馴れないことやってみる | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

『分からない漢字調べるには―辞書よりケータイ』

■讀賣新聞 9月8日記事より抜粋

「『気が置けない友達』には、遠慮が必要?―。文化庁が7日発表した『国語に関する世論調査』で、慣用句の意味を誤解したり、誤った言葉遣いをしたりするケースが目立った。また、漢字を調べる際、辞書ではなく、携帯電話の漢字変換機能を使う人が、20代では8割に上っていることも分かった」


普段新聞なんか読まないんだけど、おもしろかったのでメモっときました。
まずなにより「熱にうなされる」はまちがいで、ただしくは「熱にうかされる」だということにびっくりだ…。知らなかったなぁ。正誤をこのように断定するからには、いっぽうの言葉では意味を説明できていないということになるのだろう。広辞苑によれば「うなされる」は「=恐ろしい夢などを見て思わず苦しそうな声をたてる」で、また「うかされる」は「=1.刺激を受けて心が正常でなくなる。なにかにこころを奪われる。2.茶類を飲んで興奮し、眠れなくなる。3.高熱により意識が不確かになる」ということだ。おおまかなイメージとしては、「うかされる」のほうはなんらかの外的な作用によってしっかりした意識をたもつのが困難になることで、広い意味でつかわれており、この説明では場合によってはすでに「熱に」という意味も含まれることになる。「うなされる」のほうが意味あいはずっとせまい。

しかし…「熱にうなされる」と、誤ったつかいかたをしてはいても、僕らの認識する意味像は個々ばらばらのものにでもなってしまっているだろうか?言葉を正しくつかうことは、整った思考を導くためには不可欠だ。だけど特に慣用句のばあい、このようにすでに意味が通ってしまっているとき、ほんとうの意味はこうなんだよと、わざわざ認識しなおす必要はあるのだろうか。これはむしろ、「多くの」ひとがまちがって捉えているというよりは、意味じたいが変わってきているとみたほうがいいんじゃないか。かんがえなきゃその「多くの」ひとに意味が伝わらないなんて、なんの「慣用」句か。それは、わかりづらい比喩表現と同じ。僕だって「気が置けない」の意味を知ってはいるけど、ときどき混乱することがある。讀賣新聞によれば、48.2%のひとがこれを「相手に気配りや遠慮をしなければならない」というふうに捉えているそうだ。これに対し正答率は42.4%。もちろんこれは「気配りや遠慮をしなくてよい」という意味で、いわゆる「気をつかう」の「気」を置かな
くていいってことなんだろう。しかしこのたった六文字の慣用句は、主体の可能をあらわす「置ける」が否定されているようにみえて、「本当は(気を)置きたいのに、置けない」みたいなニュアンスに感じられませんか?僕だけかな。不本意だけれど、しかたなく、遠慮を排除しよう…みたいな。日本人はコノテーションを読む達人だから、この言葉を読んでなにか「しかたなく」みたいな心のうごきを知らず感じ取ったとしても奇妙ではないだろう。僕らは「しかたなく」気配りを排除したりはしない。仲良くなるためにはむしろ「喜んで」排除する。語源的なことや、国語の授業でやった活用法みたいなことはわかりません。ムカシのひとはあまり立ち入った仲になるのを避けて、常に他人と一定の距離をとることをよしとしていたのかもしれない。あるいは日常生活以外の、他者との距離感をよしとする、たとえば宗教的なことから生じた言葉なのかもしれない。それはわかりません。しかしいずれにせよ、いまこの言葉から否定的なリズムが感じられたとして、仲良く腹を割っ
てはなせることをよしとする僕らが、これを否定方向の心の流れ、すなわち「気配り、遠慮をしなければならない」というふうに捉えてしまったとしても、そんなにおかしいことはないんじゃないかなぁ。いや、あたまのいいひとはこんな考えかたを鼻で笑うかもしれないが、げんに文化庁の調査で出た結果をみるかぎり、この慣用句が「慣用句」であるなら、意味のほうが変わってきているのだと考えるほうが正しい気がする。


ちなみにこの「気が置けない」についての広辞苑の説明は、以下のとおり。

「=気詰まりでない。気づかいしなくてよい。→近年誤って、気を許せない、油断できないの意で用いることがある」

あまり否定的には書かれていないところに、広辞苑の柔軟性が感じられませんか?(^_^;)


と書いてはみたけど、なんか納得いかないなぁ…。なにか見逃してるか?まちがって言葉をつかうことに生理的な違和感があるのかもしれないなぁ。誰か反証してください(>_<)