上の子どもは生まれる前からの記憶があります

下の子どもは生後1日目からの記憶があります

私の一番最初の記憶は、おそらく2歳くらいの時です。ベビーチェアに座って、出された食事をフォークで食べている。白いプラスチックの中に、小さく切ったうどんと、くたくたに煮た野菜が少し。体調を崩しています。
うどんだけを食べた後、「どうやって野菜を残そう」と考えてます。どうやら、残す事は許されない。
「そうだ、良い事を思いついた!」と、目の前にあるティッシュを器の中に、くしゃくしゃにして入れてみました。「見えなくなった。」と、食べたことにして、すごい満足感に浸ってまます。
母が来て、「これに明日ご飯を入れて食べようね」みたいな事を言われました。
失敗した!と思ったのと同時に、残した事を許された事に少し驚いている。そんな光景と、感情を鮮明に覚えています。

姉の一番始めの記憶は、
頭を押しつけられて、スプーンで食べ物を口に無理矢理入れられる光景らしいので、おそらく母は食べさせる事に、必至だったのでしょう。

その後、
常に怒られていたので、嘘をつくようになります。「人参が食べたくない」と言うと怒鳴られたので、その後、人参を好きと嘘ついてました。なぜか子どもって、極端に嘘をつきます。
いつも「人参好きでしょ」と、母に皿にもられ、嘘をついた罰を受けていました。あーあ、


私は、「どうやったら 怒られないか」ばかり考えてました。母を怒らせないために嘘をつき続け、罪悪感と自己嫌悪の日々。



むかし過ぎてなのか、消したい記憶なのか、幼い頃の記憶はあまりありません。だけど、とても悩んでいた事があります。寝る前にある物語を唱えないと寝られなくなったんです。その癖は物心ついた4歳頃から、中学まで続きます。ほぼ毎日欠かさずに、、、


物語はディズニーのシンデレラのように、「白馬に乗った王子様が、継母の所から救いに来てくれる。」という物でした。これだけ聞くと、可愛い女の子の夢ですが、私の場合は切羽詰まっていました。明日が恐ろしくて、「助けてもらえる」と思わないと寝られない。明日の朝、目が覚める事が恐ろしかったんです。
小学校高学年には、物語を作って寝ることは本当に悩んでました。寝付くまでに長い時間が必要で、


当時、祖父母の家に度々預けられていました。田舎ですし、叱られる事は皆無なので、心は癒やされました。自宅では、朝起きると目が開けられない時がありました。そんな時は、目を閉じたまま心の中で「今日はおじいちゃんの家でありますように」と願う。すると、カチカチカチと祖父母の家にあるボンボン時計の音がします。「やった、おじいちゃんの家だ!」と喜んで目を開ける。でも、二段ベッドの板が見え落胆。幻聴です。

そんな記憶がありますが、何を恐がっていたか?は思い出せません。ただ、母は自分の事を「神だからなんでも分かる」と豪語していました。やりたい放題でした。もう小学1年生頃には神ではない事に気付いていて、なぜそんな事を言うのか疑問でした。


そういえば、
心療内科で「母親に抱かれた記憶がありますか?」と「」父親に遊んで貰った記憶がありますか?」と聞かれた事がありました。私は抱かれた記憶は全くなく、遊んで貰った記憶はあります。

これが重要という事と、されてない人が心療内科に来るんだと学びました。



幼い頃、それほど裕福ではなかったように思いますが、お手伝いさんが来ていました。お手伝いさんには。可愛がられたり、その息子に物をとられたり、いじめられたり色々でした。
病気になると祖母が来て、私たちの面倒をみました。母は子どもを抱きませんでした。面倒もほぼみませんでした。夫も、その間に出来た子どもも嫌っていました。



愛着障害になると思います。しかも、虐待よりネグレクトの方が強いかもしれません。話を聞いて貰うことも、気持ちを汲んで貰う事もありませんでした。お弁当もあまり作ってもらえず、いつもパンを買っていました。女子では私1人でした。


岡田尊司先生の本です。


抱かれもせず、怒鳴られて、夫婦げんかも絶えず、父は家にほとんど帰らず、
そして、良くしてくれた祖父母はとても立場が弱かった。特に祖母は母の言いなりに私達の面倒をみていた。まあ、そのお陰で、祖父母と過ごす時間も多く、死ななくてすんだ様に思います。死のうとすると、祖母が泣く姿が浮かんでくるから死ねなかったです。
祖母はよく、とてもよく泣きました。私が電話をすると、会いに行くと、必ず大泣きしていました。昔は孫ってそんなに可愛いの?と、お婆ちゃんってそんなもの。と受け止めていました。


今思うと、もしかしたら、私の苦しさを祖母は分かっていたのかもしれません。そういえば、可哀相と泣いている時もありました。


晩年、祖母は腰の複雑骨折で、ほぼ寝たきりになります。一人暮らしだったので、母が祖母を引き取ると言っても、祖母は断り続けます。頑として来なかった。もっと祖母の気持ちを聞いておけば良かったな。どういう心境だったんだろう。


祖母が亡くなる前の数年間、私は妊娠と子育て中で、母から病院に行くな。と止められていました。言うとおりに行かなかった事を、今でも後悔しています。
病院なので、誰かに病気を移されると困る。との理由でしたが、母は自分がいない時に、誰かと誰かが会うことを嫌います。知られると、怒って大変な事になる。だから、いつも内緒です。親戚は私達姉妹と、話した内容も、会った事も、暗黙の了解で誰も言いません。



祖母の涙は私の生きる糧となっていました。死んでしまったら、母は大げさに泣いて演じると思うけど、平気だろう。でも祖母は本当に辛くなると思う。だから生きなきゃ!


ここにこんなことを書いて、愚痴を言いたかった訳ではありません。
今、人と向き合う時、私なんかでも良いと思えるのは、祖母の涙が私を救ったからです。無力でも、あまり会わなくても、思ってもらう気持ちが生きる糧になります。

生きづらい人のサポートをされている方、
気になる人が周りにいる方、
貴方でもいいと思います。その人の事を心から考え、悩み、寄り添い、受容する。それだけで救われる事ってあると思います。一歩を踏み込んでみてください。


子育てで悩んでいる方
明らかに。悩んでいる時点で、私の母と違うと思います。なぜなら、自分中心の人は悩まないからです。子どもが悪いと腹を立て、子どもの気持ちを考えません。子育てで悩んでいる人は、ちゃんと向き合ってるなと思います。向き合わなければ、悩む必要もないんです。自分を褒めてください。


母はコロナの自宅待機期間が終わり、お蔭様で元気です。文句や愚痴を言っていて、私は何度も聞くことになるでしょう。今は、心を動かされないので、 子どもの時とは違います。母がどんな意図で 言葉を発するか、理解できているのでスルーできてしまいます。

もっと早くその分析が出来ていれば、鬱になったり、自殺しようとしたり、ダークな世界に行くなどなど、 なかったかもしれません。環境は変えられないし、人も変えられないけど、自分の考え方は変えられます。





長くなってしまって、ごめんなさい 

読んで頂けたら、感謝ニコニコ

 

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