『人生やりなおし機』
例によってみんなにバカにされ続ける毎日を送るのび太は、出来の良い親戚の五歳の男の子を目にして、思う。頭の中身や体のちからはこのままで、五歳に戻れないかなーと。「できるよ」とあっさりドラえもんは『人生やりなおし機』を取り出す。つまり、そういうことができるアイテムなんだと。過去に戻り、五歳になったのび太は、当然のことながら、スポーツも勉強も同年代のジャイアンたち(ちっちゃいジャイアンたちはぬいぐるみみたいですごいかわいい)とは比べものにならず、やがて「天才アカデミー会長」みたいな、うすた京介的なうさんくさいおっさんに、小学二年生に匹敵する知能をもつ天才だと診断される。(実際ののび太は五年生(笑))。
「出来の良い子」であることの心地良さ、優越感を知ったのび太は、真夜中にドラえもんがむかえにきても、帰らずにとどまり、このまま大人になりたいと主張する。そんなのび太に、ドラえもんはため息まじりで、このまま成長した未来の彼を、タイムテレビで見せてやることにする。そこに映るのはもとのノビノビタとはなんら変わらない、だめだめな劣等生である。バカにして前以上に勉強をしなかったために、やり方じたいもぜんぜんわからないのだ。もちろん、のび太は帰宅することにし、「勉強しなくても勉強ができるようになる機械」をつくろうと、机に向かって勉強をはじめる(笑)
偶然とは?必然とは?僕らは一本のゆるぎない時間軸(矢印)に流れて生きるものである。『マトリックス』に登場するマフィアみたいな古参のプログラム、「フランス人」メロビンジアンは、唯一絶対の真実があり、すべては因果関係(矢印)のなかに成り立つとする。モーフィアスは、まず選択がある、と指摘するが、フランス人は断定する。「選択は幻想だ」と。裏社会的マトリックスに大きな実権をもつプログラムという、いわば選択する側でありながら、彼がこの人生哲学にあるというのはおもしろい。だからこれは「マトリックス的に」、ということではなく、真理を探す立場からの、彼の世界観とみていいだろう。実際はマトリックスだからこそなんだけど。
ある選択がある。お金もないのにタワーレコードに寄ってしまい、安室奈美恵の新作が出ていることをある男は知る。ほしいなー。金はないが、買えないこともない。だけど次の給料日までにもしかしたら物入りになるかもしれない。たいした額ではないが、そのわすがの差で、興味深いダブルデートを断らなくてはならなくなるかもしれない。結局、彼は安室奈美恵を手に入れる。やばいよこれ。ディーバの名にふさわしいのは安室さんしかいないよ。しかしその翌日、彼は、金があったら百パーセント行っているにちがいない、魅力的なダブルデートに誘われる。いや、その、アレなんだ、財布がこう、アレで…。彼はDVDつきのアルバムにしたことを後悔しながら、しぶしぶそれを断る。しかしこの後悔は、実際にはなんの意味もない。というか、「後悔」という感情じたいが無意味なものだ。それは、ただ、わきおこるだけのもの。アルバムを買わなければデートに行けたかというと、それはわからないのである。誘われない「かもしれない」。いきなり盲腸になって
、入院する「かもしれない」。わからないんです。彼がそのときアルバムを買わなかったという「体験」が、少なくとも僕らから見えるこの世界には存在しないから。
メロビンジアンはやっぱりプログラムだから、世界を数式で捉えているのだろう。Aという現象があるとき、必ずこれはBという結果のみを引き起こし、同様にしてBによって発生したCもDを生み出す。こう考えれば数学的帰納法っぽく、すべて「選択は幻想である」ことにはいちおうなる。だけど実際には世界はプログラムではないから(たぶん)、こうはならない。現象は数字ではない。あくまで論理的に「たしからしい」というだけ。それは世界は一定の括りではないからです。あるいは、少なくとも人はその括りを認識できない(できていない)からです。括りを認識できないということは、感じることのできない、世界のある部分が存在することになる。それら不確定の要素が実際の生活にどう作用するかは、「作用してみないとわからない」。
だから、実際のところこの考えかたは「マトリックス」という括りのなかでしか成立しないものなのだが、僕らは逆らうことのできない時間の矢印にいるため、他の選択による結果を知ることができない。「選択」はたんに個人のあたまのなかでもやもやするだけで、現実に世界はまちがいなく一本の矢印をたどっているのだ。
しかしこの『人生やりなおし機』は、他方の選択をした結果を体験することを可能にする。おはなしのなかでは決定的な選択はなにもされないけど、未来を知る(つまり選択による結果を知っている)のび太は、結局いっときの優越感を得られただけで、なにもかわらない人生を歩むことになる。これはたんにのび太がアホだったからかな?とっても興味深い。メロビンジアンの「選択は幻想だ」という言葉が、かたちを伴ってあたまに響きます。