4月から6年間住んだ京都を離れるため、今まで行こう行こうと思いつつ行けていなかったところを散策したい。今日は伏見へ。
中書島駅で降りてまずは寺田屋へ。
小学生の時に『竜馬がゆく』を読んで行ってみたいと思っていたが、ようやく来れた。
幕末にはこの付近まで舟が往来していたのか。
内部は写真撮影が出来る。
書簡やらなんやらが色々貼ってある。
龍馬が襲われた際にいたとされる梅の間。
柱には弾痕が残る。
こちらは隣の竹の間で、入り口の柱には刀痕が残る。
お龍さんが登ったとされる階段。
下の階には龍馬の年表が貼ってあったが、最後の4、5年の密度がすごかった。やはり色々と画策していたことが分かる。
入り口の前には龍馬が明治天皇の皇后の夢に出てきたと言う内容の碑が2つあり、一方はなぜか横倒しになっている。
ふと疑問に思ったことだが、寺田屋は鳥羽伏見の戦いの開戦地に近く、寺田屋は焼失したとなっている。この建物は再建したものなのだろうが、刀痕や弾痕は当時のものなのだろうか。再建のことなどが何も説明されていないことが気になった。
京橋から濠川(ごうかわ・ほりかわ)を望む。
船着き場が再現されており、江戸時代までは賑わっていたのだろう。
つづいて三栖閘門へ。
これは明治に入り宇治川に堤防が築かれ濠川との間に水位差が生じたため、船の行き来のために造られたもの。
中央にある穴を通して、宇治川との間で水のやり取りをし水位を調節したとか。
閘門が完成したのは大正時代だが、その頃もまだ舟運は盛んだったのだろうか。
この先に三栖閘門がある。やはり舟運の衰退とともに水路が埋め立てられたとはいえ、水の流れる場所が多い
濠川を回り、桃山方面へと歩みを進める。
京阪の踏切を渡り、近鉄の高架をくぐるところ。この辺りをちょうど桃山断層が南北に通っており、結構急傾斜になっている。いい感じの坂道。
御香宮前交差点を右折し、少し南下した後、立売通を東へ行き、泰長老公園へ。泰長老は秀吉や家康の顧問であった西笑承兌のことで、その屋敷があったことが町名の由来とか。
一体は指月伏見城があったらしい。確かに西から南、東へと丘陵の末端でいい立地か。
この後桃山丘陵を少し歩くが、次の記事に記す。