ピアノ | すっぴんマスター

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

『すっぴんマスター』の存在目的は、いろいろ読んだ本を読まれるべき段階まで読み込んで、それを拙いものではあるにせよ文章にしてみる、という自己訓練、自己確認が主なのですが(だから全体のバイブスが自涜っぽいんだな…)、同様の目的でヒマを見つけてはこれまでに僕が聴いてきたジャズやヒップホップをわがままに解説(?)してみたりもしています。これがもたらす効果はもちろんひとつではなく、実用的なところでは備忘録にもなるし、またじぶんの思考やふるまいが明確なかたちになるため、「傾向」みたいなことも明らかになったりする。なにが言いたいかって…いまさらなんだけど気付いたんですよね。ピアノ作品のレビュー多いなぁって。そう考えてからさらーっとごちゃごちゃした棚を眺めてみても…ピアノのCDは圧倒的に多い。むろんジャズに限ったことなんですが。そもそもチック・コリアというピアニストの音楽からジャズに入ったわけだし、自分で弾きもするんだからあたりまえといえばあたりまえなんだけど。


弾くひとからすれば当然のことだし、弾かないひとからすればどうでもいいことなんでしょうが、他のあらゆる楽器と比べて、ピアノというのはおそろしく論理的な性格をしています。音楽をやろうと思ったら、それがボーカルだろうとパーカッションだろうと、まずピアノをある程度身につけてしまうのがいちばんはやいんじゃないかとすら僕は思います。なぜなら…どこまでも肉体的で、翻訳不可能な芸術である音楽というものを、いちど言葉に変換してから吐き出すようなところがピアノにはあるから。
たとえばいま僕らがある優れた詩を、むろん「共有」しようとする立場で読んで、うまく作者の、というか作品の心臓にたどりつけて、ことばの鼓動とぬくみを感じることができたとする。次に詩人である僕らは、感じ取ったその心臓のぬくみを、再び言葉に付託し、詩とする。これが普通の楽器の表現とすると、ピアノにはどこか、「しんぞうが、ぬくぬくしてきもちいい」みたいに解説してしまうようなところがある(いらいらするくらいへたくそな説明だな)。言語的というか、批評家的なんですよ。そして楽器がそうであれば、弾くほうもそういう思考法になっていくのは別におかしなことではないでしょう。

どうしてそういうことになるのかっていうのは…たしかのことはぜんぜん言えないけど、この楽器は、楽譜の存在から生まれたみたいなところがあるんじゃないかな。楽譜が「先」にあるというか。なんだってそうだろと思われるかもしれませんが…。だけどもし、楽譜という「概念」を楽器化するなら、いまのピアノというかたちは、ものすごく納得のいくものだと思いませんか?いちいち説明はしませんが…。これは言語学におけるパロールとエクリチュールという考えかたにも通じるものがあると思うのだけど…他の楽器が「話し言葉」なら、ピアノには「書き言葉」のような性質があると思うんですよね。言語学的な意味でね。


なんか「ピアノ=ダメ」みたいな空気になっちゃってるけど、これはたんに僕が説明下手だからで、これまでのレビューにピアノものが多いことからもわかるように、これは僕があらゆる楽器のなかでもっとも愛する楽器だということはまちがいない。なにが言いたいのかは…コノテーションを読み取ってください(笑)