佐々木朗希投手問題でクローズアップ!「日本プロ野球選手会」とは? | 尾林衡史のクイズブログ

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2024年1月25日、雑誌「週刊文春」が、千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手がプロ野球選手会に加入していない旨を報じました。

日本プロ野球選手会には加入選手リストが記載されているのですが、確認すると確かに名簿に佐々木朗希投手の名前がありません。

 

 

 


上記名簿を確認する限り、ヤクルト・青木宣親選手やオリックス・平野佳寿投手など大ベテランクラスは加入していない選手もいますが、若手で加入しないのは佐々木投手のみで、おそらく影で指示をしている人がいるのは容易に想像がつきますが、メジャーに行きたいのであれば、誰もが認める形で行って欲しいと切に願います。

 

 

さて、この件でクローズアップされた「労働組合日本プロ野球選手会」は、名前の通り一般企業でいうところの労働組合の役割で、普段は労使交渉における選手側の主張を述べたり、選手が不当な立場に置かれた際に異議申し立てを行うなどが主ですが、そんな選手会が一番活躍したのは2004年のオリックス・近鉄の合併に端を発する「プロ野球再編問題」です。

 

2004年6月、近鉄がオリックスに吸収合併が報じられると、その後「パ・リーグでもうひとつ合併が進んでいる(のちにダイエーとロッテであったことが判明)ことが明らかとなり、「1リーグ10球団構想」が持ち上がります。

これに敢然と異を唱えたのが選手会で、当時の古田敦也選手会会長(ヤクルト)は、オーナー達を相手に一歩も引かず交渉を続け、世論を味方につけ、この時初めて行われたストライキまでも支持され、結果、新球団の東北楽天ゴールデンイーグルスを誕生させました。

 

あの時1リーグ10球団になっていたら、今頃8球団あたりまで減らし、さらに野球人口も縮小して高校野球などにもっと深刻な影響が出ていた可能性が高いと思われます。

 

個人的にはこのときの会長が古田さん以外だったら、これだけの交渉はできなかったかもと感じております。

 

クイズに参ります。

テーマは「プロ野球選手会」です。

 

【問題】

1 1985年に発足したプロ野球選手会の初代会長は誰でしょう?

 

2 プロ野球選手会の発足当時、「親会社に労働組合がない」という理由から全選手が脱会した球団はどこでしょう(1989年に復帰)?

 

3 プロ野球選手会歴代会長で、会長在任中に移籍したのは岡田彰布と誰でしょう?

 

4 2011年4月2日、当時の選手会会長・嶋基宏選手が「見せましょう野球の底力を」とスピーチした、東日本大震災の復興慈善試合が開催された球場はどこでしょう?

 

5 2024年の12球団の選手会長で、唯一の捕手は誰でしょう?

 

 

【解答】

 

1 中畑清

 

2 ヤクルトスワローズ

 

3 炭谷銀仁朗

 

4 札幌ドーム

 

5 大城卓三