『アメン父』田中小実昌 | すっぴんマスター

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■『アメン父』田中小実昌 講談社文芸文庫


アメン父 (講談社文芸文庫)


田中小実昌もわりと最近知った人で、このごろでは僕のもっとも好きな作家のひとりだと思う。この人も文庫化されたものが少なくて(河出文庫から四冊、講談社文芸文庫から一冊出ている)、図書館で借りるのが大半だけど、この『アメン父』は、現代文学の名作、しかも他で手に入らないようなものばかり集めた講談社文芸文庫から出ているもので、僕はこの文庫には大変お世話になっている。たとえば野間宏の『暗い絵』なんかは題名だけはとても有名なのに、この文庫以外では図書館で全集でも借りるしかないし、高橋源一郎の古い本なんかもどんどん出版されている(高いけど…)。

田中小実昌の文章は一見するとしゃべり言葉のようで、線をひくようにタイトで明確な文体に馴れ親しんでいる人からするとヘタクソということになってしまうかもしれない。しかしそれは、間違いとまでいかなくても一面的すぎて、彼は自分で選択してこの文体を用いていると僕は思う。それというのは、この作家の思考作用と、それを、目に見える、他人の目にすることのできる文章に落とすという作業が、「考える」というよりは「おもう」という行為に依っていると思えるからだ。考えたこと、表現したいこと、それらは実際の言葉に転写される以前は誰でもまだ形を持っていないか持っていても断片的なものであるわけで、人はそれを伝達の一般的な道具である言葉にすることで手にとれるカタチにする。そのプロセスが個人の文体を産む。しかしこの人は、「おもい」を「おもい」のままの姿でなんとか抽出しようとしているのではないか。田中小実昌の小説を読めば誰でも同じところをぐるぐる回っているような気分になるだろう。つまりそれが、「おもう」ということではないか。
他人の思考を体験することはできないからこれは結局個人的な解釈ということになるのだけど。あーでもないこーでもないとぶつぶつ呟きながらことばを選別し、選び取っては、違う、として道ばたにほっぽって、だから最後に残ることばはひどく小さな丸っこいものである。これが田中小実昌という小説家なのではないか。
この人の特徴としてもうひとつ、引用があげられる。この『アメン父』もそうだし、西田幾多郎を論じた、ちがうな、おもった、『ないものの存在』などは、作品のほとんどが他人の文章の引用で占められている。これもやはり「おもう」ということが理由で、読んで目に入ったことばを、自分でかみ砕いたりせず、文章に落とすということなのだろう。読んだものはすでにことばになっているのだから。
公平な心持ちで読めばたぶん誰もが、作品についてはともかく、田中小実昌という人間を好きになるだろう。イイ奴なのだ。といって、昔ばなしに出てくるような、クモの巣の下でカピカピのぼろ布団に眠りながら絶望的な咳をする貧乏な正直者のじいさんとか、クラスにひとりはいる欝陶しい正義漢とか、そういうのではもちろんなくて、一緒に酒を飲みたくなるような、そんな人なのだ。文章がそれを伝える。僕らは彼の「おもい」を体験することができる。
題名からわかる通り、この作品は筆者の父親と、キリスト教(十字架)との関係、というか接し方を描いたものだ。父、田中遵聖の教会には十字架がない。イエスの十字架がせまってくる、と遵聖は言っていた。「よほど用心しないと、なんでも、すぐ偶像になる。十字架でさえも偶像になり、だから、この建物にも父は十字架をたてなかったのか」ココロのはたらきみたいなことは宗教にはカンケイない、逆に、つまずきになるだけだ。アーメンはなにももたない。たださずかり、受ける。もたないで、刻々にアーメン…。
遵聖はユニテリアンであった久布白直勝牧師から洗礼を受けたが、やがて離れていった。理知主義というか、聖書を一種の史書として学術的に捉えるありかたに違和感を覚えたのだ。アタマから出てきた何かだったり、神秘的な体験を経て悟りを開いたからエライとかではなく、ただ、十字架が、ぶつかってくるのだと。
筆者の父親については短篇『ポロポロ』にも描かれているが、この『アメン父』は、父親のおはなしというよりは、アーメンと父とのただ関わり自体が書かれているように見える。というか、その関わりを眺める筆者の「おもい」が記されている。率直にいえば、筆者とその父親はよく似ていると思う。「父は、肩肘はらないで、大マジメだった」というが、まったく筆者のことではないか。アタマにふってきたモノを、ただただアーメンと書き落とす。そんな風に見るのは都合が良すぎるというものか。


ないものの存在



ポロポロ (河出文庫)