高校時代 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

こんど、高校時代の仲間と集まって飲むことになりました。ほっとくと何年も会わなそうな連中だけど、いつもグループにひとりだけいる女の子が中心となってくれて、毎年年末年始にこうして集まっているのです。


僕の高校時代のクラスは…よくある、いわゆる特進クラスというやつでした。大志を抱く明日のエリートたちが、一流大学目指して通常のカリキュラムとは異なるシステムのもとに、勉強三昧の毎日を送るというもの。少なくとも特進クラス以外の人間は僕らのクラスについてそういう認識だったはず。そしてじじつ、クラスメートの大半はそのような非常に向上心のあふれるひとびとだった。だけどもちろん、僕はそんな高い意識なんてもっていなかった。ほんとうは、そんなクラスなんか嫌で嫌でしかたなかった。「特進クラス」というものがどれだけ浮いた存在であるか、中高一貫教育校だったから僕はよく知っていたのだ。特にそのころはじぶんがミュージシャンになるものだと信じて疑っていなかったというのもあった。そのときはまだ楽器をやっていたわけではなく、なんの計画もたててなかったんですがね。まだまだガキだった僕は、現実を見ずにただただ夢を見ていたのですね。将来のことなんて知ったことか、音楽が聞けて本が読めればそれでいい、という具合に。しかしヘタレ
な僕は親に逆らうことができず、かといってきちんとした将来設計もないために、されるがままになるしかなかったのだ。


はじめて教室に入った瞬間の風圧みたいな違和感はいまでも忘れられない。一年生の一学期のころはほんとうにひどかった…。教室に行くのが心底嫌でならず、からだが拒否するためか朝ごはんがまったく喉を通らなくて、そのうちごはんじたいが食えなくなってしまった。病院に行って胃カメラを飲んだら、精神性胃炎みたいなことを言われた。まあ要するになんでもないってことだろう。なんでも気楽に考えなさいと医者は気楽に言っていた。そんなことは僕には不可能ですと僕は考えた。


そんな感じでいたから、僕はそのうちあんまり学校に行かなくなってしまった。まあ、現実逃避ですよね。もともと朝が弱いから遅刻しがちだったことも手伝って、昼くらいまでポテトとコーラだけでマクドナルドにねばって本を読んだり、ベンチに座って鳩の動きを眺めて研究したり、たまたま会った柄のよくない友人とうろうろ遊び回ったりしていた。そして昼休みくらいに忍者みたいにこっそり教室に侵入し、空気みたいにひっそり馴染んだ。深くものを考えているように見せ掛けて、人生でいちばん、なんにも考えてなかった時期だとおもう。いまふりかえってみても…なにがそんなに嫌だったのか、よくわからないんですよね。勉強じたいは好きではなかったけど、成績はそんなに悪くなかったはず。偏ってはいたけど。
当時の担任にはほんとうに迷惑をかけたとおもう。いや、普通クラスなら、こんなやつべつに珍しくないんだとおもう。ある日、なにかの授業中に遅刻して教室に入っていったら、気が強いことで有名な担当の若い女教師に、あんたのせいで担任の先生がどんなふうに言われてるかわかってんの!?みたいなことを怒鳴られた。いまなら笑い話になるけど、想像力に欠けていた僕にはものすごいショックでした。担任はつねににこにこ優しかったから。あれは、僕がじぶんで気付くのを待っていたんだろうなといまならわかる。



それでまあ、なにが言いたいかって、仲間たちですよね。べつに彼らに救ってもらった、みたいにきれいなはなしがあるわけではありません。そうではなく…彼らは強かったんですよね。ほとんど僕とおなじような考え、立場にありながら、彼らはじぶんなりの状況整理のもとに、しっかり生きていたんですね。このクラスにいる以上、ある試験を受けたわけで、だからそれぞれにあたまもよかった。特に以前にも書いた天才肌のIくんには、いろいろと世話になりました。柔軟な彼らは…僕が押し付ける音楽や本も、なにもいわずに受けとってくれました。だから当時の友人はみんな坂本龍一や村上春樹にくわしいはずです(笑)要するに、僕のアイデンティティ、核をなすぶぶんについて、会話のできる友人が、なかばむりやりではあれ、とにかくできたわけです。ガキな僕にこれ以上の回復の手段はなかった。

去年会ったとき…酔っ払ったいきおいでこのときの、いろいろ押し付けたことを謝ったら、視野が広がってむしろよかったみたいなことをみんな言ってくれました。その言葉で僕が再び回復したことは言うまでもない…