思考力のこと | 耳トレtsingmoo青木肇のブログ

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完全音感(絶対音感&相対音感)指導。聴音、ジャズピアノ、ジャズボーカル、スキャット、アカペラベース、英語発音指導。アカペラバンドクリニック。
ピアノ、アカペラ、合唱、リコーダー、カリンバアレンジなど。
http://tsingmoo.web.wox.cc
青木肇tsingmoo@yahoo.co.jp

twitterであるRTがあり、少し考え込んだ。

塾の先生のツイートで、生徒に分からない単語を推論させようとヒントを出して考えさせている。
それ自体はいいのだけれど。
それに関する一連のツイートを読みながら途中で読むのが苦痛になってしまった。

ヒントを出している方は、正解を知っているから手を変え品を変え考えさせているのだが、予想もつかない方からすればうんざりしてしまう、、

論理的体力がある人は、論理力は普遍的なものだから考えさせて自分で正解にたどり着かせるというのを往々にしてやりたくなるだろうが(それをした方がいい場合も多いだろう)、教えられる側にしてみると筋トレしたくないのに無理強いさせられているのとあまり変わらない気がする。

思考する材料が足りない場合、取りあえず材料を集める方がいい場合も多いだろう。
事例をあれこれ知ることでパターンが見え、初めて自分で推論したくなる、というのが大事かなと思う。

よく詰め込みはよくない的な話があるが、実際には詰め込みが足りなすぎることも多いのではないかと思う。

昔の人の漢文の勉強のさせ方ではないが、わけが分からないままに膨大に丸暗記しておいてあとからジワジワと意味が自動的に分かってくる、みたいなほうが脳的にもいいのかなと思ったりもする。