昨日の不信任案が否決されたことに対しては、色々な意見があったが、気になった点が2点。

1,被災者が大変な思いをしているのに政局の話に終始している。不謹慎だ!(被災者)
2,国は何をしているのか!何とかしてくれ。何も進まない。(被災地首長)

ともに突っ込みたい点がある。

1について・・・政局が一丸となっていなければ、復興もないと考えての混乱だと捉えることはできないのか?菅直人が何かやったのか?やっていないから、やれる体制を作ろう!という話なのだ。なのに「政局のみの話」という非難は、全体が見えていないと思う。

2について・・・自治体の首長なら、自分のところの財源で自分でお進めにはならないのですか?と言いたい。J・C・ガブリエルさんは個人で支援の行動を起こした。首長なら、「国がつぶれても何とかする」くらいの気概を見せて欲しいと思う。

菅直人を信じた鳩山を「愚か」と言うのは可哀想な気がする。一国の首相たるものが、詐欺師まがいの態度を取るとは思わないだろう。普通・・・

その普通ではない人間が、3・11の対応をしていたのだ!それだので、不信任案が提出されたのだ。その点を無視して、「政局のみ」という発言を「報道する」NHKや報道ステーションは、世論を操作しようとしている。

まして、3・11は菅直人とその仲間達により、引き起こされたものだという説もある。

ここまで行くと「狂った陰謀論者」と言われてしまうが、「仮に」そうだとしたら、そのような人に復興を任せられるはずはない。

被災者には酷な表現になってしまうが、人をあてにするのはやめた方がいい。自分一人で生きていく決意をして欲しい。

国や社会に訴えても「どーにもならない」「要求しない」という態度を取って欲しい。

「海を返せ!」と言っていた漁師がいたが、「それでは、海はあなたのものだったのですか?」と言いたい。

地球から勝手に搾取したものを転売していただけですよね、現在被災地で活動している窃盗団とほぼ同じ行為ですよね、と言いたい。

もちろん、後者は「人の所有物」を盗むのであるから、「窃盗」であるが、前者は「所有権」がはっきりしていないため、「窃盗」にならないだけである。

所有権は誰から誰に与えられた権利かを考えて欲しい。

この辺を書くとロックとかの哲学の話になってしまうため、多くは語りたくないが、「所有権を放棄」することが、「平和への道」だと思う。

自分自身(肉体)でさえ、自分のものではないという認識が必要だと思う。

誤った親が自分の子どもを「自分のもの」と思って、「自分の思い通りに育てよう」とするなんて論外だ!

「執着を捨てる」が仏教の教えである。全ては借り物であるが、借りている間は命をかけて愛し、それが持ち去られた時は、何の固執もなく手放す覚悟が大切だと思う。それが、心の中に平和を、延いては世界に平和をもたらすことになると思う。
お金って、日本の場合、「日本銀行券」と言います。兌換紙幣ではありません。あくまでも「券」です。日本国が「国」として、その「券」に価値があると言ってるのです。

券の前は、「兌換紙幣」でした。その紙幣と持っていくと「貴金属」と交換してくれるものを「兌換紙幣」と言います。

それ以前は、お金が「金貨」「銀貨」の時代です。「お金」自体が、「貴金属」という時代です。

それに比べれば今の時代の「お金」って、すごく「脆弱な」ものだと思います。

その脆弱なものの中にも、「優劣」があります。

例えば「円対ドル」です。

円高というのは、ドルより円の方が価値がある・安全である、ということで進みます。

3・11で円の価値は下がるだろうと予測されていましたが、実際は円高に振れました。投機的な側面が強かったのですが、「ドルが弱い」というのが世界の見方によるからだと思います。

実際にドルは「紙」になるかも知れません。3・11陰謀説を述べる人達は、FRBがドルを延命させるために、3・11を起こしたとも言っています。

アメリカは、日本では「御法度」とされている「国債を中央銀行が買い取る」という行為を恒常的に行っています。(その上、その中央銀行は民間会社です。)

コンピュータにデータを入力し、その金額をFRBが印刷するということをやっています。ほとんど「偽札製造工場」と同じです。

以前「スーパーK」という偽札の事件がありましたが、本家のドル自体「スーパーK」と大差ないと思います。(スーパーKはCIAの指図の元、北朝鮮で作られていたのかも知れません)

ユーロもギリシャ危機などから健全な通貨とは言えない状況だと思います。

日本もこれ以上、アメリカの属国として生きていくと、アメリカと一緒に滅ぶことになると思います。

日本はBRICsとの連携を図っていくべきです。

ところで、そもそもの話に戻ります。

「貴金属って何で価値があるの?」という事です。

有史以来、どこの文明でも「金」が最も価値のあるものとして扱われてきました。

宇宙人を信じる人の中には、「アヌンナキ」が地球で金を採掘するために、「人類」を「遺伝子工学」を用い、「彼らの遺伝子」と地球上の「類人猿の遺伝子」とを掛け合わせて作ったと言っている人もいます。

これが本当かどうかはさておき、この議論の根幹には「金には普遍的な価値がある」という考え方があります。

「金って本当に価値があるの?」

と思います。

最も安定した「金属」であることは確かですし、LSIのボンディング等で不可欠なものです。しかし、LSIを作るために不可欠であるというならば、金と同程度にLSIも価値があるということになります。

しかし、LSIは使用されている金の重量程度の2倍程度の価値しかないでしょう。

「金に価値がある」というのが「誤っている考え方」という見方はないでしょうか?

「全世界を手に入れたとしても、自分を失ったら何の価値があろうか?」と言ったのはイエスです。

金より地球の方が価値があり、その地球より自分の方が価値がある、とイエスは言っているのです。

「あの世に金は持っていけないよ」というのは、粋な江戸っ子が言っていた言葉ですが、そもそもあの世を信じない人に取っては、「この世で最大の富を得て、最大の欲望を生み出し・それを満たし、最大の快楽を得たい」というのが、普通の考え方でしょう。

しかし、誰もが金持ちになれるわけはないのです。誰もが金持ちになったのなら、スーパーインフレが起こっているというに過ぎません。

ですから、世にあふれている金儲けのノウハウは「人を騙して自分だけが金持ちになるノウハウ」であるに違いありません。

ですが、このような考え方で金持ちになったとしても、果たして幸せでしょうか?

この人生で最も価値あることは、自分が価値あると思ったもので、自分が最も価値あるものになることだと思います。

このように考えた場合、出発点がゴールだったりするかも知れません。

仕事に追われる生活でなく、自分が価値を見出すものは何かについても、少し考えて頂ければと思います。