『タイムマシン』 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

『タイムマシン』監督:サイモン・ウェルズ、主演:ガイ・ピアーズ


『宇宙戦争』のH・G・ウェルズによる、古典的名作の現代映画版。
典型的“はみだし天才科学者”のアレクサンダー・ハーデゲン(ガイ・ピアーズ)は、最愛の恋人エマを、彼らしい、不器用だがかわいらしいプロポーズ(最近調子わるいんだ、夜眠れないし、食欲もない。あたまもからだも働かない。一生この調子かもしれない。治す方法はひとつ。君が僕と結婚してくれること…)に成功した直後、指輪を狙う強盗の凶弾によって失ってしまう。人生最大の幸福とほぼ同時に、この悲劇を負ったアレクサンダーの悲しみは、想像を絶するものがあったろう。(映画的には、なぜか彼が落胆しているころの描写はぜんぶとばされている)。
アカデミーには完全に無視されたが、すでにタイムトラベルの理論を完成させていたアレクサンダーは、“過去=エマの死を変えるため”、タイムマシンを完成させ、プロポーズをしたあの日へと戻る。エマを現場から離すことには成功したのだが、しかし彼女は馬車にひかれ、やはり失われてしまう。ロマンチックな部分はあっても、本質的にはロジカルな人間であるアレクサンダーは考える。これはどういうことか。過去は変えられないということなのか?

この時代にはこたえがないと悟ったアレクサンダーは、もっとはるかな未来に旅立つことにする。この、超高速で時間を旅する際の連続した風景…太陽の運行が直線になり、ショーウインドウに飾られるマネキンのスカートがどんどん短くなり、建物は競うように高く、また地球の領域、そこの住人の行動半径が飛行機から人工衛星、スペースシャトル、月への移住と、広くなっていくという描写は、すばらしく感動的。僕は一回巻き戻して見ちゃいました(笑)

2037年、月の土地開発(?)をすすめていた人類は、爆破操作を誤り、月をぶっこわしてしまう。タマゴみたいに粉々に砕けた月は地球へと落下しはじめ、その衝撃でアレクサンダーはマシンを作動させたまま、気を失ってしまう。
目覚めた80万年後の地球で彼は、長い時間をかけて築かれた文明社会が崩壊し、ただ「エロイ」と「モーロック」というふたつの種族が存在しているのを目にする。過去をあきらめ、モーロックによって夢=未来を支配され、されるがままに食される、“点”の時間に生きるエロイ。知能に欠けた“筋肉階級”と、彼らを超能力的な「言葉」で支配する“知識階級”によって成り立つ、地下に潜むモーロック。

やがてモーロックのボスみたいなやつ(ジェレミー・アイアンズ)と対峙することになったアレクサンダーは、こたえを知る。なぜ過去は変えられないのか?タイムマシンはエマの死によって生まれた。彼女とタイムマシンが同時に存在する時間軸は、ありえないのだと…。


人間の思考作用の内側では、過去とは記憶であり、記憶とは言葉だ。すでに失われた時間や、そこに存在するなにかを、僕らは言葉に還元してはじめて知ることになる。逆にいえば、言葉があれば、僕らは記憶(=歴史)から学習することができるし、それじたいを自発的に未来へと残すこともできる。しかしながら、きちんとした言葉、人によっては“古代の言語”である英語まで使いこなすエロイは、まったく過去を捨てている。というか、むしろ“記憶”から、あきらめることを学習してしまっている。モーロックには勝てません、逆らっても意味がありません、だからあきらめてされるがままに死にましょう、はいおしまい。思考停止。よく伝達手段として「言葉」が残っていたなーと逆にびっくりしてしまうのですが…。
過去を変えようとしているアレクサンダーは、こんなエロイの世界観に違和感を抱く。エロイという宿命=役割に逆らわず、時間的にも空間的にも「点」に生きる停滞民族。そして彼らを捕獲して食糧とし、ときには飼育して繁殖させるモーロック。“飼育”は、もちろん未来を意味している。エロイがなにを食べて生きているのかはよくわからないのだが、少なくとも人間ではなさそうだ。たぶん魚だろう。地上には生き物はいないから。

モーロックがエロイを支配できるのは、果たしてモーロックのほうが“強い”からなのだろうか?もちろん、あの“筋肉階級”の、いくらぶん殴っても立ち上がるタフさを考えると、普通に戦ったって勝ち目はないわけですが…。それより僕には、同じように「言葉」を使いこなしながら、世界の捉えかたにここまで差が生じているということに、なにか象徴的なものを感じます。すばらしき「言葉」を手にしていても、つかいかたがわからないとね…。豚に真珠ですよね。


それとは別に、やっぱ金かけてるからか、息をのむくらい美しい、圧倒的なシーンがたくさんあります。さっきの高速で見る文明の発展もそうだし、エロイの住む谷や、雪の降る現代など…。


あと、ラストあたりでアレクサンダーはさらに未来に飛ぶことになるのですが、ここ、原作とはぜんぜんちがって、こちらはモーロックが支配していましたが、原作ではどちらの民族も消滅していて、わけのわからないでっかいカニとか、気味の悪いまりもみたいな生き物が生息しています。この退廃的な場面の描写があまりにリアルで、子供のころの僕はおそろしい気分になったものです…。