2024年1月5日、広島東洋カープは前年にフリーエージェント(以下「FA」)でオリックス・バファローズに移籍した西川龍馬選手の補償として、日高暖己選手を獲得したことを発表しました。
日高選手は2022年ドラフト5位で宮崎県の富島高校からオリックスに入団、高卒1年目の2023年は1軍登板はありませんでしたが、フェニックスリーグや、オフに派遣されたアジアウインターベースボールリーグで好投し、飛躍が期待された若手投手で、今後の伸びしろに期待しての獲得と思われます。
FA補償選手は以下以外
①球団がプロテクトした28選手
②外国人選手
③当年のドラフトで獲得した選手
④育成契約選手
から一人を獲得できるため、一軍半クラスの選手、将来有望な若手選手、あるいは力が少し落ちかけているベテラン選手などが漏れているケースが結構あり、移籍後にブレイクした選手も少なくありません。
そんな中から補償移籍後にタイトルを獲得した選手を紹介します。
福地寿樹選手は2007年オフにFAでヤクルトから西武に移籍した石井一久投手の補償でヤクルトに移籍します。
西武では2006年に91試合出場で25盗塁、2007年に114試合出場で28盗塁と俊足を武器に外野手の一角を担っていましたが、2007年はシーズン終盤に調子を落とすとともに、赤田将吾選手や栗山巧選手らのレギュラー争いに敗れるような形で出番を減らしていました。
ヤクルトは2007年オフにレフトのレギュラーだったラミレス選手が移籍し、外野の一角が空いたこともあり獲得(これには前年まで西武の投手コーチで、ヤクルトに復帰した荒木大輔コーチの進言もあったといわれます)すると、開幕こそ控えスタートでしたが、すぐに「1番センター」に定着します。
すると同シーズンに42盗塁で自身初タイトルとなる盗塁王を獲得、さらに打率も.320とキャリア唯一の「規定打席到達で打率3割」を記録しました。
翌2009年も1番センターで42盗塁、チーム初のクライマックスシリーズ進出に貢献します。
2010年以降は、故障や打撃の衰えで控えにまわるケースが増えたものの引退する2012年まで2ケタ盗塁を記録し、足で貢献し続けました。
引退後は2013年から21年までヤクルトでコーチを務めており、チームの貢献度も大きい選手でした。
プロ野球選手はきっかけひとつで大きく飛躍できることを示した選手のひとりと思われます。
私は個人的には福地選手の応援歌
「大空駆け抜ける 光の速さで(フ・ク・チ) スピードを上げて さあ栄冠奪取(ダッシュ)」
は神曲と思っています。
復活を願います。
福地選手応援歌
最後に福地選手に関するクイズです。
問題 福地寿樹選手が広島時代の2004年10月14日、9回二死までチームがノーヒットノーランだった状況で回った打席にシーズン唯一の安打を打ったことで、ノーヒットノーランを阻止された横浜の投手は誰でしょう?
正解 吉見祐治