うーんうーん…
近所でお祭りやってるんですよ…
うるっ…うるせえっ!!タイコがっ!あと、子供とかそういうのがっ!まあ、こんな時間に寝る僕が悪いんですが…
うーむ、そういえばいまは夏だったな…。今年も本ばかり読んですごし、何事もなく終わるのだろうな。
人間は外力に規定される生き物だから、これを無視すると、太るか細るか、いずれにせよ、客視的に補整する機会がないから、どんどん、ひとりよがりの、閉鎖的な自己愛の世界に陥ってしまう。自己愛は、一般的に、成長とは相いれないものです。たとえば、漱石も太宰も、一冊も読むことなく、オレにはオレのヤリカタがある、みたいに小説を書く人も、もしかしたらいるのかもしれないけど、その作品は、仮に優れたものであっても、他者との共有(共感じゃない)を目指していない、独我論的なものであるにちがいない。それじゃ表現してる意味がない。カポーティやサリンジャーですら、他者と共有するものとしての表現が意識されていると僕は思う。
これは実際の見た目にもつながる。あたまの良い人はたいてい、どこかでこのことに気付いている。つまり、実際に、じかに、自分で自分を見ることはできなくて、美しさを規定するのは、常に他者だということを、知っている。このことに気付き、かつ意識的になれるかどうか。ビジュアルの美しさと知性が直結することの多いのは、そういうことだと思います。もちろん美男美女にもアホはいるし、ぶっさいくな天才もいるかもしれないけど…やっぱ知性は顔に出る。
つまり…このままいくと自分、やばいっす。