『実存からの冒険』西研 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

■『実存からの冒険』西研 ちくま学芸文庫


実存からの冒険 (ちくま学芸文庫)




「社会変革の夢もついえ、祭りの後の虚脱感ばかりが蔓延した80年代。そんななかでポスト・モダン思想が育ち、ニーチェ・リヴァイバルも起こった。でも、『体系』を『戯れ』に置き換えたところで、ぼくたちの心の穴はふさがらない。ニーチェが謳いあげた〈生の肯定〉をポスト・モダンから奪い返し、ハイデガーの〈存在了解〉とつなげてみよう。新しい生の可能性が見えてくるはずだ。『各人の生は冒険であり実験である。冒険し合う者どうしの間に信頼や共感が生まれること。…ぼくもそういう実験し合う共同性を求めたい。これは「実存からの冒険」を導くひとつのイメージである』」裏から



ちくま学芸文庫の哲学入門系の本。大変にわかりやすく、文章も平易で、生活密着型な感じもすばらしいとおもう。ただ慎重にならないといけないのは、哲学者たちが注意深く言葉を選んで一般化してきたことばが、他人がこれを用いることで歪みを生じてしまう“かもしれない”ということだ。特にこの手の本は読者に優しく、また易しいから、こちらはなるべくそれに甘えないように、むしろ漠然と読むくらいが良いのかもしれない。


※関連記事―むずかしいことば
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もちろん筆者もこのことには自覚的だし、哲学者の使用した言葉を変形させるなんてこともなく、また筆者じしんの解釈はきちんとそれとわかるように記されているから、じっさいにはほとんど問題はないのだけど、ただこういう本がある種バイブルみたいになってしまうのはいけない気がする。そういうわけで、「哲学入門書」というものはこの世に一冊も存在せず、じつはすべてそれを記した著者の哲学書があるだけ、ということになるのかもしれない。とはいえ、この本で僕のフッサール理解がさらに深まったことはじじつだし、あげあしをとったり哲学書は難解でなければナランみたいに融通のきかないことをいうつもりは毛ほどもありません。おもしろかったし、勉強になりました。要は姿勢のはなしです。


第一章はニーチェ。いきなりだけど本書のクライマックスだとおもう。こんなふうに生き生きとした“哲学者像”があり得るなんて、けっこう驚きです。「ニーチェ」という名前には、このひとがどんな思想家だったかまったく知らないひとでも、やっぱりどこか厳めしく禁欲的な響きがありますよね。だけどニーチェもひとりのにんげんなんですよね。と書くとありがちなコンビニ本的な啓蒙ボンを想像されそうだけど…、筆者の立場はどこまでも明確だし、であるのに自覚的で、慎重です。はなしの展開もよく吟味されている。筆者が大学教授であることとこれはむろん無関係ではないでしょう。こんな講義を僕も受けたかった…(真面目に通ってれば受けれたんだろうけど)。



第二章はフッサールからハイデガーという流れの現象学=実存論、第三章はポスト・モダン思想と彼らの批判したヘーゲルについて、さらには実存論の立場からどのような展望が拓けていくかという筆者の考えが展開されていくのですが、こっちもよかった。筆者はニーチェ、ハイデガーを踏まえて、「時代や社会の問題として自己を了解していくという道すじ=実存論的社会理論が考えられる」としています。これは、みずからのうちにうずまくある問題意識を、より高次に繰り上げて一般化し、問題として提起できるということ。あるいはそうやって提起し、おれはこうおもうと示してみることがまず大事だということ。一冊を通してある筆者の姿勢に、まず元気でなければ、というのがある。これはその実存論的アティチュードのさきにある筆者の考え。僕が“優しい”と書いたのはそういうことです。



半年くらい前に読んで紹介した『現代思想の冒険』、『自分を知るための哲学入門』(すべてちくま学芸文庫)の竹田青嗣とは「哲学“平らげ”研究会」のメンバーどうし、いわば盟友みたいなものらしく、こちらも非常にわかりやすく書かれてあります。次はこのあたりから離れて、海外の「哲学入門書」を読んでみたい。




■『現代思想の冒険』竹田青嗣

http://ameblo.jp/tsucchini/entry-10041036143.html


■『哲学入門』竹田青嗣

http://ameblo.jp/tsucchini/entry-10036972008.html