ふーむ…
またまた記事を読み返してみて自明のことに気付いたのだけど…
「彼女(恋人)」って、他者の代表なんだな。トップ・オブ・他者。他者est。いちばん他人、ってことじゃないですよ。あたまではわかっていても、ただ「他者」と指せるものってものすごいアバウトだから、実際には僕らはそれを段階にわけて、「家族」とか「友人」と呼ぶ…。その最上級が、彼女なのかなぁ。「つきあう」というのは、「お互いの存在を規定しあう」ということだろう。「規定される」ということをわかりやすくいうと、その相手の存在じたいから、自分がここにあるという事実を発見すること。「他者」なしでは「自我」も生まれ得ない、というのがいまのところの僕の考えですので。(常識かな?)。僕らはそれ以外の他者にも規定されているし、というか「自分」以外のすべてに「自我」は依っているのだけど、それの具体的なかたちなのか。そして重要なのは、こちらからも相手を規定するということ。この点が、ただの他者から「恋人」を特殊にしている…。
だけど…つきあったり別れたりということがあるのは、どういうことか。相手の存在によって自己が規定されることと、こちらの存在が相手を規定することというのは、ばらばらにあるものなのか。
うーん、「規定される」感覚ってのがどんなものだったか、もう あんまり思い出せないから、考えもあいまいだなぁ(笑)