
むろんCD派です。理由は、たんにダウンロードのしかたがわからない、どんな環境で聴くものなのか知らないから。
とはいえ、このまま好きな曲をチョイスしておとして聴くというスタイルが一般的になったら(というかすでに一般的?)とおもうと、少し怖い気もする。僕はコレクターではないので、CDを買って集めることそれじたいについてはなにもこだわりはないし、もっと便利に、かんたんに、しかも安値で聞けるようになったらうれしいし、機会があれば迷いなくそっちに方向変えるとおもう。もちろん、いい音で聴くことはそれでも最低条件ですが。ただ、そういう「音楽を聴くまで」の、「音楽へ至るみちすじ」の簡易化は、音楽を聴くことそれじたいへの簡易化につながる気もするのです。べつにむずかしいはなしではありません。単純な気持ちで想像してみてください。CDがなく、ターンテーブルやレコードが高価だった時代と、無料で何曲もダウンロードできる現在と比べて、どっちのにんげんが真剣に音楽聴いてたとおもいます?くりかえしますが、古く、不便な時代に戻ろうなんていうんじゃありません。ただなー、まちがいなくこのいまの視聴スタイルは、消費者というありかたを擁護してしまうだろうなーっておもうんですよね。誰もかれも高い意識で音楽聴いてるとは限りませんから。
そうおもういっぽうで、子供たちには両刃の剣かなーとかおもいます。ダウンロードって、どこまでできるものなのか知らないけど…。僕が子供のころ、聴きたくても聴けなかった希少アナログの誰かの演奏が、もしパソコンで無料で聞けるとしたら、うれしいですよね、そりゃ。
あと、これは感情論というか、僕個人の気分・気質の問題なのかもしれませんが、なにも考えずにアルバムを一枚買って、一曲一曲をかみしめるように聴いて、シングルカットされたもの以外から名曲名演を見つけるというありかたが、仮にアルバムをそのまんまおとせるとしても、ちょっとなくなってしまうんじゃないかなーとかおもう。これは僕の尊敬するm-floやZEEBRAなんかもそうなんですが…シングル曲って正直アレ?ってものが多いんですよね。より多くの、不特定のひとびとのこころにヒットするよう、うたいての存在感をぎりぎりまで除いたキャッチーな“共感ソング”であることが多いのですよ。(具体例はあげませんが、わかるひとはわかりますよね?彼らですらそうなんです)。シングル曲ではない、アルバム収録曲にこそいい音楽があるというのは、音楽マニアの迷い言というものではなく、だからじっさいあるとおもうんです。そもそもシングルカットってなんだ、とすら僕なんかはおもいますけどね。本来はアルバムに至る良質な布石、という程のものだったとおもうんですが…。
まあ、それにしたところで、こちらの意識が高ければなにも問題はないのだけど、それを維持するのがいまよりさらに難しくなるんじゃないかなーとか、ぼんやりおもうわけです。