだ。もちろん克巳が「天才」だということはバキ読者ぜんいんが知っていることだが、まわりが指折りの達人ばっかりだったり、勇次郎にいじめられたり、いろいろ悪い状況が重なって、もはやこの呼称はただの記号と化していた。僕たちはこの神のことばをよくかみしめて、もういちど克巳の能力を再認識しないといけないのかもしれないむりだけど。


「先日氏に伝えた新たな打拳


おそらくは既に身につけ

ひょっとしたら


もう今頃は

その遥か先に…」


…遥か先に行っているにちがいない。しかしそのまえに烈だ。オマエ、その顔どうなってんだ。わざとやってるだろ。いくらなんでもごはん口に入れすぎだYO。うっかり写メってしまった。




魔導士の呪いでいきなりブタにされてしまったひとみたいだ。もういっかい話しかければもとに戻るぞ。

しかしなんだろうな烈のこの感じ…。ピクル戦で完全燃焼してしまったから、これからはセル以降のピッコロみたいな位置に徹するんだろうか。



いっぽう、克巳。ちょうどあれだな、烈がピッコロなら、克巳は大界王神に強くしてもらってる悟飯みたいな感じだな。かいおうだけに。息子キャラだし。


徹夜で達成した音速卵切り。卵の残骸はすでに片付けられている。汗だくの克巳はやや脱力した構えでぼんやりと突っ立っている。しかし、これこそがこたえだった。五体の隅々までを脱力し、ドロドロにゆるめる。これはまさに消力(シャオリー)。そして備える拳は赤ん坊がするあの形。すなわち父親の必殺・菩薩拳。さらに関節のイメージは、全身、こう!…気持ち悪っ!(各自イメージしてください)


「フフ…
自分で震えてやがる…


何もない空間に空突きを放つ


そんな…
道場ではごく日常的な行為の以前に震えてやがる


確かに手にしたあの感触を…


肩から先しか動かさぬあのイメージを―――

全身で…

全力で…」



バシャア




つづく。


克巳の技がついに完成したのだろうか。バシャアという擬音はいったい…。なにかが破裂して流れる音のようだが。


郭の消力や関節のイメージ、父・独歩の菩薩拳…こういった脱力系必殺技の向かうさきは、じつは等しいものだったのかもしれない。脱力ということをそれぞれの技術的に解釈しただけだったのだ。そしてもしかすると克巳の技は、こういったすべての技術を包括した、弁証法的な発展のさきにある「絶対技」なのかもしれない。


とはいえ、わからないな…。“ドロドロ”と“多関節”はイメージのうえで共存し得るのだろうか?

そもそも克巳は、「いまならわかる」というあの脱力の構えに、どのようなヒントからたどりついたか。それは卵切りを達成したあのイメージでしょう。克巳がドロドロの全身をイメージするのは、「無限の関節」ということを通過したからだとおもえるのです。関節の数を極限に飛ばせば骨は弾力のある鞭のようになるのだから。そしてこのことで、克巳は実感としてあのドロドロ感…おそらくは消力(的なモノ)を会得したんではないかとおもわれる。だけどどうやってドロドロの骨格で関節をイメージするというのだろう?


関節を増やしたのは、速度をあげるためだった。一個いっこの関節が担う速度を低くすることで、結果としてぜんたいの速さをあげる…そういうことだったはずだ。これは先週からよくわからないのだけど、あんな蛇腹みたいにしてどういうふうにひとつひとつの関節に意識をもっていくのか(克巳の「同時加速」はここにこそ特徴があったように僕はおもう)…。だからこれをぜんたいで捉え、しかしどこまでも「関節」の集合であることが郭の伝授した技の価値だったようにおもう。ここからこの「ドロドロ状態」を発見するというのはわかる。しかしこれを同時にとなると、僕のような凡人は激しく混乱してしまう。


しかしこんなことはありえないみたいなことをいくら物語の外からいくらうだうだ言っても、げんにそこでは起こっているということに変わりはないので、これは成立するものだと考え、そのうえで「どうやって」と考えなくてはならない。

そうおもいを改めると、つまりドロドロは加速をはじめるまでだ、ということに気付く。消力の原理では、弛緩と緊張の振り幅が打撃の要。郭のシャオリーはぎりぎりまでからだを弛緩させることでわずかなちからで勇次郎を吹き飛ばすほどの爆発力を獲得していた。克巳では、関節を増やすことでさらに、逆の、緊張の度合いのもほうも高めることになるのではないかな。とすれば、弛緩具合がどの程度かということを置いておいても、克巳の打撃は下手をすると郭を超えているかもしれない。


とすると、無限に関節を増やして、原理的には加速も無限にすることと、また同時に関節の数を極限に飛ばしてドロと化すことは、特異点では等しいものとなるのかもしれない。いや、無限の関節がドロにつながるかどうかは僕のあてずっぽだけど。だけどそう考えると、圧倒的な個の素質(勇次郎の背筋とか)を除けば、これ以上進化しそうもないという意味で、これはまさに完全技というものじゃないか?緊張と弛緩が、逆の側でつながってしまったのだから!


いや、わかんないけど…


 

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