おととい、二日酔い的なことはもちろんだけど、用もないのにうろうろ歩き回って、いろんな下級生に話し掛けまくったりしてくたくたに疲れてる状態で宿に帰り、テレビをつけたら24時間テレビやってて、コーナーのつなぎ的にわけのわからない女の子がスクラッチのまねしながらへんてこなラップやってんの見て、疲れてたのもあって、「むかつく」って十回くらい言ってました。別にいいんだけどさ…。ああいうの見ると、一般のヒップホップ認識ってまだまだイロモノ的な感じなんだなーって、なんか実感としてわかります。
もともとから、ものごとをはっきり口にするっていう基本理念から、メロディなしの言葉の躍動感=フロウっていう技術的なところまで、ヒップホップは日本人的=日本語的に相いれないぶぶんがあるのかなーというのは僕もうっすら感づいていて、ヒップホップが文化レベルでこの国に根付くことはありえないのかなーなんていうふうにもおもいます。わかるひとだけわかればいいみたいなアングラの連帯感もいいけど、それじゃこの音楽は必ず停滞してしまいますよね。クラシックみたいなマニア向け音楽、聴いてるだけでなんかエラそうに見える、また本人もエラそうな気分になれる、というような、「様式美の音楽」みたいにもなりかねない。(まあ、そう捉えているひとはだいたいパチモンですが)。だからといって普遍性ばかりを求めてしまうと、そもそものはじまり、この音楽の初期衝動である「露骨な自己表現」は失われてしまうし、このバランス感覚はやっぱりかなり難しい。幸運にもすでに一般に名前が通ってるひとたち…、リップ、キック、m-flo、SOUL'd OUT、キングギドラ、ダボ…。彼らのほとんどは自覚的なミュージシャンだけど、彼らと僕ら(リスナー)とのあいだにもう一段階、導く立場の人間がほしいかなーなんて最近はおもいます。ファッション雑誌を中心にヒップホップ系の報道機関も増えてきてはいるけど、やっぱりまだ排他的なところはありますよね。興味ないひとが手にとることはまずないですよね。それは結局、みんなよく知らないからなんじゃないかとおもうわけです。だから、ヒップホップってこういうことなんですって、ちゃんとした言葉で説明できる、ミュージシャン以外の媒体がここにほしい。批評家ってどんな世界でも嫌われがちだけど、一般の認識が高まれば、よくもわるくも停滞を抜け出せるし(日本語ラップはまだ若いから停滞まではいってないけど)、そのためには無責任にただくわしいひと、みたいなのがたくさん必要だと僕はおもいます。
それにしても…一夜明けてみると、なんだか夢みたいだったなーっていうのがどんどん強くなってく…。合宿のはなしね。まあ、実のところうちは年三回も合宿あるし、次もこれから二ヶ月後とかなんで、そんなに絶望することもないんですが…。今日から仕事はじまる連中なんかは、きちんと現実の呼吸法を思い出せているかな…(笑)