もやもや | すっぴんマスター

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

音楽や文学にある様式というものについて考えて書こうとおもったんですが…うまくいかないのでまた今度にします。僕はいつも書きながら考えるので、そうでなくてもひどく漠然としたケムリみたいな、考えとも呼べないようなもやもやが頭の中でもやもや靄ってるだけなので、どんな結論がでるかはいつも書き終わるまでわかりません。ある小説を読み、ふとした言葉や物語上の違和感にひっかかりを抱き、もやもやが訳知り顔で不敵に頭の中に満ち始め、僕のほうはうーんとうーんと、と何回かうなっているうち、やがて靄の中に手応えのある濃い部分を見つける。たいていはそれで納得して、次に進みます。しかしそれを言葉にするとなると、はっきり言ってそれはいちから考えるも同然で、言葉というのがやはり論理的な道具なんだ、ということを強くおもいます。逆にいえばそれこそが書く楽しみだったりもします。書いてる本人がこたえ知らないわけですから。ぼんやりおもっていたことを、明らかなカタチにしてみせる。
しかし現代詩や小説というのはそうではないですよね。m-floのもとボーカル、Lisaが、なんか何回も聴いてよく考えなきゃわからないような、ロジカルな詞は(詩は)わたしは嫌だ、というようなことを以前どこかで言っていましたが、それは僕も同感で、これもまた、だから書くことは楽しいのだとも言えるでしょう。数字みたいに露骨ではないけど、同様にして言葉も、人間が理性の動物であることを象徴している。それは人間じたいはこんなにあいまいなものなのに、目に見え、手にとれる世界はこのように確固とした論理的なものだからか。言葉は人間が身を守るために創造した鎧みたいなものか。そのあいだに生まれる摩擦や違和が、なにかを作り出すのかな。ってことは本来的に、人間って無理してんだな…。

うん、ダメだ今日。何が書きたいんだこれ…。こんなときにさらっと流してしまうネタではないですね。もやもやでもないよりはあったほうが書きやすいんだなぁ…。