TRANSFORMERS | すっぴんマスター

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

■『トランスフォーマー』
製作総指揮:スティーブン・スピルバーグ、監督:マイケル・ベイ、主演:シャイア・ラブーフ

トランスフォーマー スペシャル・コレクターズ・エディション


うわぁ…めちゃくちゃカッコイイんですけど。こんなふうに血湧き肉踊る快作は久しぶり。空想世界の視覚的具現。最近の子供はいいなー。生まれたときからこんなもの見てるんだもの。


中東・カタールに駐留していたアメリカ軍がなにものかに襲われた。“敵”はすべての攻撃をはねかえして造作もなくアメリカ軍を一掃し、驚異的なハッキング能力で国家機密にアクセスしてデータを奪おうとするが、ぎりぎりで阻止される。全滅の報告とハッキング時のわずかな信号のみ手にしたケラー国防長官(ジョン・ボイト)は、一般人を含めて信号分析技術の高い優秀なハッカーたちをNSAに召集し、生存者がいないためにまったく見えてこない状況を打開しようとする。

他方、典型的アメリカン・ティーンエイジャー、夢見るチェリー・ボーイのサム・ウィトウィッキー(シャイア・ラブーフ)は、父親の提示した条件をなんとかクリアしてぼろい中古車をゲットすることに成功した。次は女の子だ。イケてない親友と屈強なフットボール選手の恋敵という設定もいかにも。ふとした機会からミカエラという憧れの同級生を車に乗せることに成功するが、彼が4000ドルで手にしたその中古車はただの車ではなかった。夜な夜なひとりで動き出し、巨大なロボに変形して仲間に合図を送る、宇宙からきた金属生命体“オートボット”、センシティブな恋の世話焼き、心優しきバンブルビーだったのだ。

いにしえの宇宙には“キューブ”と呼ばれる生命のオリジンがあった。バンブルビーやオプティマス・プライムたちは、キューブのちからで生命を得た惑星サイバトロンの住民だった。サイバトロンは秩序正しい平和な世界だったが、反乱組織ディセプティコンのリーダー・メガトロンが行動を起こし、逆らう者を殺しはじめたのだ。メガトロンはさらなる強力な軍隊を組織するため、機械に生命を与えることのできる失われたキューブを求め、地球へとやってきた。これは地球を舞台にした、彼らの世界の戦争なのだ。そしてサムは、このキューブの行方について知らず重要なカギを握っていたのだった…


とにかく…“やつら”が機械から本来の姿にトランスフォームするとこが、かっこよすぎ!グランソニックじゃん!だまされたとおもって見てみてください。映画はまちがいなく現代の総合芸術だ!くりかえすけど、こんな映像があたまのなかだけでなく、リアルな、目で見えるかたちで確認できる時代なんだなあ。ここまですごいと、逆に子供たちの想像力が低下してしまわないか心配になってきますが。


(余談というかマメチシキですが、m-flo『EXPO EXPO』のリミックス・アルバム『GRAN SONIK』は、バーバルの「リミックスの概念ってアニメなんかの変身合体ロボットのトランスフォームに似てるよね」という発言から、ああいうコンセプトになったそうです。バンブルビーがラジオの音声を言語として使用するところなんか、ヒップホップのつぎはぎしたコラージュの概念に近いですよね)



これは、トム・クルーズの『宇宙戦争』や、韓流映画の『グエムル』、マンガの『ガンツ』、また古くは『ゴジラ』なんかもそうだけど、社会不安からくる潜在的な恐怖ということが描かれている作品だとおもう。安心してなにも考えずに生きていける根拠なんかなにもない、どこにどういう危険要素があるかなんて、誰にも、もちろん僕らと同じ「人間」が運営する政府でも、わからないのだ。ラジカセに変身したロボにエアフォースワンが襲われるという事態に陥りながら、大統領の顔がいちども映されないというのも興味深い。たよりない政府というものを露骨に表出するよう。大統領が頼りがいのあるカリスマだと物語的にはNGなわけですよね。よく知る街中の光景のうえに付されるCG映像は、この事態・恐怖をきわめて身近な、生活に根源的に内在するものとして描きます。『グエムル』しかり。『グエムル』であのモンスターが初めて登場する場面、川べりを主人公に向けて猛然とダッシュするところがありましたが、あの映像的違和感はちょっと信じがたいものがありました。橋架下にぶらさがる絵もすごかった。“猛烈”といってもいいような、その存在がもたらす違和。正直なはなし僕は韓国映画をなめていたところがあったのですが、あれでかなり印象変わりました。



また展開的にはかなり『インディペンデンス・デイ』に近いとおもう。というかけっこうモデルとして意識してるんじゃないかとおもう。それは一般人の戦局参加ということ。両作品のモールス信号の使用があらわすのは、通常の連絡手段の喪失。混乱したシステムのもとで大統領も国防長官もハッカーも電器技師も童貞も、すべてのにんげんは宿命以外の職業的ジョブを失い、等しい存在となる。『ID4』でジェフ・ゴールドブラムとウィル・スミスが全世界の地球人民の命を背負って宇宙に旅立ったように、ここでもサムは非常に重要な役割を担うことになる。たぶんこれは宿命といっていいだろう。眼鏡を渡したじてんでサムの宿命的仕事は終了しているようにもおもえるが、逆にいえば眼鏡の所持者でなければ彼はあんなところにいるはずもないパンピーだし、ここでは“いたこと”がなにより重要で、戦いに参加することもなかったと考えられるからだ。ニムジキ長官同様、高飛車で最初はムカつくやつだったセクター7のエージェントが、徐々に権力を失い、だんだんいいやつにおもえてくるのも皮肉でおかしい。



善対悪をロマンチックに描く際の鉄則として、ここでもやっぱり悪のほうが強い。ただでさえ巨大な彼らの、メガトロンは倍くらいあるし、武器も豊富だ。それを、みんなで協力してやっつけるっていう例のパターン。とはいえ、サムとミカエラ、ハッカーたち、それからカタールにいた軍人たちという、ばらばらに描かれていた三者が一堂に会してからは、否定できないわくわく感がずっとありました。おもしろいからこそ、鉄則なんですね。


それにしても…くりかえし口にされる「英語でしゃべれ」というセリフはなにを意味するのだろう?