■『ウェブ進化論―本当の大変化はこれから始まる』梅田望夫著 ちくま新書
ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)
「インターネットが登場して十年。いま、IT関連コストの劇的な低下=『チープ革命』と技術革新により、ネット社会が地殻変動を起こし、リアル世界との関係にも大きな変化が生じている。ネット参加者の急増とグーグルが牽引する検索技術の進化は、旧来の権威をつきくずし、『知』の世界の秩序を再編成しつつある。そして、ネット上にたまった富の再分配による全く新しい経済圏も生まれてきている。このウェブ時代をどう生きるか。ブログ、ロングテール、Web2.0などの新現象を読み解きながら、大変化の本質をとらえ、変化に創造的・積極的に対処する知恵を説く、待望の書」カバー折り込みより
実に興味深く、刺激的な内容だった。僕はこうやってブログをやってますし、理系人間でもあるのですが、この手の分野ではシロウトもいいところですので、ブログに加えて以前と比べればネットに接続する機会もずっと増え、おそらく小説を書いたり哲学を読んだりすることも手伝いながら、しかしぼんやりとしか考えられなかったことが、明確な文章で手渡されたようで、なにやらすっきり視界が開けたような気分になりました。ブログをやってるひとは必読かと。
アナロジーで理解せず、この新しい世界をまるごとそのままに知ってほしい、という本書の信念から、比喩的な書きかたはほとんどされていない。僕のようなにんげんには馴染みの薄い技術用語も、もちろんある程度の説明があるとはいえ、ごりごり直球でつかってくる感じだ。しかしわかりづらいとかムズカシイといった印象はまるでない。それというのはおそらく、うえに書いたように、僕じしんがここに書かれていることを身体レベルではじゅうぶんに知覚していたからなんだろう。と書くと、そうでない(ブログをやってるわけでもないしネットもあまりつかわないというような)にんげんには読みにくいのかというはなしになってしまいそうだが、たぶんそういうこともないとおもう。まったく新しい世界…僕らが周囲の景色に探すどんなものとも似ていないということにさえ注意を払えば、筆者の思考や「あちら側」、「不特定多数無限大への信頼」といった概念などのアウトラインくらいはたやすくつかめるとおもう。そしてそれこそが本書の役割であって、逆にいえばすでにこの領域に住まうひとには少々退屈だったりするのかもしれない。というか、そうなるのはたぶんしかたないのだ。だからこそこのような書物は必要なのであって、本じたいの価値が微塵も揺らがないのは誰もが認めることでしょう。
インテル創業者ゴードン・ムーアの提唱した「チープ革命」により、ブログを筆頭に表現行為への敷居は格段に低くなった。接続環境さえ整えば、僕らはかんたんにブログを書くことができるし、小説、詩、批評、動画、音楽…その他あらゆる表現を無料で公開して他者と共有することが可能になった。「これまで言葉を発信することはなかったが面白い」大多数の教養ある中間層が、その道具を得るに至ったのだ。これらの表現は以前までいわゆるプロの行為だった。既存メディアに認定された権威ある存在の仕事だった。この現象はプロフェッショナルという概念を強く揺さぶる。もちろんここには、誰もが考えつくように「玉石混淆」という問題があるのは事実だし、この現象に否定的な側の論拠はだいたいここにある。しかしもしこれがテクノロジーにより解決されたらどうか。グーグルの圧倒的な技術革新はこれを可能にする。無数の石から玉を選り分ける。僕じしん、とても「アマチュア」の手からなるとはおもえないようなすばらしい批評文を書くサイトさんを、ブログをはじめてからこれまでにいくつも目撃してきた。そして優れた書評ブログほど、管理人さんはふつうに会社に勤めるカタギのひとだったりするから不思議だ。彼らはまさに潜伏していただけなのだ。
グーグルの検索順位はトップページやブログ独特な記事ごとのアドレスなどのリンク数に依るらしい。誰も好んでつまらない記事のリンクを貼ったりはしない。ここで本書の…というかこの世界における最大のキーワード、「不特定多数無限大への信頼」に依存する「オープンソース現象」ということが関わってくる。
(体験していないことはわからない…みたいな考えは嫌いだが、このオープンソースということだけはうまく絵が浮かばなかった。漠然とした概念としてはたぶん理解できてるけど…)
グーグルに勤務する筆者の友人が、見事にひとことでこれらの現象を表現しきっている。
「情報自身が淘汰を起こすんだよ」P84から
この現象のいちばんわかりやすいのがウィキペディアだ。これはネット上の百科事典のようなものだが、接続中のすべてのにんげんがなんの資格もなしに事項について加筆・修正可能という、「こちら側」の常識からはちょっと考えられないような方法をとっている。リアル世界の識者の批判ポイントも、当然「信頼性」ということに向いてくる。
「ネット上で不特定多数を巻き込んで作るうねりにおいて『完璧』を目指すことはできないから、ウィキペディアが目指すのは『そこそこ』の信頼性で『完璧』ではない。これからもずっと、『コストゼロ』で『そこそこ』の信頼性で進化を続ける百科事典を『グッド・イナフ』(そのくらいで十分)と考える人と考えない人がいるだろう。問題は、その比率がどう動いていくかにある」P193から
「不特定多数無限大の良質な部分にテクノロジーを組み合わせることで、その混沌をいい方向へ変えていけるはずという思想を、この「力の芽」(=不特定多数の集約※tsucchini注)は内包する。そしてその思想は、特に若い世代の共感をグローバルに集めている。思想の精神的支柱になっているのは、オプティミズムと果敢な行動主義である」P207から
おこがましいはなしだが、「プロ」の概念ということについては、毎日ブログを書きながら僕も考えていた。そしてなんのために小説家になりたいのか、ということを自問していた。僕はここでは小説を公開していないけど、他者との交差不可能に虚無的にならないために、自己表現をして、共有を目指し、その意志の向きを呈示することが僕の目標だとするなら、もしかしてそれは現時点でかなりのところまで達成されているのではないだろうかと(僕の思想についてこのブログの継続読者は下手をすると僕じしんより詳しかったりするかもしれない)。運とか時期とかしがらみとかに関わらないぶん、こちらのほうがずっと実力志向・自由競争の世界であり、可能性はあるのではないか。仮に僕がこれからも職人的なガンコさを維持し続け、お粗末ながらスタイルのようなものに固執したとしても、「情報は淘汰される」のだから、それが真に良質なものであれば自然と読者も良質なものとなり、おもっていたほど「大衆」もおそれるほどのことはないのかもしれないと。いや、それどころか、ここではむしろ甚だしくわがままに、思いきり難解にやってしまったほうがいいのではないか…。だからといってそうかんたんに姿勢ぜんたいが変わってしまうということはそりゃないけど、たぶんこれまで想像していたよりずっと「プロ」ということについて考えていかなきゃならないのかもしれないと、漠然とだが感じた。
読後の率直な感想としてひとこと。グーグルってすげえなぁ…。うえに書いたようなこと以外にもロングテールの概念など、僕のようなものにはとても新鮮だった。二年前のベストセラーだし、余計なお世話とはおもいますが、まちがいなくやってくる新しい世界のために、若い世代はもちろん、彼らをサポートすることになる古い世代にもぜひ読んでもらいたいです。小説家やミュージシャン志望は言わずもがな。もっとも、そういう、表現をするひとたちこそ鋭敏に感じ取っていることだとはおもうけど。