このノストラダムスの大予言は1980年代に話題となった一冊であろう。
人々は先の見えない不安や世の中の疑惑の真相を知りたくて予言書などを見てしまうものだ。
キリスト教の黙示録などもその一つだと言える。
いわゆるスピチュアル系と呼ばれる占いなどは低級霊が取り憑いて人々を貶める事を楽しんでいる事が多いから余り傾倒する事をお勧めしない。
本物の霊能者はお金を取らないとだけお伝えする。
昨今のYouTube動画のレベルの低さには閉口してしまう。
未来から来た人の話。
何月になに何が起こる。
我こそが世界を救う救世主である。
これらの事柄は全て嘘だと思って差し支えない。
本物は金を取らない。
本物は表に出ない。
本物の表情はとても穏やかな顔をしている。
仮に神というものが存在するならば神は人々に恐怖心を与えようとはしないのだ。
何故ならば人間=神であり 現象世界では切り離された存在として認識されているからである。
人類が進化していく過程において秩序を保つ為に必要だったのが宗教という概念なのである。
特に一神教は特段秩序の形成が困難な地域で発達するのはごく自然な事であり、日本のような比較的穏やかな地域では多神教でも秩序は保たれたのだろう。
日月神示とかいう話がYouTubeでよくとり沙汰されているが、大本教のノアの方舟予言は外れた事をご存じだろうか?
その大本教から岡本天明なるものがアメノトコタチノ神から自動書記により書き記された物が日月神示という物らしいが、とにかくそう言ったものは娯楽の範囲で楽しむ程度にしなければ個々の人生のベクトルがおかしくなるから慎む方が良いと思う。
キリスト教の黙示録なども然り、予言や都市伝説なども娯楽の範囲にとどめる事を強くお勧めする。
占いやスピチュアル的な事を生業としているものこそ救われない者そのものなのであり、動物の霊や低級霊に取り憑かれていると言わざるを得ない。
私達がすべき事は、日々の生活に感謝して生きる事なのだから、自身に与えられた目の前の仕事を粛々とこなす事が最も大切な善行だと思う。
予言、占い、YouTube動画などを見ている暇があるなら目の前のゴミを捨てよう。
トイレ掃除やお風呂掃除、玄関掃除をしよう。
太陽に当たり道路の掃き掃除をしよう。
何事も良い加減という言葉通りちょうど良いくらいにしなければ過度な行いは自身の人間形成を狂わせ明らかに誤った方向へ導かれてしまう。
お金を取る宗教はその協議の是非を問わず偽物だと考えて間違いないと私は考える。
家庭を放ったらかしにして予言、占い、宗教にのめり込むのは自身の心の弱さが原因なので、今一度見つめ直し日々の生活の中に存在意義がある事に気付けるよう期待したいものだ。
2025年7月に地震があるとか津波があるとかいう話は完全な嘘でありそのような事を述べる者は偽物である。
何故なら本物はそれを知っていても言わないのである。